ちと疲れ
自分の中の「中学二年の私」が疲れたようだ。
いまだ心がザワザワして落ち着かない。
実家に帰って何も考えない時間を過ごせば、少しは楽になるか?
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自分の中の「中学二年の私」が疲れたようだ。
いまだ心がザワザワして落ち着かない。
実家に帰って何も考えない時間を過ごせば、少しは楽になるか?
4月上旬で閉店してしまったホームセンターの建物に別系統のホームセンターが開店した。覗いてみる。
建物自体は前にあったものなので、中身はそう変わりはない。
家電、照明売り場は、これでもかと思うほどに明るい。
工具関係も、オープンセールとの事で安い気がする。
が、何か物足りない。
グルっと回ってやっと気付いた。
それは、
カー用品売り場がないということ。
ちょっと期待しての偵察ではあったが、今後、多分、足を運ぶ事はないだろうなぁ。
同様の事を店員に問い合わせていた客もいたから、そのうちそれ関連の売り場ができることを密かに願ってみる。
ちなみにそこ近辺は以前、ホームセンターが隣接していた場所。
もともとあったTのそばにVが出店し、やがて、Vの建物からホームセンターは撤退。スーパー、薬局、チェーン展開する古本屋、100円ショップなどが入るテナントスペースとなった。
が、今度はそのTが閉店した。そしてその後釜にVが入る・・・。昔あったVと新たに開店したVは、別物なのか、リベンジなのか、果たして?
愛飲している volvicをコンビニで買ったなら、ボトルの首になにやら巻きついていた。また何かの販促キャンペーンが始まったのだろう、どれどれ。
MIVA コレクションプレゼントとな? で、これはキーホルダータイプ・・・。
こういったキャンペーンにはなるべく乗らないようにしている私。たいした興味も湧かずに開封してみると、どうやら紹介されている全12種類のキャラクターの中にあって1種類だけ隠されているシークレットキャラだったようだ。
「出遭えたあなたは、とてもハッピー!」なんて文字も躍っていた。いや、嬉しくない。私ゃ集めたいとも思っていないし、第一、こんな事で運を使いたくないのだ。
反対に、集めたいと思うと、望むブツがなかなか手に入らないんだろうな。
月曜深夜のお楽しみの一つだったテレビアニメ「ジパング」の、当地での放送が終わった。
原作はまだ講談社のモーニングで連載中(だと思う)。
だが、アニメ最終回ではこれから広がるストーリーの少しをかいつまんだだけで、なにやら無理やり風呂敷を畳んでしまった感がある。言い換えるなら、残尿感 か。
これからが面白いのに、と期待していたら・・・、嗚呼、最終回。
テレビアニメじゃこの辺で切るのが妥当だったのかもしれないが、同じタイトルで放映するのなら「機動警察パトレイバー」のように、もっと微妙に違う世界観、シリーズでやってくれた方がよかったのに。
さらには、既に完結している「沈黙の艦隊」をアニメ化してくれた方が・・・、とボヤキは尽きないが、まぁ、面白かったからイイか。アニメ化されただけでも良しと考えないと。
流石にこのアニメは、日本から輸入してアフレコしたのを自国の作品だとのたまうような国じゃ流せないだろう。
4月25日昼前に @nifty のサイトに赴き、メールチェックしようとするが、なにやらメールサーバーがぶっ飛んでしまっていたらしい。チェックできない。ヤフオク取引での入金完了メールも送れない。
やや怒りモードへシフトしつつ、Hotmail を使って何とか入金完了メールは送信することができた。
その合間、ニュースのトピックの見出しだけを見るでもなく見ていた。その中には「福知山線脱線」も。
まぁ、日本国内での脱線事故は大したことはないだろうと思ってそのままシステムを落とし、出勤した。出勤途中のクルマの中で流しているFMでも、脱線の話を聞くことはなかった。そしてそのままシゴトだ。
事の重大さ、激しさ、酷さを知ったのは、休憩時間に見たテレビで。
普段なら「どさんこワイド207」で料理だったりお絵かきゲームだったりが流れるのだが、その時は北海道での企画はほとんどつぶれ、福知山線の列車脱線事故の報道特番に置き換わっていた。
その映像を見ながら、何でこれほどひしゃげるのだ、原因は? 列車妨害なんじゃないのか? この報道は酷すぎないか? なんて思い、さらには、昔住んでいた田舎での貨物列車脱線事故を思い出した。
田舎といえどもそこは鉄道の要衝。駅構内は照明塔もあって夜も明るい。明け方は、操車場で貨物列車の入れ替え作業に伴う汽笛の音や、連結器のぶつかる音、それと一緒に聞こえてくるはスズメのさえずり。たまに朝早く目覚めても、毎日聞こえるそんな音は耳に心地よかったりしたもんだが、そんなある日。
いつもとは違う、いつも以上に激しい轟音で叩き起こされた。
窓から見ると、駅構内で貨物列車の編成の一部が脱線し、傾いていた。そのまま朝食をとり、その光景を見ながら学校に行ったっけ。
学校が終わってその現場に戻ってきたときには、何事もなかったかのように片付いていた。ただその場所には、白黒のポラロイド写真が何枚か落ちていたなぁ。拾って持ち帰って怒られたことも思い出した。
翌日、新聞にこのことが載っていないかと読んでみるが、その記事を見つけることができなかったのはなぜだろ?
そんな過去から戻りテレビ画面に意識を向けると、嗚呼、昔見た脱線とは比べようもない大惨事。
亡くなられた方の冥福を祈るとともに、一刻も早い原因究明や再発防止策、もしこれが列車妨害ならば、卑劣な犯人の逮捕を願ってやまない。
が、軽量車体じゃなかったらもっと被害が少なかったんじゃ? という話は、正直どうなんだろうという思いもあったり、する。
今シーズン初めて、F1中継を見た。
ニュースなどで2レースでエンジン一基とか、タイヤ交換ナシ、トヨタがジョーダンにエンジン供給などは知っていたが、改めてテレビ画面でそれを見ると、慣れないばかりにちょっとばかり妙に感じた。が、数戦見ることでその奇異感は解消されることだろう。
それより恐ろしさと凄さを感じ入ったのがレース終盤でのバトル。ルノーを駆るフェルナンド・アロンソと、フェラーリのミハエル・シューマッハの10周以上に渡ったガチンコ勝負は、一時も目を離せない、息詰まる接戦だった。
地上波だったので、おそらくいろんな所でハサミが入っていたことだろうが、そのことを差っぴいてみても、至る瞬間で体が泡立ち、震えが走った。
それは、一昔前のモナコGP、アイルトン・セナとナイジェル・マンセルのバトルにも勝るとも劣らない名バトル。
これぞ世界最高カテゴリーの勝負だと感じ入った次第。
録画していなかったことが少々悔やまれる。
イベント用 CD-R 作成に伴う HDD 内容量確保のため、いろんなファイルを覗いては消し、整理したその時、いつ何のために作ったのか分からないテキストファイルを発見するに至った。
ファイル名「乳メール」。作成日時は2000年4月11日 2:35:42。
内容は以下の通り。
”乳メール”
1)普通乳 ( 。)( 。)
2)でか乳 ( 。 )( 。 )
3)もっとでか乳 ( @ )( @ )
4)寄り乳 (q )( p)
5)ちょっと乳 | + + |
6)おとこ乳 | . . |
7)相撲乳 (. .)
