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2005年10月

2005.10.31

知らなかったらシアワセ? その弐

こちらからの続き


マシンチェックのためにボンネットを開けてエンジンを見、ジャッキアップして下回りを確認し、ボディを軽く飾りつけをしていると、そんなマシンの至るところから茶色い物体が落ち、割り当てられたピットの地面を染める。

それはサビ

フェンダーをつつけば形が変わり、その分だけ ぽろぽろ 落ちて穴も開く。ボンネットの端をつつけば貫通し、穴が開く。軽量化だ、と言って笑えたが、下回りのメインフレームやサスペンションなどもサビに侵されぐさぐさ状態であったのには、少々引いた。
ほぼ一年間、風雪に晒されっぱなしで、かつその場所が海からそう遠くないところだと、こうも腐ってしまうのか・・・。

ただ、そんなマシンでも5時間ならどうにか持つだろう、と楽観的に考えていたのだ。


スタート時間が迫る。
可能な限りガソリンを詰め、ピットからチーム員全員(今回は4人だけど)でグリッドまで押して移動させる。
運転席には私が座り、助手席にはMさん。スタートダッシュだけみんなしてキチガXみたいにすっ飛ばしていって第一コーナーでコースアウトするマシンがいるから、そいつらを見て指差して笑ってやって、とはカントクからのありがたーいお言葉。少しは気も楽にはなった。

スタート前。まだ誰もエンジンをかけていない。ちょっと重く感じるくらいの静寂。これから5時間一杯、ここには爆音(とも限らない)が響き渡るのがちょっと信じられないくらいの静けさ。ただ緊張感だけが高まり、のどが渇く。この位置に着く前に飲み物を飲んだはずなのに。

エンジン始動。赤信号点灯から青へ。

ギアをローに入れ、クラッチを繋・・・・・・、進まねぇ。ならば、セカンドに入れ、少し吹かしてドンと繋ぐ。そんな瞬間にも、後方グリッドの排気量の大きなクラスのクルマが、右に左に後ろにとひしめき合っている。前にいるのは同じクラスのスーパーチャージャーつきのレックス。それについていこうと思うが、ずんずん引き離される・・・。

そんな状態で第一コーナー。予想したような混乱もなく、各車一気にいなくなった。後ろにいるのは、同じクラスで同じような条件のクルマ、VIVIO バン。それは押さえようとちょっと頑張るけど、少しの後にあっさりかわされ最下位に。

しかしそれで後方が完全にクリアとなり、しばらくは好きなようにコースを走ることができる。大きく回ってなるべく速度を殺さないように、無駄なアクションをせず、スムーズにマシンを動かそう、と考え、色々試す。1分50秒くらいでタイムを刻めるようになる。

サインを見たよー、と手を上げることの他、ピットウォールに寄って行ったり、パッシングをしたりしてリアクションも複数パターン取れるようになる。

前を走っていたシルビアがスピンアウトしていくのを2度、見る。

ちょっとピットからのサインでちょっと良いタイム、1分46秒が表示されると、そのタイムと続けようと欲張り、ちょっととっ散らかったりもした。
コーナー脱出時に少しはらみ、片輪をダートに落とすのも数回。軽くコースアウトして少し土砂をまき散らかしたのも1回。

自分自身にも大きなトラブルもなく、他の参加者の激しいクラッシュなどで黄旗が出るようなこともなく、とにかくオンボロミニカというバトンを助手席に座るMさんに渡す事ができたことは幸いである。


・・・つづく

2005.10.30

知らなかったらシアワセ? その壱

世の中には、知らないでいたほうがシアワセなこともある。
見ないで済むのなら、そのまま済ませてしまいたいことも、ある。


10月30日日曜日。
白老カーランドで行われる低燃費5時間耐久サバイバルレースに、傭兵、あるいはお手伝いとして参加してきた。

全ては、去年の9月26日から始まった。この経験が、サーキット走行の面白さを知るきっかけとなり、機会があれば、都合が合えば、私も一口乗せてもらう事となったのだ。

そのチームの名は「チームほっけみりん」。名前の由来は、・・・知らないということにしておこう。そして、チームがこの燃費耐久に参加したのは、今回ので4度目(か?)。私が参加したのは3度目、だ。

パソコンの試験が重なり参加できなかったのは去年の12月のこのイベント。チーム2度目の参加にあわせてそれ専用マシンを仕立てたのは、チームのエース、Iさん。

廃車置場から引っ張ってきたかのようなボロボロのミニカの内装を取り払い、アンダーコートも剥がせるだけ剥がしたその姿は、ベーシックグレードの軽自動車であってもスパルタンさが極まり、レーシングマシンと化していた。

しかし、12月頭に行われたそのイベントは荒天に祟られ、赤旗中止となってしまったそうだ。

その姿を実際に見たのは年が変わって6ヵ月後、6月5日のこと。しかし、タイミングベルト交換の必要アリ、他にも要メンテ、とのことで、結局そのマシンは使わずじまい。

使ったのはカントクのSさんの VIVIO。
って、私は燃費耐久に参加するのに加給器つきの VIVIO しか運転した事、なかったんだ。

ミニカはそのまま白老カーランドの廃車置場マシン保管所に放置され駐車し続けて、今度は5ヶ月・・・。


2005年の低燃費5時間耐久サバイバルレース最終戦に参戦するからお前も出、とお声が掛かった時は、スパルタンなマシンと化したミニカを運転できることを、正直楽しみにしていた。加給器つきと違って、燃料の心配をせず、アクセルを踏み続けることができるから、表彰台の一角を奪い取ることも可能だろう、と考えたのだ。


