不安、強迫、観念
最近、自分自身のどこかが壊れたのか、なんて思ったりする事が、ある。
例えば、普段なら無意識にアジトの鍵を閉めて出勤なり外出なりするのだが、そのシゴト場や目的地へ向かう道の途中で、こんな思いに囚われる事があるのだ。
「あれ? 鍵閉めたっけかなぁ?」
その思いがだんだんと大きく膨らんできて、ひどい時は、施錠の確認のために今来た道を取って返す。
鍵じゃなかったらその代わりに、窓を閉めたか、ガスの元栓はどうか、冬季に限れば、水道の凍結防止措置は取ったか、など、さまざまである。
普通であれば、鍵以外であれば、窓は少し開いていようが、ガスの元栓は開きっぱなしだろうが、水道の凍結防止措置も(まず昼間は凍る事はないから)放っておくのだ。
シゴトにおいてもそうだ。
シゴトの段落をつけ、さて休憩。その途中に「ん? あれやったっけ?」と思い始めるともうイケナイ。確認のために、その場所まで出向くこともやるようになってしまう。
その確認のために救われたこともあるが、その数は決して多くない。
このままじゃイケナイと思って、一区切りをつけたら自分自身のための「段落」をつけるようにした。シゴトの区切りに確認の指パッチンをして「おっけー」ってな感じで。ただ、それをまだ完全に習慣化されていないため、指パッチンを忘れる事もしばしばではある。
だが、その確認の指パッチンをも無意識に行うようになって、まるで意味をなさなくなったとしたらどうしよう・・・。
また、このブログへ記事を投稿する時間を決めて、自らを縛っていたのも何かしら上に書いていたことと関連があったりするのかな? 2時にアップしないとイケナイ、みたいな。
ちなみに、小学時代は忘れ物を連発していた・・・。親から、教師からよく叱られたが、まさかその影響じゃないよなぁ。
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コメント
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ああ、お仲間さんが(泣)
うちは夫と二人暮らしで、私の方が出る時間が遅いので戸締まり係な訳ですが、毎日マンションの玄関で悩んではとってかえすこともしばしばです。仕事もしかり。
生活に支障がでるまでになると「強迫神経症」ということで受診を考えた方がよいみたいですが、今のところ「なんか起こるよりはええやん」と思ってスルーするようにしています。
でも、自宅の施錠はともかく、仕事は結構なロスになるときもあるのでつらいとこですね。
投稿: フナコ | 2004.10.03 23:53
私だけかと思っていたら、フナコさんもそうだったのですか。
これで、やる気が出なかったり、だるかったりしたら、テレビのCMのように「欝」なのかもしれない、と思ってビクビクしてました。
一応、逃げ場としてパソだクルマだ音楽だ、と各種そろえておりますが、ハマってしまうとどれも辛いのよね。
投稿: たけぴ本人 | 2004.10.04 03:06