8)よせてあげ乳 ( Y )
9)たれ乳 U U
10)もっとたれ乳 V V
11)超デカ乳りん (◎)(◎)
12)ストリッパー乳 (★)(★)
13)ホルスタイン乳 (。λ。)
14)だっちゅうの乳 \)(/
いつ何のために作ったのか、自分自身皆目見当もつかない。おそらく、どこかで見かけたのをコピーしたのを残したものであろう。
長くパソコンを使っていると、このように、自分でも忘れているファイルが時として発見されるものだ。
HDD 乗り換えの機会があったにもかかわらず、このようなファイルが残されているということは、何らかの必要性を感じたからなのだろう か。
「だっちゅうの」があることが、歴史(????)を感じさせる・・・。
4月22日昼前。
寝起きが悪い私は、一度目が覚めたら枕もとに置いてあるラジカセのスイッチを入れる。スピーカーから流れてくる放送で、寝起きでテンションが相当低い状態でも時間がわかるという寸法だ。
そして、オフタイマーをセットして、そのまま出勤モードに入り部屋を開けても、ラジカセは指定の時間が過ぎると切れるようにしてあるのだ。
そのラジカセがすごいことを語り出して、二度寝を決め込んでいた私を一気に現実に引きずり出したのだ。その内容は、以下に丸ごと引用した記事の通りなのである。
ポール牧さん:
飛び降り自殺か 「最近、落ち込んでいた」
22日午前4時50分ごろ、東京都新宿区西新宿6のマンション敷地内で、タレントのポール牧さん(63)=本名・榛澤一道(はんざわかずみち)=が倒れているのをタクシー運転手の男性(55)が発見し、110番した。牧さんは病院に運ばれたが、間もなく全身打撲で死亡した。警視庁新宿署は、マンション9階の自宅から飛び降り自殺をしたとみて調べている。
調べでは、牧さんの自宅の窓が開いており、玄関は施錠されていた。ベランダのさく(約130センチ)を乗り越えたような跡があり、高さ約30センチのゴミ箱を踏み台にしたとみられる。白のブレザーに黒のズボン姿で倒れていた。牧さんは1人暮らし。遺書は見つかっていない。
21日夜は、仕事を終え食事をし、男性マネジャー(53)とタクシーに乗って午後9時ごろにマンション前で別れたという。マネジャーは「最近、仕事が少なく落ち込んでいた」と話しているという。【佐々木洋】
◇
牧さんは北海道出身。実家は禅寺で、10歳の時に得度した。その後、喜劇役者を目指して上京。牧野周一門下となり、榎本健一、はかま満緒のもとでキャリアを積んだ。68年、関武志とコントのコンビ「ラッキー7(セブン)」を結成。独特のポーズで両手の指を鳴らす「指パッチン」で人気を得た。84年の関の死去の後も、テレビ、舞台などで活躍し、喜劇の劇団を主宰した時期もあった。96年、兄の死をきっかけに出家した。
英訳はこちら
http://mdn.mainichi.co.jp/news/20050422p2a00m0dm007001c.html毎日新聞 2005年4月22日 11時17分
私は別に、ポール牧さんに対して特に思い入れがある人間ではないが、一頃、熱病のように浮かれて燃え上がった明和電機の製品の一つ、パチモクのVer 3.0 にポール牧氏のサインが記されていたことに訳も分からず驚いた、なんてことがあったりしたくらい。
あ、そういえば、キンカップなる栄養ドリンクのテレビCMで、ポール氏が盛大に指パッチンをしていたこともあったなぁ。参考までに検索をしてみても、ろくすっぽヒットしなかったのは何故だ?
さてポール牧氏。
仕事が少なくて落ち込んでいたからって、何も死ぬことはないだろう、と思ったり。
そのヒトがそこにいるだけで、それだけでありがたいと思うような、そんなヒトでもあったろうに。
それよりなにより、出家して僧侶になったヒトが自ら死を選ぶことって、アリなのか、なんてことも考えたり。
それにしても残念である。
最近いろんな所で見かけるようになった「人生の経験値」を、遅ればせながら私もやってみた。
入院 X
骨折 X
献血 ○
失神 △
結婚 X
離婚 X
フーゾク ○
しゃぶしゃぶ ○
エスカルゴ X
万引き X
補導 X
女を殴る △
男を殴る ○
就職 ○
退職 ○
転職 ○
アルバイト ○
海外旅行 ○
ギター ○
ピアノ X
バイオリン X
メガネ ○
コンタクト X
オペラ鑑賞 X
テレビ出演 ○
パチンコ ○
競馬 ○
ラグビー X
ライヴ出演 X
合コン X
北海道 ○
沖縄 X
四国 X
大阪 ○
名古屋 X
仙台 X
漫画喫茶 X
ネットカフェ X
油絵 ○
エスカレーターを逆走 ○
フルマラソン X
自動車の運転 ○
バイク運転 X
10kg以上減量 X
エステ X
交通事故 ○
電車とホームの隙間に落ちる X
お年玉をあげる X
ドストエフスキー X
大江健三郎 X
ゲーテ X
一万円以上拾う ○
一万円以上落とす X
徹夜で並ぶ X
金髪 X
ピアス X
50万円以上の買い物 ○
ローン ○
両国国技館 △
日本武道館 △
日清パワーステーション △