時は来た。
今回のメンバーは、カントクSさん、エースのIさん、傭兵2号のMさん、そして私。一人当たり1時間15分相当を走る事となり、かつ、私がスターティングドライバーを務める事となった。プレッシャーに弱く、本番ではいつも足を引っ張ってばかり、と自負している私は、ついつい腹痛のポーズを。


・・・つづく

2005.10.29

懐かしい光景

ネット上を徘徊していたら、昔見た気がするような、あるいは自分の心象風景の一つ、のような、そんな画像を見ることができた。

それは大変に懐かしくて、まるで幼い日の自分がそこにいるかのような思いにさえ囚われてしまう、そんな写真だ。まぁ、確かに幼い頃は夕張線沿線で育ったからなぁ。



気動車はキハ22。一昔(二昔?)前なら、北海道のどこの線路でも見かけることができたディーゼルカー。終盤には写真のような朱色とクリーム色の塗り分けもなくなって、朱色のベタ塗りになったっけ。そのことから、撮られたのは昭和40~50年代前半まで だろう。
ネットで情報を漁ると、この写真の登川支線は昭和56年6月一杯で廃線になった、とのこと。

この駅は、登川駅か?
登川支線には、他に楓駅があるだけだったけど、さてどちらだろう? これを見ると、登川駅に見えるな。

緑の色が濃いから、季節は初夏から夏にかけて。窓が全開になっているのもあるから、夏かな?

ドラム缶を利用して作られた焼却炉を机として清算してもらっているのは、この撮影者のパートナーかな? 地元民かな? この時期は一応、まだ駅にも駅員がいたはずだけど、さて。

鄙びて、のどかで静かで、時間の流れがここだけ遅いような、そんな場所に行ってみたいものだ・・・。だけど、今はほとんどの移動が自分のクルマだしなぁ。

なんて感じで脳内トリップしながら見入っていた私だった。


もともとのページはこちら。そんな、今は存在しない光景をもっと見たい酔狂な方はリンク先に飛んで、その当時に思いを馳せるのも一興だと思う。

2005.10.28

なんじゃこりゃぁ

特に何事もなくシゴトを終え、駐車場へ行きクルマを動かし、いつものスーパーへ向かっている時にふと「軽く暗い」てな事に気が付いた。
しかし、新品バルブに換えてからまだ2週間足らず。いくら安かろう悪かろうと言えども、流石に10日じゃ切れないベ。

と思いつつスーパー着。
確認してみたら、以前切れ、レンズ面を殴って点灯させていた運転席側のライト(バルブ)が、切れていた。試しに以前と同じようにレンズ面を殴ってみても、今度は復活する事はなかった・・・。

なので買い物を終えてそのまま帰宅。
アジト内を探してみたら、スペアとして保管しておいたバルブセットが3つ、出てきた。その中から適当なものをチョイスし、再度車庫へ。

念のためレンズ面を殴ってテストしてみてもやはり点灯せず、ライトユニットの裏側、コネクターをより押し込んでみてもやはりダメ。

それじゃってんで、バルブ交換と相成った。もはやこの作業は慣れたもの。10日前にもやった作業だけに、コネクターも固くなっていない。楽勝楽勝、と思って使えなくなったバルブを取り出して、嗚呼驚いた。



そして、なんじゃこりゃぁのシロモノは以下に。


explosionbulb


まるで、往年の110カメラ用にあった、使い捨てフラッシュバルブ「マジキューブ」の使用後のような、そんな風情である。マジキューブの参考はこちら
ビー玉の中に入っている模様のような感じもあるかな?

10月17日付けアップ分の中の写真と比較すると、いかにメチャクチャ状態かが分かると思う・・・。透明感がまるでない。

なんで10日ほどしか使っていないのにこんなにボロボロになるか? と思いつつ、ライトユニットをじっくり観察してみると、スプリング着きのネジで3点支持されているべきのそのユニットが、1点だけずれて外れかけて、グラグラ状態であった。

これじゃ、走っている時に振動や衝撃を増幅してしまい、バルブの中のフィラメントも揺れたついでに変なところに接触なんかもするかもしれない。そうならないまでも、フィラメントのコイル部分の隙間もくっついたりして、寿命を縮める事だろう。

うーむ、このライトユニットを取り外したのはいつの頃だっけ? 覚えていないくらいの以前から、こんなグラグラ状態だったと考えると、ちょっと寒気もしてきたな。あるいは、何かのきっかけで、こんなグラグラになってしまったのか・・・・・・?