横浜アリーナ X
ラヴレターをもらう X
手術 X
選挙の投票 ○
イヌネコを飼う X
一目ぼれ ○
幽体離脱 X
前世の記憶 △
ヨガ △
OSの再インストール ○
ヴォイスチャット X
先生に殴られる ○
廊下に立たされる ○
徒競走で一位 X
リレーの選手 ○
メルヴィル X
妊婦に席をゆずる X
他人の子どもをしかる △
20過ぎてしらふで転ぶ ○
コスプレ ○
ジャケ買い ○
同棲 X
ストリート誌に載る X
2メートル以上の高さから落ちる ○
ものもらい ○
学級委員長 X
ちばあきお X
ちばてつや X
岡崎京子 X
南Q太 X
恋人が外国人 X
治験 △
補足ネタを以下に少し。
女を殴る △
中学時代に友人と、新聞紙を丸めて作った刀でチャンバラをしていたら、誤って傍にいた女の子の顔面を殴ってしまったことが・・・。
テレビ出演 ○
地元のイベントを家族で見に行ったら、そこにニュース番組らしき撮影クルーがいた。無視してステージを見ていたら、横から撮影用スポットを浴び、写されていた。後日、知人に「映っていたよー」と言われたが、自分では見ていない。
セルフスタンドで給油中にニュース番組の取材を受けたことがあるが、その時は「使わないでくれ」と撮影クルーに頼み込んだり。
一目ぼれ ○
札幌、大通り公園を歩いていたら、向こうからすらっとして、長い黒髪がきれいな美人、というより麗人がやってくるのを見た。魂が抜かれたようにぼうぅと見つめていたら、少しの間だけ視線が絡み合った気がした。でも、すれ違ってそれだけ。
前世の記憶 △
荒涼とした寒いところに住んでいたんじゃないのか、という思いは、ある。
OSの再インストール ○
マシンが不調になる度にやっていた。
先生に殴られる ○
しょっちゅう殴られていた。凶器で。
廊下に立たされる ○
上記と付随して。
他人の子どもをしかる △
スーパーで暴れているガキお子様の耳元で、ぼそっと脅したことはある。
20過ぎてしらふで転ぶ ○
冬場は結構ある。
ジャケ買い ○
失敗も成功もあり。
2メートル以上の高さから落ちる ○
結構何ともないもんだ。
今日こそは早く寝て、その流れで明日は早く起きて職安を覗いてきたいと思っているのだが、某クルマイベントのBGM用CD-R作成のために「この曲の次はこれにしようか、いやこっちが」なんてコトをやっている始末。
このCD-R作成、ハマると一日二日は有にかかってしまう。
さらには、以前作ったCD-Rと曲目をダブらせないようにしているため、手持ちのCDだけでは足りなくなりつつあったり。かといって、自分の趣味を丸出しにしたら、おそらくBGMとしては使えなくなってしまうだろうし。
こう悩むのもまた楽しかったりするが、嗚呼、早く寝ないと。
あ、昨日書いた仕事場に吹く風は、日が変わっても吹いていた。
寒いから止めて、と直訴したら、明日でいいか? だそうだ。
明日は明日の風が吹く、なんてオチにならないよう、心底願うばかりである。
4月19日の札幌は、いかにも張るといったようなぽかぽか妖気・・・・・・、いかにも春といったようなぽかぽか陽気であった。出勤のためドアを開けて外に出た途端、天気のあまりの穏やかさに 四五と生きた区ねー・・・・・・・・・、シゴト行きたくねー、とさえ思ったくらいである。
だが、その穏やかでぽっかぽかな気分でいられたのもシゴト場につくまで。
シゴトに取り掛かろうと思ったならば、なぜか感じるやや寒い空気の流れ。また体調を崩したための寒気か? 否、めくった書類が何かの拍子で飛ぶではないか。明らかに風が吹いていた。室内に。
天窓でも開けたヤツがいるのか? いや閉まっている。
出入り口を開けっ放しにして、何かを搬入している、・・・気配もない。
その風を極力無視する方向でシゴトに打ち込むが、書類をめくっている最中に変にタイミングが合うと、めくった書類が少し離れたところまで飛ぶ。
それでも、前半は何とかシゴトを終えることができた。
休憩をはさんで後半。
しばらく休んだため、風に当たると冷えた体がさらに冷える。
白衣の、まくっている袖を下ろしてみても、やっぱり寒いものは寒い。
あまりの居心地の悪さに、上司に「この風どうにかならんか」とやや丁寧に申し述べてみると、エアコンを入れたんだろ、とにべもない。
はぁ? エアコンを入れるほど室内は暑いってか? いくら外は陽気が良くたって、日が暮れれば寒くなる。が、外が寒くなっても室内はそのまま冷気の風を流すのか?
以上のようなことを思いつつ、上司が帰る時にその冷房を切ってくれることを期待したが、甘かった。
そのままシゴト終了まで冷たい風を浴び、挙句鼻水も出始めた。
もうちょっとドカーンと寒いほうが、まだ体的、気持ち的にも納得がいくのだが、こう、微妙に寒い、薄ら寒いと、体もどう対応するべきか迷うみたいだ。
なので熱い湯にガっと浸かって、そのまま寝る。
鼻水が出始めたこの体、翌朝には持ち直してくれるといいのだが。そして、翌日のシゴト場に冷たい風が吹かないことを願うばかりだ。
きのうアサヒで、アピールしなかった?
*このエントリは、BlogPetの「ちりから」が書きました。
Web上の日刊スポーツの写真を見ると、結構な年だなぁと思ったのだが、記事を読んで、まだ56歳、ウチのオヤジよりも若かったことに驚いた。
そして、亡くなられたのが演奏先の北海道だったことにもまた、びっくり。
私が知っている高田渡の曲は「自衛隊に入ろう」だけなのだが、その中で歌われている一節「アメリカさんにも手伝ってもらい 悪ぅいソ連や中国をやっつけましょう(下線部は小声)」が、今だったらどう歌われるだろうか、なんてことも思ったり。
ソ連は今はないからいいとして・・・。
反日デモや資源を横取りするあの国や、データを捏造だとするあの国だったり、するのかも。
自衛隊は専守防衛のための力だからして、やっつける、なんてことはないんだろうけど。
日本フォークの草分け、高田渡さん死去
日本のフォークの草分け的存在で、「自衛隊に入ろう」などで知られる歌手の高田渡さん(たかだ・わたる、本名同じ)が16日午前1時22分、北海道釧路市内の病院で心不全のため死去した。56歳。今月3日に北海道・白糠(しらぬか)町のライブ後に倒れ、救急車で釧路市の病院に運ばれていた。岡林信康らとともにフォーク草創期を担い、70年安保の時代に若者の熱烈な支持を得た。高田さんは今月3日、北海道・白糠町の社会福祉センターで行われたライブに出演した。開演前から足がふらつくなど体調が思わしくなかったが、「生活の柄」など約15曲を約1時間歌った。その後、同町のホテルに宿泊したが、深夜に体調が悪化し救急車で隣の釧路市の病院に運ばれ入院。その直後に意識も混濁した。東京から夫人も駆けつけたが、意識が戻ることなく、16日未明に息を引き取った。
定時制高校に通いながら東京で音楽活動を始めた。60年代に京都に移り、岡林信康、高石ともや、中川五郎らとともに関西フォークの中心的存在になり、フォーク草創期を担った。68年に自衛隊を皮肉った反戦フォーク「自衛隊に入ろう」が注目を浴び、翌年アルバムデビュー。「三億円強奪事件の唄」「しらみの旅」「自転車に乗って」など世相を風刺した歌詞と、つぶやくような弾き語りスタイルで「日本の吟遊詩人」とも呼ばれた。伝説の野外コンサート、中津川(岐阜)フォークジャンボリーには69年から3度出演している。
70年代以降は東京・吉祥寺を本拠にし、なぎら健壱、山本コータローら多くのフォーク歌手に影響を与え、細野晴臣、松本隆がバックを務めたこともあった。80、90年代は酒の飲みすぎで体調を崩しライブ中に寝込むこともあり、一時活動を停止したが、00年ごろから酒量を控えて回復。各地の小さな会場を回って歌うツアーを行った。
金鳥のCMに出演したり、CMソングも手がけたが、生活は質素だった。吉祥寺の2間のアパートで暮らし、CDプレーヤーもなかった。昨年4月、高田さんの日常生活を追ったドキュメンタリー映画「タカダワタル的」が公開されるなど、若者にも再評価され、今月30日から吉祥寺バウスシアターで再上映が決まっていた。長男の高田漣(31)もミュージシャンとして活動している。
16日に親族だけで密葬を済ませ、後日「お別れの会」を開く予定。
[2005/4/17/09:42 紙面から]
東京新宿歌舞伎町のコマ劇場の一角に、クイーンのボーカルだった故フレディ・マーキュリーの像が設置されたそうだ。
が、元記事の見出し「英ロックGの故フレディ・マーキュリーの像設置」のGってなんだ?
クイーンだったらQではないのかな。私が知らないクイーンと「G」の繋がりも、あるのかな。
クイーンのコピーバンドで「グイーン」というのは聞いたこともあったのだが。
雑記帳:
英ロックGの故フレディ・マーキュリーの像設置
◇東京・新宿歌舞伎町の地元商店街組合などでつくる「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」が17日、新宿コマ劇場の一角に英国ロックグループ「クイーン」のボーカルだった故フレディ・マーキュリーの像を設置した。
◇銀色に輝く高さ約3メートルの鉄骨製。代表曲をベースにした同名のミュージカル「WE WILL ROCK YOU」が同劇場で公演される8月末まで置かれる。
◇悪質風俗店の摘発にいっそう弾みをつけるため、「勇壮な曲のイメージがぴったり」と同区役所。「健全に歌って舞える町」に変われるか。【工藤哲】
毎日新聞 2005年4月17日 22時49分
日曜日の起床時間は18時。これからどうしようかと思いつつ報道番組を見て、チャーハンを作りながらアニメを見て、パソコンに向かいながらナイターをつけっ放しにして、そしてこの時間に至るのだ。
いつもの生活リズムなら昼前に目覚め、それから無理やり布団から体を引き剥がして出勤となるのだ。が、休日ともなると一度目覚めてもまた眠り、さらに目覚めてもまた眠り、も一度目覚めてもまた眠り、そんなことの繰り返し。そしてそのうちに、夢か現実か一瞬判断できないようになり、そんな世界で意識を遊ばせるのが好きなのだ。
だが、そうしていると夜眠ることが困難になり、布団の中で身悶え、よじり、のた打ち回る。過去にいろんな習慣を絶ってきても、この習慣を絶つのはちょっと難しいかもしれない。休日ごとに何かしら予定を入れることできればいいが、それを行うと体が持たない気もするし。
こうして日曜日は残り1時間となる。
さぁ、風呂に入って明日の準備をして、気合を入れて床につくことにしようか。
あ、明日の日付分のネタも、なんとかしておこうか。
シゴトが終わって帰宅して、メシを食いながらテレビをぽちっとな。
・・・・・・、なんで小林旭が「カクテルパートナー」のテレビCMで自分の持ち歌「自動車ショー歌」の替え歌を歌っているのだ? アサヒビールのサイトによると、その歌は「カクパーショー歌」だそうな。
小林旭が「自動車ショー歌」の替え歌を披露
俳優、小林旭(66)が缶入りカクテル「アサヒカクテルパートナー」(アサヒビール)の新テレビCM『ガーデンパーティー』編=写真=のCMソングで、ヒット曲「自動車ショー歌」の替え歌「カクパーショー歌」を披露する。
13日から放送のCMは同商品の初夏限定缶「プラムガーデン」の新発売にあわせ製作されたもの。♪狙ったあの娘とガーデンパーティー、カクパー使ってアピールだ…と「自動車ショー歌」の替え歌をバックに、ひょうきんな主人公が同商品を飲みながら、かわいい彼女にアピール。しかし彼の後ろには腕を組んだかっこいい彼氏が立っているというコミカルな作品。今年芸能生活50周年の小林が自ら「自動車-」の替え歌に挑戦するのは初めてで注目を集めそうだ。
ZAKZAK 2005/04/13
最近、妙に耳に引っかかるテレビCMが多いような気がする。
ちなみに「自動車ショー歌」の替え歌は、3年前の冬、飯島直子がキリンビールの「白麒麟」でもやっていたな。
元ネタに私のオハコでもある「自動車ショー歌」を使うとは、企画、ゴーサインを出したヒトの中にもオハコのヒトがいたりして な。
cobraさんところで紹介されていたYMOネタ。
凄腕ギタリスト、押尾コータロー氏が毎日放送でやっている(のかな?)「押尾コータローの押しても弾いても」の「まかせんかい!アレンジャー!!」なる企画がインターネット配信されているのだが、その最新のがYMOメドレーなのだ。
頭に入っているあんな音やこんなメロディが、ギター一本で演奏されてしまうというこの驚愕の事実。百聞は一見に如かずだ。YMOを知っているヒトは今のうち、聴けるうちに絶対に聴いておくべきだと思う。
更新されたら、最新のに上書きされちゃうから。
損はしないから。多分。絶対。
私は、サーカスのテーマでぶっ飛んだ・・・。
なんとかして、これ、保存できないかなぁ(ぼそ)。
我がクルマにブーストメーターをつけたことは、先に書いた通りである(あれ? この始まり方は・・・)。
取り付け位置はメーターナセルの左上。そこに、ブーストメーター用のホルダーを、両面テープで貼り付けたのだ。
しかし、事前処理が悪かったのか、両面テープの接着力不足か、あるいはその両方かで、出勤でクルマに乗り込んだらブーストメーターは床にゴロン。シゴトが終わって駐車場へ行き、クルマに乗ったらブーストメーターが床にゴロン。
帰宅するためエンジンをかけ、床に転がっていたメーターを所定の位置に戻し、スモールランプを灯す。が、ブーストメーターのイルミネーションが灯らない。
付けてはゴロン、つけてはゴロンをやっているうちに、メーター内部の電球が切れたか、配線のどこかで断線したか、どちらかだろう、そう思った。
とりあえずそのまま走り、シゴト帰りにいつも立ち寄るスーパーの駐車場でトラブルシュートを試みた。ら、ブーストメーター背面から出ているイルミ用配線2本のうち1本が根元からちぎれてしまった。
そして、ブーストメーター取り外しのため、とりあえず、イルミ配線を延長していたコードを端子部分で分けたのだが、その瞬間、ショートさせてしまう始末。
なんでこうも悪いことが重なるのだ?