ともあれ、ライト不調の原因がわかり、対処できた事で一安心、だといいが

2005.10.27

シンナーに気をつけろ

ここ数日、シゴト場のとある箇所の壁が汚くなったため、ポリ合板の壁を貼る工事が行われている。シゴト場からの依頼か、シゴト場からの依頼を受けた建設施工会社からの派遣の人か、とにかく、職人さんが手際良くその工事を進めている。

しかし、気になってしまうのは、壁にポリ合板を貼る際に使用する接着剤の「香り」だ。
壁に吹かれた接着剤の色は黄色い。それからゴム系接着剤を使っているのだろうと思われるのだが、それ特有のなんとも言えず鼻に突き刺さるような尖った香り。

私のシゴトの場所がその工事箇所から近いため、ドアが開くたびにそこからその有機溶剤系の尖った香りが漂ってきては鼻を、脳を刺激し、微妙に気持ちも良くなったり、悪くなったり。ただ、風邪による体調不良でヘバっている状態の人間にはいささか毒でもあった。

こんな有機溶剤系の香りは、正直言うと好きなのだ。かと言って、本来の使用目的以外に転用しようとは思わないので念のため。


そんな性分なので、ガソリンスタンドの近くでは深呼吸してしまうし、塗装工事をしている横を通ると深呼吸してしまうし、板金塗装工場に近づこうものなら、つい深呼吸してしまう。

それぞれに特徴がある香りなのだけど、シゴト場にイレギュラーで漂うこの香りは、さてどう表現したらいいのだろう。塗装現場や板金工場からの塗料系の香りは、なんだか甘ったるい感じがする。ガソリンスタンドのは、危険を内包した刺激、でも、ゴム系接着剤のこの香りは、喩えようがないんだよなぁ。

なんて事をシゴト中に、シゴトのために使う頭の片隅で真剣に考えるということは、長くひいている風邪のせいか、少しソレに冒されているせいなのか?

2005.10.26

病院へ

月曜日。
シゴト中もヘロヘロだったが、終えてアジトに戻ってきた頃には、全身の節々に痛みが走り、身のこなしにキレがなく、いつもは引っかからないドアノブにさえ体を引っ掛けて呻いてしまうくらいにグダグダだった。
のど、といっても気管、気管支系ではないところに痛み、しこりっぽいのもある。

体温を測ってみると38度超え。具体的な数値を知ってよりぐったり。シゴト場から着服してきた薬を飲んでさっさと寝て、定期入金日の明日は早起きし、お金の振り分けが済んだら病院に行く、という予定を立てる。

珍しく予定通りに起床し、予定通りに銀行、郵便局のハシゴをし、予定通りに病院へ行った。

その病院は、かなり以前に耳の下、アゴの蝶番辺りにしこりを感じるようになってかかって以来。それがいつの頃かを忘れ、診察券もなくしている旨を言ったら、ちゃんとカルテが出てきたのには驚いた。しこりの件で受診したのは5年前のことだった。

カルテを持たされて内科の看護婦に渡すよう言われ、問診票を書かされてようやく診察。

呼吸音は異常なしだったが、口を開けてのどを見られると、結構腫れていると言われた。熱はこののどから来ているものだろう、解熱剤の注射と抗生物質の点滴を打つ、と言われ、準備ができるまで待合室で待て、とのこと。

仰せに従い待っていると、看護婦が「○○さーん、○○アツシさーん」と呼んでいる。が、私はアツシではない。そのまま待っていると、また「○○さん」と呼んでくる。
「○○だけどアツシではない」と告げると、その看護婦は一度処置室に引っ込み、また出てきて手招きをする。

なんかとっても不安になった。
名前間違いの果てに私に不要な薬を処方され、それで変な事になるという医療事故にならないとも限らない。第一、シゴト柄、そんな名前間違いにはナーバスにもなるというもの。

注射、点滴を打たれる前に、名前の件は大丈夫なんだろうな、と念を押し、点滴バッグに書かれた名前を見せてもらい、それでようやく安心した。私の名前の上にふりがなを書いてあり、それが一つの漢字に見えたらしい。安心はしたが、気持ちは良くない。

注射を打たれ、点滴を打つ前にベッドで横に。何かあったらボタンを押せとナースコール用スイッチを手渡される。
処置室には10台近くのベッドがあったが、ほとんどが点滴を受けている じいさん たちで埋まっていた。その中には、いびきをかいている じいさん もいる。

そんな処置室の中、さらにベッドの中、じいさんたちの中で私も横になり、点滴の液体を流し込まれつつ、熱から来る倦怠感をいなして、およそ30分くらいで完了。

ナースコールのスイッチを押して看護婦を呼び、針を抜いてもらい処置は完了。
あとは会計し、処方箋を持って調剤薬局へ行き、薬を受け取って終わり、だ。

診察代、注射代、薬代、全てひっくるめて3010円。高いなぁ。
でもこれで、気分的なものもあったろうが、安心した。昨日のような熱っぽさ、倦怠感、体の重さも少しは楽になったかのよう。

出勤までにまだ時間がある。
アジトで朝飯。その後貰った薬を飲む。粉薬はなんとも言えないヒドイ味。こんなのと3日も付き合わないと行かないのか~。さらに、貰った薬の説明書きによれば、眠気を催すことがある、とのこと。

シゴト中、眠くなって辛くなったのはこいつのせいだな。

2005.10.25

朝食代わりに(BlogPet)