カーステからはラジオの音声が流れている。エンジンもかかっている。が、スモールランプが灯らない、スピード、回転、燃料、水温のメーターが納まっているメーターパネルの照明も点かない。
ヘッドライトは灯るが、ブレーキを踏んでもブレーキランプは灯らない。
こんな状態で夜中に走れば、いつぶつけられてもおかしくない。相当ヤバイ状態ではあった。
ヒューズが飛んだと思って、運転席足元の上に下向きについているヒューズボックスを開けて、どのヒューズが飛んだのか、調べてみた。
シートを一番後ろまで下げ、ドアを開けて地面に膝をつき、頭をカーペットに押し付け、懐中電灯で照らしながら、ヒューズを引っこ抜いて確かめて戻し、を繰り返した。
そしてようやく、飛んだヒューズを確認、以前買って工具箱の中に入れてあった同規格のヒューズと交換し、復活である。
↑切れたヒューズ
でもこれ、マジで夜中にやる作業ではない。
暗くて手元が見えにくいわ、スーパーの駐車場との事で、横の車の動向も気になるし。
ちなみにその作業中、カーステの音が無くなり、落ちた事もあった。どうやらそれようのヒューズだったらしい。復活後、放送局のプリセット、音響効果の設定、全てやり直した。
アジトに帰宅後、ブーストメーターをバラして修理できそうか観察してみたのだが、どうもそれは無理のようだ。配線の根元のゴム栓を外してみたら、一応、ちぎれた配線の残骸が残ってはいたのだが。それをどうすれば生かせることができるだろうか。
なので、ヤフオク巡りか解体、中古屋めぐりをしないといけないだろうなぁ。
スズキのクルマにスズキスポーツのメーターという事で、純正チックでベストな佇まいだったのに。残念だ。
ブーストメーターを譲ってくださったHさんにも悪いなぁ・・・。
といっても、クルマのワイパーブレードを冬用から夏用に変えただけなんだけど。
ちなみに、タイヤ交換が夏モードシフトへの第二段。でも、夏タイヤもタイヤショップなどで組替えてもらわないといけないのだ。買った時についていてそのまま使いまくり、至る所でゴムが剥離してしまっている びんぼうタイヤ から、冬のジムカーナで頂いたラリータイヤにチェンジする予定。
さて、我がクルマのワイパーはU字フック式のワンタッチ装着なのだが、たまーにしか取り外し、取り付けをしないと、そのワンタッチ部分をどうするべきなのかが分からなくなる。そして、気温が低くってかじかんでしまった指では、その小さなロック部分を押したり引いたりすることも辛い。
少し無理に力を入れてようやく取り外しに至ったのだが、案の定、人差し指にキズを負い、軽く出血した。これは運転席側のワイパー。
助手席側のワイパーは、ワンタッチのロック部分の小さなつまみが、・・・・・・折れていた。
クルマ助手席の下に隠してある工具箱を引っ張り出し、適当なマイナスドライバーで折れたつまみ部分ごとコジって、取り外し成功。
リアウィンドウのは、フロントウィンドウ用のワイパー交換で学習し、特に何の問題もなく付け替え完了。
でも、来シーズンは冬用ワイパーも新調しないといかんなぁ。
これが、以前乗っていたクルマのだったら、ネジ止め式で何も考えることなく・・・、いや、外したネジがどこかに転がっていかないようにしないといけない位の措置は必要ではあったが、車戴工具のドライバーを使うことで簡単に完了したのだが。
このワイパー交換作業を、出勤途中で立ち寄った銀行の駐車場でやるというのは、さて、いかがなものであろうか。
我がクルマにブーストメーターをつけたことは、先に書いた通りである。
そして、このメーターをつけると、右足の動き方がそのまま針の動き方となって現れるのだなぁ、ということをしみじみ感じている次第なのだ。
ほんの少しの空ぶかしでも針はぴょこっと跳ね上がり、その後メーター下端近くの位置まで下がって、またすぐ、アイドリング状態の値に戻る。その値は大体40~50cm/Hgくらい。
走り出せば、まず負圧表示内を行ったりきたり。シフトアップのためにアクセルを抜いた瞬間に針は最下端近くまで落ち、クラッチを繋ぐとさっき指していた数値よりさらに上、そして、負圧表示最大値の「0」へ近づく。
さらにアクセルを踏んでターボを効かせると、針は負圧から正圧を表示するようになり、クルマは弾かれたように加速しだして、首が後ろに引っ張られるようになるのだ。
試しに、アクセルをベタ踏みしてみたら1.0kg/cm^2にも届こうかという感じに針が回るが、すぐにその針は下がり始める。ちなみに、我がクルマの最大加給圧は、公称で1.1kg/cm^2 なのだそうだ。
このメーターの針を負圧の部分に貼り付かせた状態で運転すると燃費にもいいらしい。色々試して色々変な縛りを自らに課して、日常街乗りレベルでどれだけ効果があるか、あるいはほとんどないのか、確かめていきたいと思っている。
が、ブーストメーターの針の動向を注視してその挙句にクラッシュ、というのは避けたいところだな。
書いてあることが何がなんだかさっぱり分からん、そんな方のためにこちらを紹介してお茶を濁してみたい。
ブログで何を書こうか、シゴト中、シゴト上がりの帰路の上、帰宅して食事をしながらテレビを見つつ、ずっと考えていたのだが、とうとう何も浮かばずこの時間である。
何かオチのある私好みのニュースはないかとネットを徘徊してみるも、なかなかそんなネタはなく、いや、ススキノで中学生がホスト、なんていうニュースに「おぉ?」となったが、個人的にはこれをネタにして練って広げたくはないのだ。
こうしてモニターに向き合い、キーボードに手を置いていても、文章は出てこない。
そして、時間だけがゆっくりと、確実に流れ去る。そんな午前4時過ぎ。
夜明けにはまだ早いが、窓の外に見える空はもう群青色。
嗚呼、もうとっとと床に入って寝てしまおう。ちょうど暖房機のタイマーも切れたことだし。
4月10日日曜日。
ジムカーナ仲間のビートオーナー氏のロールケージ取り付けと、我がクルマへのブーストメーター取り付けをネタとするチューニング・オフのため、朝もはよからそぼ降る雨の中、技術指導 兼 執刀医 兼 低燃費5時間耐久サバイバルレースのチーム監督、Sさん宅へ赴いた。
が、この雨の中でロールケージ取り付け作業を行うのはあまりにコトだという事で、ビートオーナーのIさんの地元シゴト場の秘密基地へ移動する事となった。
と、その前に、仮に我がクルマにブーストメーターへの仮取り付けを、技術指導のSさんにほぼ「やっていただいた」。
負圧が発生するエンジンルーム内のホースを分岐し、買ったバキュームホースを繋ぎ、それを車室とエンジンルームの間の隔壁穴に通していただいたのだ。
あとは、Iさんの秘密基地での作業ということにして、技術指導 兼 執刀医 兼 チーム監督所有の各種工具とその本人を乗せ、ビートとともに走り出す。
久しぶりに走るそっち方面は、道の変化周囲の変化に驚きつつも、比較的スムーズに走ることができた。仮接続のブーストメーターは、技術指導 兼 執刀(以下略)の膝の上にあって、見ることができなかったのが少々残念だったり。
聞くと、瞬間最高ブースト圧が0.9キロを示したとの事で、その針の動きを見つつアクセルワークに気をつけたら燃費も良くなるかも、とココロザシの低い考えに取り付かれた。
途中、ホームセンターで必要な品を数品買出し、それから秘密基地へ。
電動シャッターで雨風をしのげてコンクリの床、電源も取れてクルマいじりには最高のシチュエーションだったが、Iさんのシゴト場のエライ人に見つかるとうるさいそうな・・・。
そんなところに、ビートと我がクルマを入れ、シャッターを閉め、いよいよ作業開始。
我がクルマから各種工具を降ろし、ビートの内装を引っぺがし、ロールケージへパッドを巻きつつ仮合わせ。
おおよその合わせ方を知った後はビートへの取り付け準備のため、床への取り付け部分のアンダーコートを剥がし、そこに合わせて位置を決め、取り付けボルト用の穴を開け、取り付けつつ組み立て、という段取りだ。
と、書くは簡単だが、ロールケージの取り付けは、仮組みをして合わせてはバラして位置を決め、とそんなことの繰り返しなのだ。そして、位置決めの際には思いっきりテンションをかけないと取り付けた後にガタつくため、渾身の力をこめて引っ張る引っ張る。
メイン作業を行う技術指導 兼 (略)は、内装を剥がしたビートの中で、横で、這ったり振るったり、突いたりと大忙しである。Iさんは、Sさんの補助をし、私はそんな二人のさらに補助、あるいは写真撮影など。
後に、技術指導(略)が草レース沼に引き摺り込むことに成功したGさんも合流し、ビートの横で、上で、下でネジを締めたり工具を手渡したり、ケージを引っ張ったりバカ話をしたりで、組み付け終わったのが秘密基地について作業を開始してからほぼ6時間後のこと。
モータースポーツショップなどで工賃2~3万でやってもらうのは、この作業内容を見て安いなぁと思った次第。
また、オープンカーだったからこの程度の時間で済んだとも。
我がクルマのような箱型車だとしたら、さらに面倒くさいことだろう。Gさんが冗談めかして屋根を切断してからケージを組み、終わった後に切断した屋根を溶接する、なんて話をしてくれたのだが、あながちこれは冗談ではないようだ。
ビートの内装復活作業の傍ら、私はブーストメーターの取り付け、イルミネーション配線の施工。電工ペンチを駆使して、ネキネキと細かな作業の始まりだ。
ただ、何度やっても接続端子の圧着作業はミスってしまうのだ。この辺は今後作業する時までに改善しないとイケナイ。
さらに、買っておいた配線まとめチューブの直径が小さくて、バキュームホースと配線が一緒にまとめられなかったのは残念だったり。これはまた、今度時間の余裕がある時にでも改善、修正しよう。
メーター本体は、両面テープでメーターフード左上に取り付け、走っている時に針の動きをチェックできるように。
あと、この作業の内容を、放置している我がサイトのネタとしてアップもしないとイケナイな。ふぅ、やること結構あるなぁ。
帰りは、技術指(略)を乗せ、彼の本業のシゴト場から借りてきた工具を返すために寄り道し、家まで送って終わり。
そこから、我がアジトまでの帰路は、ちょっと道を間違えて、シゴト場そばまで遠回り。
帰着は20時30分過ぎ。
そんないい経験をすることができた日曜日。
これは、いつの頃からかずっと思っている疑問だ。
多分、質量保存の法則を知ってしばらく経ってから思いついた、そんな疑問なのだ。
たとえば、10トントラックの最大積載量は10トンだ。そんなトラックにいろんな物を積み込んで、10トン一杯になったとしよう。
そのトラックが走り出したら、10トンの重さは増減するか? 増えるならどこから増える? 減るならどこに消える?
じゃ、この10トントラックを地球に置き換えてみよう。
大量の海水、海水中に住む生物。陸地、陸地に住む動植物(人間含む)。大気。それらの全てをひっくるめた重量を、仮に10トンとしてみよう。
もしその10トンが増減しないなら、現在60億人とも言われていてこれからも増加する一方の人類全ての重さは、これからも重くなるだけなのか?
人類の重さが増えた分は、絶滅していく生物や、消えていく森林などで賄われているのか?