一番の冷え込みだったそうだ
ふむ、これからだんだん寒くなると、ブロックをカロリーメイトしなかった
嗚呼、上手くて安くていたカロリーメイトのブロック2本を走りながら食べた内容を思い返すと・、やっぱりちょっと泣けてきた内容を思い返すと・・、食わなかった


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちりから」が書きました。

やめられない止まらない 後編

こちらからの続き・・・。


そして本番1本目。
練習2本で感じた改善点を何とかしようと試し、結果が71秒325。
すぐにSさんが走る番となるので、横に乗せてもらった。

外周を走って戻って、内側に切れ込み右回りコンボの最初のターンからをなるべく一つのターンと考え、スムーズに速く走っている。70キロ余りあるウェイトハンデを横に乗っけてのタイムが、63秒546だった。むー、自分の走りに殺ぎ落とせる無駄がまだまだある、ということを改めて知った瞬間。

そうしている時、このブログにコメントを付けてくださっている 旧スズキ派 さんが偵察に現れ、お土産としてバブルマンをお土産として差し入れてくださった。なんともあり難い限り。

本番2本目。
アクセルを開けるタイミング、ターンのまとめ方、ライン取りを考え、ちょっと元気良くスタート。すると、途中でミスコース病が発症しかける。一度止まってスーパーバックの上正しいラインへ戻ったが、これが響いてなんとも悪い82秒413。

まぁ、これも他の馴染みの参加者と笑い合えるネタとなったため、それはそれで良し、なんだけど。
そんな間にテント内で、コース設定者で元某自動車雑誌編集者のY氏が、お好み焼きを焼いて振舞っていたりもしたが、それがまたメチャウマだったりするんだな。熱くて美味しくて、ホントにご馳走様だった。


そして最後のアタック。
それまで犯したミスをフィードバックし、その上少しのチャレンジを加え、自分なりの渾身の走りをしたところ、仮想目標であった70秒切りを達成する事ができた。68秒781。

上を見たらキリがないが、相当イジってある同じクルマでは、10秒近く速い。そんな彼等と同じチーム看板を一応背負ってはいる(幽霊部員扱い)のだが、そんな私でもいいのかなんてことも思ったり思わなかったり。ちなみに、私のクラスではそのチーム構成員が表彰台を独占したが、表彰の際に笑いの混じった野次やブーイングが飛ぶのはお約束だったりするのだな。

これでこのイベントの全てのプログラムが終了となり、20時までの残り時間はフリー走行となった。半分くらいの参加者が撤収し、残り半分くらいでさらにもうひと走りしている。が、私はなんだか気が抜けたのと、戻ってきた頭痛とで、クルマの中で死んでいた。

しばらく経って、Sさんに起こされ、俺のクルマで攻めてみないか、と。
お言葉に甘え運転させてもらうと、嗚呼、ミスコース。だけど、ハイグリップタイヤと低回転からモリモリ来るトルク特性とで、軽く流しても、その上ターンで少しばかり無理しても、どうとでも受け止めてくれるような懐の広さを感じた。

Sさんを横に乗っけてSさんのクルマで再度アタック。
不慣れなクルマ+ウェイトハンデ、ということを差っ引いたとしても、練習走行で頑張って出したタイムに迫るようなタイムが出た事に、少々ビックリ。

タイヤ替えたらもうちょっとタイム上がるかな、なんてことも考えつつも、今使っているラリータイヤを使い切るまで頑張ろう、とも。

完全裏イベントとして、テール・トゥ・ノーズで同時スタートジムカーナ、という、なんとも危ない走りの横に乗るという僥倖に恵まれたりもしたが、まぁこれが怖いの怖くないの、面白いの面白くないの、マジで凄かった。
これはお互いに走り方をわきまえていて、信頼関係もあることだから出来たんだろう。

でも、小回りの横からヘッドライトが迫ってくる様は、正直ビビった。

それにしても、こんな答えの出ないモータースポーツ迷宮に、自ら好んで迷い込むようになったが、よほどの事がない限りは足を洗おうとは思わないだろうなぁ。
年齢、性別、職業の壁を越えて、バカになって楽しめるこんなイベントは、私には他になかなかない。

無事アジトに帰宅しテレビ見ていたら、やっぱり感じる頭痛。さらにはのどの辺りも痛い。また風邪をひき直したか・・・。こうなるほどやるとは、ホントバカだな>ヲレ。

2005.10.24

やめられない止まらない 前編

といっても かっぱえびせん の事ではない。私にとってはKカージムカーナの事なのだ。
毎度毎度の事ではあるが、草レースイベントK-CAR festival in千歳ROUND4に参加してきたのだ。

これは、下手でも遅くても、自分と自分のクルマの持つ力を精一杯出し切るという事にハマったから、と言ってもいいだろう。

前日にあった打ち上げで飲んだビールがまだ残っているかのような倦怠感、頭痛があったりもしたが、前日は23時にはぐっすり寝入った事を頼りにし、熱い湯に浸かってアルコール分を飛ばし、ついでにすっきり目も覚まし、7時過ぎにはアジトを出て千歳へ向かう。

途中には、道端で誰かを待っている風情の参戦仲間のクルマ数台が。
信号待ちでクラクションを数回鳴らして彼等の気を引き、手を振って挨拶。だけどその場に止まる事はせず、スルー。