地球トラックが、完全な閉鎖系なコンテナ車だとしたら、その「箱」の中で他の「荷」を食いまくって好き放題やらかした人類は、増えた後でどうなってしまうのだろう。
40年の間無免許で運転し、人身事故を起こしたおっさんが現行犯逮捕されたそうだ。
それまでは無事故無違反で、一般的には優良ドライバーだったそのおっさん。ちゃんと免許を取得していれば、ホントにゴールド免許だったのにな。
ん? 無免許発覚を恐れるあまり、優良運転をせざるを得なかった、と考える方が妥当か?
現行犯逮捕:
40年間無免許の男、ついに人身事故
「実は40年間、無免許でした」。川崎市麻生区で6日、人身事故を起こした男が道交法違反(無免許)と業務上過失傷害の容疑で神奈川県警麻生署に現行犯逮捕された。それまでの約40年間は無事故・無違反の“優良ドライバー”だった。
逮捕されたのは同市麻生区高石4、建築板金業、池上昭八郎容疑者(61)。調べでは、池上容疑者は6日午後6時5分ごろ、同区高石1の県道で軽トラックを運転中、右折の際に横断歩道を渡っていた同区千代ケ丘6の主婦、能勢エミ子さん(78)をはね、2カ月のけがを負わせた疑い。池上容疑者は駆け付けた同署員に「無免許で事故を起こしてしまいました」と、うなだれたという。
池上容疑者は「20代のころ教習所に通ったが、免許を取らないまま運転していた」と話し、板金業の仕事で日常的に車を運転していたことを認めているという。一緒に仕事をしている長男(37)も、父親が無免許とは知らなかったらしい。最近は長男が運転することが多く、この日はガソリンスタンドに給油に行くところだった。同署は「40年間も事故や違反がなく、無免許が発覚しないのは極めてまれ」と驚いている。【野口由紀】
毎日新聞 2005年4月7日 21時37分
私の無免許運転経験は・・・・・・、実は数回ある。
最初は、父親が大型免許を取るだったか、限定解除するだったかのため、家のクルマで町外れの造成地に行ってシミュレーションしていた時のこと。助手席に乗っていた私に「お前もやってみるか」とハンドルを任されたのが始まりだった。
当時中学生だった私。一応、クルマの知識はそれなりにあった。
クラッチを踏み、ギアをローに入れて発進、・・・・・・・・・・・・、できなかった。エンストの嵐だった。
左足はゆっくり上げるんだ、と父親の指導が入る。こっちはゆっくり上げているつもりなのに、あるところまで上げたらガックン。そんなことの繰り返しだった。
ようやく走り出す事ができた。しばらく造成地内をぐるぐる走っていた。車両感覚もないため、頻繁に路肩からはみ出している背の高い雑草をこすったっけ。
そうこうしていると今度はオヤジ、シフトアップせよ、という。
やった。右足と左足、左手の連動がまったくかみ合っていないのに、ローからセカンドに入れた。一瞬、リアタイヤがロックし、路面にちょっとだけブラックマークがついた。
後日、友人と連れ立ってその場に赴き、この跡はボクの、なんて言ったことを思い出す。
あとは、免許取得のために教習所に通っていた時、町外れでオヤジが課外講習をやってくれたのだが、まぁこれは、多分問題ないだろう。
オマケとして、友人ゴリ宅で、彼のオヤジのミニバイクをネタに遊んでいた時、エンジンをかけようと無知なりに試したことがあった。
キーを回してキックする。かからない。キックのついでにアクセルを開ける。それでもかからない。
ん? 何だこのつまみは? それを引いてキックして、アクセルを開けたら、かかった。 そのつまみはチョークだった。
全身の毛穴が開く興奮があった。
が、エンジンがかかっただけで満足して、キーを回してエンジンを切った。
しかし翌日、学校で友人ゴリがそのことを過大に言いふらした挙句、とうとう最後には無免許でバイクに乗ったことになった。その話が担任の耳に入り、呼び出されて、やんわりとしたヤキを入れられたこともあったなぁ。
最近、記憶の回路が錆び付いてきているような気がしてならない。
たとえば、人の名前が思い出せない、とか。
例をあげてみよう。ま、タイトルなのだが。
その人に関する情報は、名字が井上、グラビアアイドル(?)、水泳をやっていた過去、肩幅が広い。
今では、井上というグラビア系は井上和香なのだろうが、私が知りたいのはそれとは違う。
ネットで検索をかけると、多分、比較的スムーズにその思い出したいのに思い出せない、記憶の便秘状態は解消される事だろう。が、今回のこの事に関しては、ネットを使わず、今自分の頭にあるものを色々試して、何とかその記憶の便秘を解消させたいと思っているのだ。
そんなことの繰り返しで、記憶の回路の錆びも少しずつ落ちていくといいのだが。
あ、この件に関しては、ご存知の方でも、コメントで教えてくださらなくて構いませんので。嫌がらせをしたい向きは、別に拒みはしない。
4月になってからまた、ガソリンが値上がりした。
シゴト場への行き帰り他、遊びやコミュニケーションの道具、下駄として、毎日クルマを使っている人間にとっては、結構堪える値上げである。
1991年の湾岸戦争勃発当時のガソリン価格にも匹敵、なんて話も聞いた。
確かに、社会人デビューしてクルマを手に入れ、入れたレギュラーが120円だった、なんてことも覚えているな。
それからガソリン価格はじりじりと下がり、パソコン通信にハマるようになった97年ころには、リッター80円、なんて看板も見かけたものだ。が、市内のGSの何らかの協定かで、一夜にして10円以上も値上がりした、なんてこともあったがそれでもまだ、ガソリンは安かった。
時は過ぎ、今のクルマに乗り換えてからは燃料消費量、ガソリン価格などをソフトに入力して記録するようになった。そのソフトを開けると、一番安くて2004年1月の91円。それまでは、いくら高くても100円だった。
それからじりじり値を上げ、2004年3月末まで94円だったのが、月が変わるといきなり101円。そしてさらに値が上がるも、しばらくは109円を維持していたのだが、9月に入ると115円となった。そのまま2005年に突入し114円になって、少しづつ値下がりしてきたかな、100円も切ったな、と思っていたらいきなりまた107円。
107円ならまだいい。なじみのセルフはさらに10円増しだった。なので、ちょっと近い別のセルフスタンドで給油するようにした。
こうもガソリン価格が乱高下すると、安い時に買い占めて、高くなったら売り出したい、なんてことも考えるのだが、それには資金が足りなさ過ぎる。
仮に、私にできるレベルは、20リッターの携行缶で99円の時に買って1980円。そして、107円の時に売って2140円。動かす量が少なすぎるから、動く金額もちょぼちょぼ・・・。
大体、売りさばくルートもないし、何より、シロウトが可燃物を売り買いしちゃヤバいだろう。
さらに、マジでやろうとしたら、先物取引関係に首を突っ込まないといけないだろうし。
私にゃー、無理だな。
昨夜、クルマのエンジンルームの隙間に無理やり手を突っ込んで、ブレーキクリーナーのストロー付きノズルを救出しようとして失敗、なんてことを書いた。
一晩たって無理に突っ込んだ左腕(手首にも)には、まるでカッターナイフで自傷行為をしたかのような、生々しい傷跡がくっきり。
そりゃそうだろう。本来腕を突っ込むようにできていないところに無理して突っ込んだのだから。当然、そんなところには柔らかい肌を引っかく鋭い突起も。
シゴト場では腕まくりをして白衣を着ているのだが、ひょんなことでその傷跡を見た女性は、思いっきりドン引いていた・・・。そして、これは違うと言っているのに、聞き入れてくれないのだ。
私は自傷行為はしない。昔は・・・(?)。
できたカサブタをはがして出血、なんてことは、自傷行為じゃないよなぁ。
日曜日は我がクルマにブーストメーターを取り付けようと思っていた。
土曜日のシゴトが比較的早く終わったので、それの取り付けに必要な情報を仕入れるためにお世話になっているショップに赴いたりもしたのだ。夜は走り仲間とメッセンジャーでその話もした。
明けて日曜日。
目覚めたら午後2時だった。目覚めの時間が遅いと言う向きもあろうが、それはいい。普段の起床時間より3時間だけの寝坊だ。
それから、カーショップへ出向いてバキュームホースを買い、次いでエンジンルームの所定の場所でそのバキュームホースを割り込ませるために三叉を買おうと思うも、我がクルマと買ったホースとに合うブツがなく、別の店に走る事に。
その次の店で欲しいブツをゲットした後、カーオーディオのカタログをぶん取り、めぼしいグッズはないかとうろついて、その店を後にしたのは午後6時過ぎ。
アジトの車庫に帰り着き、そこでブーストメーターを取り付けようかとも思ったのだが、日が傾いたこともあって、ひとまず延期とした。
だが、午後10時過ぎにスケベ心を出した。
バキュームホースだけでもエンジンルームと車室内を分ける壁の穴を通そうと思ったのだ。
ボンネットを開ける。
エンジンルームの汚れが目に付く。
ブレーキクリーナーをその汚れに吹く。
そうしていたら、ブレーキクリーナーのストロー付きノズルが、ポロっと、落ちた。エンジンルーム内に。見ると、手を突っ込んだら何とかなりそうなそんな距離。しかし、どこから手を突っ込めばいいのか分からない。
色々試し、何とか指先にそのノズルが触れた、とその瞬間ノズルが逃げ、より奥に入り込んでしまった。だが、まだ懐中電灯で照らして見える位置にはあったのだ。
また試行錯誤。
そしてまた、指先にノズルが。
そしてまたまた、より奥に入り込む・・・。
今度は懐中電灯の光も届かない・・・・・・。
諦めるに諦めきれず、地面に横になりエンジンの真下に潜り込んだりもしたが、愛しいそのノズルは見えない。
そこでようやく諦めた。
が、エンジンルームの隙間に潜り込んだそのノズルが、何か悪さをしないか、しばらくの間ビクビクしながら過ごすことになる。
つい最近のことだ。
ようやく、先日ここでも書いて上げた、サントリーのウーロン茶「音韻調」のテレビCMを見ることができたのは。
案の定、流れてきたその瞬間に固まって、全身が耳になった。
細野氏のナレーションも心地よく耳をくすぐる。ビデオで録っていたなら、そこだけ何度も見返したくなる、そんな感じの引っかかり方だった。
そんな折、またしても耳をくすぐり、妙に引っかかるナレーションのCMを見かけたのだ。
それはアサヒ プレミアム生ビール「極」のCM。
ナレーションは、日本人よりも巧みな日本語を使い、YMOにも深く関係したピーター・バラカン氏だ。この声を聞いたらすぐ分かる。間違いない(^^;。これも、何度も見返したい、聞き返したいテレビCMだ。が、オチに長井秀和とその決め台詞「間違いない!」があるのはちょっと。ちょとずこけたのは正直否めない。いや、長井秀和は決して嫌いではないのだけれど・・・。
ちりからがたけぴでこも注目したかもー。
*このエントリは、BlogPetの「ちりから」が書きました。
先日ヤフオクをチェックしていたら、私のクルマが世に出たときの記事が乗っている雑誌「K-CAR スペシャル VOL.47 1995年1月号」を発見。入札し、落札に至った。
そして昨日、そのブツが我がアジトに届いた。
梱包を解く間ももどかしく、つい、びりびりびりっと封を破き、雑誌を保護していたビニールも力づくで裂き、ようやくそやつとご対面。食事をとるのも忘れて見入った。
私のクルマに関する記事もさることながら、10年前に世に出た他のクルマの記事、タイヤやパーツの広告、読者投稿ページ、愛車自慢の写真に写っているファッションなどなどが、いかにも10年前だなぁ、と余計なところで感心した。
そしてまた、軽自動車は10年落ちでも全然元気に走り回っているなぁ、なんてことにも気付き、そんなところでも改めて関心した。
こうして我がアジトは、一般的にはゴミ、個人的には資料が集まって視認可能床面積が減少し、主の居場所もなくなりつつあるのだ。
4月1日は嘘をついてもよい、っていつから始まった事なのだろう。
いつの頃からか、ウソかホントか分からないような出来事ばかりになってしまったような気がする。
疑いだすと、テレビやラジオのニュースをはじめ、新聞だって雑誌だって、ネットのニュースだって、信用できなくなってくる。
それは、自分で直接見て聞いて感じて触れた情報じゃないから。
かといって、自分自身すら信用できない、なんてこともある。
しっかり見ていた赤信号を何故か見落とし、スルー、なんてこと、つい4時間くらい前にやらかした。交差する道路にクルマや人はなく、横にあった交番も空で、何事もなく帰ってこられたことは幸いであった。
そんなことから、あらかじめウソと分かった上で騙される、という事はある意味信用、信頼があってのことなんだろうな。
ちなみに、苗字で四月一日と書いて「わたぬき」と読ませるのもあるそうな。
検索してみたら、結構これってメジャーなお話なのだな。
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