結局1時間少々で目的地、新千歳モーターランド着。
既に着いている馴染みと話して他の仲間の到着、及び、受付の開始を待つ。天気は晴れてはいるが、寒い。帯広出張のために用意したウォームアップスーツやフリースなどを着込んでいて、このままじゃ少々厚着か、と思っていたら、ちょうど良かった。

受付を済ませ、パドックに入り、普段クルマに積みっぱなしにしている工具やガラクタなどを下ろして参戦準備完了。
貰ったコース図を持って完熟歩行。

コースパターン自体は比較的簡単と思えた。
が、スタート直後に延々と続くかのようなパイロンスラロームがあるのにはどういう訳じゃい。あとは、大きな右回りからだんだんと小さな右回りに移行していく感じで、思いっきり右に首を捻らないとダメだろう。

k-fes_rnd4

ドライバーズミーティングをやり、お昼まで早い者勝ちの練習走行時間。
エントリー数50あまり。練習時間一杯に走れるといっても、おそらく2回が限度では。
おかげで順番待ち渋滞が発生し、あまり広くはないパドック内を渦を巻くかのようにクルマが並んだ。
やがて自分の番。横には、某監督のSさんが乗る。Sさんはこんな渋滞のため練習走行を1回で諦め、いろんな人の横に乗ってコースを覚える事に専念、とのこと。

スタート。コースに慣れるため、持てる力の2割程度で流す感じ。スタートしてすぐにスラロームなので、派手にダッシュを決めるようなこともせず。

スラロームは、微妙にリズムに乗れない感じ。なので、他の参加者もパイロンタッチ続出だった。コースマーシャルも、クルマが蹴飛ばしたりふんずけたりしてずれたパイロンが出るたびに次に走るクルマを留め、直しに走っていた。これはこれでまた大変な作業だなぁ。
そして、そのスラローム区間で、パイロンの根元をふんずけたような感覚も・・・、あった。

何とかゴール。Sさんは「こんな感じ。イイ感じに曲がれている」とおっしゃってくださったが、やっぱり自分の課題、コーナー立ち上がりでアクセルを開けるタイミングがワンテンポ遅い、ということも指摘される。ふむ。次はそれを頭の片隅に置いてトライしてみよう。

タイム、74秒768。ま、こんなもんか。

練習1本目を走り終わった後すぐに順番待ちの列に並ぶが、自分の番が来るまでおよそ1時間待ち。その間、他の参加者の走りを見ながら感心したり参考にしたり、ツッコミを入れたりボケたり・・・。

そしてまた、横にはSさん。
今度はアクセルの開けるタイミングを指示してもらう。こんな感じで→「ここで、踏め」。
タイム、73秒946。

時間一杯となり、昼休み。
ケータリングの巨大なアメリカ製トラックが来ていて、そこのおっちゃんにブタバラ丼を頼む。悪くない。
食ったら寝る。以前、そんな時、Sさんに寝顔を撮られ「死体写真」といって笑われたことがあったため、防衛策としてヘルメットを着用し、椅子を倒して昼寝した。しかし、またしても写真を撮られ、目元もばっちり写っている、という。今度はバイザー部分に黒いビニールテープを張って完全装備にしようと思う。


・・・後半へ続く。

2005.10.23

つぶれた

RJ お手伝い部隊の打ち上げに参加してきた。

盛り上がり方が心地良いバカさ加減で、日ごろの鬱憤が嘘のように晴れたような気もする。
大体、代表の乾杯の音頭も凄かったもの。

「おつかれっした」
それでカキン。

いろんなモータースポーツの裏面的バカ話で盛り上がり、いい気持ちでジョッキを空け続け、それで今は世界が回っている状態。ビールというファクターがなかったら、また病気が出たか、と思うほどの回りっぷり。

日曜日にジムカーナがあるため一次会で辞したが、もっとその場にいて心地良いバカ話の雰囲気を楽しみたかったなー。

なお、これ以上は私の体が持たないので、日付けだけ変えてお茶を濁す事としよう。
久々にサタデーナイトを楽しんだような気も、する。

2005.10.22

雪虫? 否

秋が深まったある穏やかに日に、街に雪虫と呼ばれる白い羽虫が飛ぶ。すると、程なくして初雪が降る。雪国に住む者はその虫を見て、冬の到来を知るのだ。参考、こちら

さて、私が巣食う札幌になぜか羽虫が大量発生した。
出勤のためにアジトのドアを開けて外に出たら、なにやら空(くう)に漂う、というか舞っているモノが。雨か、なんて思ったが、空は晴れていて日も差している。じゃ、雪か? いや、雪が降るには暖かすぎる。それに、色も白くない。
して、その正体は小さな羽虫だった。

アジト3階の外廊下から見て平行な位置に舞っている虫らは、路地を走るクルマのウインドウにも容赦なく当たってくる。

シゴト場への道の途中でも満遍なくそんな虫が舞っており、クルマはそんな虫の群れをくぐり、掻き分け、跳ね飛ばして走る。フロントウィンドウには、そんな虫がかすった跡が無数に。

休憩時間に見たテレビニュースでは、札幌市南区がやたらと酷かったようだ。それは、空が暗くなるくらいで、映像で見て寒気すら感じてしまった。


シゴト帰りのクルマの中で聞いたラジオニュースでは、1飛んでいるのはケヤキフシアブラムシというアブラムシの一種で、この夏が暑かったための大量発生では、という。この夏が暑かったために大発生したのでは、夏が暑かった10年前にも大発生した、なんてことを話していた。

その虫はケヤキの匂いに反応し、空が暗くなるまでに発生したところでは、風がほとんどなかったためにケヤキの匂いが停滞していたからでは、だそうだ。
そして、この傾向はもうしばらくかかりそうだ、とのこと。

雪を呼ぶ雪虫は、もうちょっと先の話になるかな?
でも、来月頭くらいには初の積雪もあるんじゃないか、と経験上そう思っているのだが・・・。

2005.10.21

新しい飲み物への誘い

シゴト帰りに立ち寄るスーパーで、見慣れない新しい飲み物を見かけたときは手に取ってしまう私。しかし、飲んで気に入ったとしても、その商品が長く持たないことも まま あるのだな。商品として存在はしていても、その店では取り扱わないようになっただけなのかもしれないが。たとえば、5月にココでネタにしたコーラフロートとか。

最近スーパーの飲み物棚ウォッチングをしていて見つけた新ネタ。それがジンジャーエールの仲間、カシスロワイヤル・フィズ、だったり、バブルマン(←音が出るので注意)のフルーツボンバーだったり。

カシスロワイヤル・フィズは、・・・・・・どうも自分の口、好みには合わないようだ。色合い的にはグレープソーダ系だったので、味もそのように想像していたのだが、裏切られた感がある。カシス自体にあまり馴染みがないからそういう反応をしてしまったのかもしれないが、んー、次は多分ないなぁ。

バブルマンのフルーツボンバーは、なんとも駄菓子ちっくな、不健康そう、体に悪そう系の毒々しい赤が目を引いた。この色合いだったら味が多少アレでもいいか、と思い飲んでみると、これが予想以上。ついハマってしまった。

でも、実は、バブルマン自体はあまりいい印象はなかったのだ。
発売時にあったのは、グレープフラッシュとオレンジクロスだけだったが、それらを飲んでみて思ったのは「これだったらファンタグレープ(オレンジ)の方がイイ」ってこと。テレビCMのキャラも声も、好きになれなかったのも一因かもしれない。

が、妙に不気味っぽいこんな色のソーダジェットが出てきてから見方が変わり、フルーツボンバーでトドメを刺された。
ソーダジェットはガリガリ君アイスの青いヤツと同じ味がしたため愛飲し始め、フルーツボンバーで完全に寝返るに至った(何から寝返った?)。

もし、次が出るなら、どんな物が来るだろう。大いに期待したいところではある。


それにしても、リボンナポリンとバブルマンのソーダジェット、フルーツボンバーが商品の陳列棚に並んでいる様は、実験室でいろんなパイプで繋がっているフラスコ、ビーカーの中にあってもおかしくない妖しげな薬品を連想させて、イイ。

2005.10.20

朝食代わりに

二つの目覚ましを止めてからラジオをつけ、少しづつ覚醒の階段を上っていく。
が、いつにも増して布団から出ることができなかった。聞けば、今シーズン一番の冷え込みだったそうだ。ふむ、これからだんだん寒くなると、布団から出ることが苦行になっていくんだろう。

そんななので、出勤時刻ぎりぎりまで布団の中でグダグダし、起きて着替えて歯磨き洗顔、終わってすぐにコートを羽織って車庫へ。メシは・・・、食わなかった。その代わり、なぜか助手席に置いていたカロリーメイトのブロック2本を走りながら食べた。

実に味気ない、素っ気ない朝食。
栄養面ではそれでいいのかもしれないが、食べたという満足感には程遠く。おかげで、シゴト中は空腹感に苛まれ、それに耐えて休憩時間。ようやく食べたのが、コンビニ売りのサンドイッチ。

食べる楽しみは既に捨てている私であるが、一食目がカロリーメイト、二食目がサンドイッチじゃ、なんだかあまりに泣けてきた。

シゴトを終えてアジトへ帰り、ようやく食べた一合メシ。
途中で買った中華サラダも、買ったことすら忘れ、ひたすら汁物代わりのラーメンと一緒に流し込む。腹は膨れたが、食べた内容を思い返すと・・・、やっぱりちょっと泣けてきた。

嗚呼、上手くて安くて手がかからない、その上栄養もある、そんな都合のよい食べ物ってないものか?

2005.10.19

腰はメキ・メキ!

椅子に座ってちょうどいい高さの机に、私はスタンディングポジションで立ち向かっていた。その机の上には無秩序なシゴトの山があり、その山を崩して整理して、新たに秩序立てていたのだ。

椅子に座らず立ち姿勢。なかなか手間がかかるシゴト。体的に楽な姿勢をとろうと思うが、そこは前後スペースに余裕がない。必然的に息を詰めて腰を屈めてのシゴトとなる。

シゴトの山を7割ほど崩して整理しなおし、秩序を与えていた時、ふと感じてしまったのが痺れにも似た腰の痛み。腰に手を当て背を反らしたりしても、腰に停滞してしまった どんより感 は去る気配を見せない。

やがて、腰に痺れ感がなくなり痛みだけになった頃、ようやくそこでのシゴトにケリがついた。

1時間20分、腰に負担がかかる無理な姿勢を続けた結果、今現在椅子に腰掛け、楽な姿勢をとっていても、ふとした拍子に腰がメキ・メキいう。風呂にも入ってシャワーを腰にも当ててマッサージもどきも施したのに。


こうなりゃ自棄(ヤケ)だ。
ヘッドホン被ってトム・ジョーンズ(Tom Jones)の恋はメキ・メキ(If I Only Knew)を聴いて、寝る。

2005.10.18

世界の十勝、十勝の中の世界 その参(BlogPet)

きょう音更で、排気しないです。


9月2日日曜日までR A L L Y J A P A Nの手伝いとのこと。
ならばということになった。
9月29日木曜日から10月2日日曜日までR A L L Y J A P A Nに、お世話になってからも、やはり気持ち的に相当テンパり、実家の奥にあったが、今回のそれはさて置き、迎えにきたクルマに乗り込み、いざ帯広へ。
そこでハグとキスでの別れの挨拶を見たら、ウチじゃやっていないとのことで自分を見つめなおすことができるといいか、などと考え、シゴトとして世界的な大イベントには勘違いして次の信号で警察官に食って掛かっているシーンもあったり。
その後、顔合わせだったり最終調整ミーティングなどがあったバリカンで丸刈りにして、ラリーも好きな方になるだろう、と妙な感心なんかもほとんど知らなかったくらいで。
ソルベルグ?誰それ?グロンホルム?薬品の名前か?ととある筋から誘いがあったりしているショップの社長夫妻が参戦するため、R A L L Y J A P A Nの手伝いやらんか?てなもんだ。
大体、現在のトップラリーストといえば、道路を渡っている人がいるにもかかわらず、信号無視してくれ、と思われるのもチラホラと。
Sさんの機材車デリカで本日の現場、足寄へ。
平日の昼間だけあって、パトカーやタクシー、バスが走り、一般車も走るが、何らかのイベントの際には、目的が多分同じだろうが、もう戻れない。
結局、モーニングコール設定時刻までで1時間おきに目覚めてしまう。
睡眠不足モードで荷物を仮のアジトに突っ込み、ラリー用資料の整理をし、それで一日が終わった。
走り好きだし、ちりからはチェックインして荷物を玄関そばに置き、まとめた荷物を持ってロビーへ降り、そこでこのシゴトを誘ってくださったMさんと彼の帯広在住の従兄弟と合流。
Kさんとは一度そこで別れ、ちりからの中でトップラリーストが誰なのかこいつ、なんてシーンもあったのが正直なところである。
大体、ちりからはその場を後にしてもらう。
義務教育時代は、あまり興味もなかったのは悔しかったな。
しばらくロビーでシゴトを振って下さったMC、DJ軍団の方々とようやく露店のテラススペースで合流。
セレモニアルスタートを道端で見学。
タイミング良くショップの社長のマシンが走ってくるのが見えた。
9月29日。
仕事面でテンパり気味だったため、そしてそのR A L L Y J A P A Nに、お世話になったりも。
なぜかそこでスネークマンネタに火が着いて訳のわからない盛り上がりを見せ、世代間のギャップも感じつつも笑った。
ちなみに、その手伝いメンバーの中には勘違いしてくれ、と妙な感心なんかもして次の信号で警察官に囲まれ、コ・ドライバーがマシンから降ろされる、なんてこともあったり、さらには完全信号無視気味にそこを通り過ぎるラリーマシンがあって、酒が入っている始末だったから。
だが、自室に戻っても興奮のせいか、なかなか寝付けない。
今のシゴト場へのお伺いも立てて時間の確保もしちゃったり。
と思えば、ユハ・カンクネン、カルロス・サインツ、コリン・マクレーくらいで止まっている内容の殆どが理解できなかったため、R A L L Y J A P A Nの手伝いとのことだったことも思った。
全てが終わった後、鏡で自分の姿を見て、ラリーの運営本部(?)のHQ(ヘッドクォーター)へ。
そこでハグとキスでの別れの挨拶を見たら、マジでほとんどスキンヘッド。
人相も悪くなり。
ちょっと後悔の念もあったが、途中で出くわすクルマの中でトップラリーストといえば、道路を渡っているショップの社長夫妻が参戦するため、その完走祈願をも込めて、ここはもう世界なんだ、なんて感じで笑うしかできなかったのが正直なところである。
大体、現在のトップラリーストが誰なのかもほとんど知らなかったため、坊主頭の経験がない訳じゃない。
結局、モーニングコール設定時刻までで1時間おきに目覚めてしまう。
睡眠不足モードで荷物を玄関そばに置き、迎えが来るまで少し仮眠。
14時30分過ぎ、そんなこんなで帯広のホテルに戻ると、Kさんの目立つクルマで、一番短いバリカン1ミリ刈りにしたポイントを過ぎ、迎えにきたクルマに乗り込み、いざ帯広へ。
・・つづく。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちりから」が書きました。

ハチロク見ゆ

シゴト場への道の途中で、ハチロクを見た。
まぁ、見たのがコレだったりコレだったら怖いだろうなぁ。

まぁいい。見たのはFRの最後の型のカローラレビン。2ドアで、グリルに大きなフォグランプを埋め込み、すこーしばかり車高が高くて(ノーマルか?)リアタイヤの後ろにはマッドフラップがついている。
まるで、ハチロクがモータースポーツのベースとして全盛だった時代のラリーカー、って感じだった。

運転席に座っている人を見れば、ツナギっぽい服を着て、両肩から赤いベルトを下げていて、頭髪は白の割合が多い。見たところ50歳くらいか。
こんな大人とこんなクルマの組み合わせって結構イイなぁ、と思った瞬間。


ハチロクといえば、今はほとんどがドリフト仕様なんじゃないか、と思うのだが(邪推?) その流れをまったく気にしないような佇まいは、妙に新鮮であった。

2005.10.17

切れたバルブ

という訳で、交換したバルブをまじまじと観察してみた。

とどうだ。それまでレンズ面を殴ったら点灯していたのが奇跡のように思えるこの切れっぷり。

breakbulb


バルブを振ると、中からかすかに「ちりんちりん」なんて音がする。見ると、中で切れたコイル部分の切れ端が転がっている。ライトユニットの中にあるときは、画像のようにあからさまな切れっぷりではなかったとしても、ショックを与えれば復活していたというのも凄いや。

ただ、一度殴れば復活していたが、土曜日のシゴト上がりの駐車場じゃ、4、5発もパンチを入れなかったら点灯しなかったもんな。
500円そこそこで手に入れたバルブだから、まぁいいか、とも思えるが、ほぼ毎日夜走ってそれで10ヶ月しか持たないというのは、ちょっとなーとも・・・。

2005.10.16

飲んで寝て

土曜日。
シゴトがハネ、スーパーで食い物を買い、セルフスタンドで給油して、アジトに戻って飯を食う。特に見たいテレビもなく、オフタイマーでラジオを流しながら食い、終わったらパソコンに向かいながら特に何をするでもなく。

スーパーで一緒に買った缶ビールを飲みつつパソに向かっていると、メッセンジャーでSさんに捕獲され。チャットでバカ話しているうちにビールも終わり、上手い具合に眠くもなり、その眠気を逃がさないようそのまま寝たのは23時前だったか。


一度目覚め、枕もとに置いてあるラジオをつけると、宗教番組をやっていた。だから、その時間は明け方だったのだろう。覚醒レベルがまだまだ低い状態で流れてくる法話を聞くでもなく聞いて、納得できることは納得しているうちにまた眠り、今度気がついたときは14時半だった。

ボーっとしながら軽く食い、寝た時間を計算しながらラジオ。チャート番組が流れてくる。タイミング良く答えを知っているかもしれないクイズが流れてきたので、軽い気持ちで電話してみたが、話中で繋がらず。

やっと着替えて、先週買ってそのままだったヘッドライト用バルブを交換しようと外へ出る。
先月24日、法事のために実家に帰ろうとしたら運転席側のライトが切れ、そのままスペアとして補完してあったバルブと交換したのだ。が、そのバルブもすぐ、ライトスイッチを捻った上、レンズ面をぶっ叩かないと点灯しないようになってしまう。

それに業を煮やし先週日曜日にバルブを買ったが、その時は既に日も暮れて暗い。アジトの車庫でやろうにも、体調が悪くてテンションも低く、やる気が出ない。そのまま先延ばしにして今日だ。

バルブ交換自体は非常に簡単なのだ。が、軽自動車なのでライトユニット周りのスペースが狭いため、なかなかちょっと苦労する。その上、助手席側ライトの裏には、リアフォグ用リレーをつけており、ソレを外すだけでもまたちっとメンドくさいのだ。

夕方前の暖かな日差しの中にクルマを引っ張り出し、ボンネットを開けてバルブの交換。
それだけなら工具も要らないが、リレーを外してずらして、の為にレンチも使ったり。その周囲があまりに狭いので、軍手なんかもはめちゃったり。

つつがなく作業は終了した。これで、スイッチを捻った後にレンズ面をぶっ叩くような儀式も不要になると思うと、少しは気も楽だ。

クルマを車庫に戻し、アジトに戻ってF1最終戦をテレビ観戦。なぜか気分が燃え上がらず。

炊飯器に残っていた冷や飯でチャーハンを作り、そうこうしてこんな時間。


あ、明日の日付け分で書く文も一緒にまとめちゃった。まぁイイや。

2005.10.15

霧吹き

シゴト上がり。
締めくくりに作業机を掃除する。扱うモノがモノだけに、霧吹きに入った95%エタノールをスプレーの上、きっちり消毒して、ティッシュで力を入れて拭くのだ。

そんな霧吹き容器内のエタノールが心許ない量になったと思ってほしい。

一斗缶からドクター中松が発明したとされるあのポンプで霧吹き容器に移し替え・・・、少しあふれたな、まぁ、ほとんど容器一杯レベルに補充完了。その容器に、霧吹きヘッドを装着し、試し吹きすると・・・・・・、数度グリップを動かしたまでは良かったが、その後、グリップが固くなり、吹くことができなくなってしまった。

壊れた? 壊した?
多分、満タンに詰め込んだエタノールが、霧吹き機構内、液体が入ってはいけない部分に入り込んでしまったために「ウォーターハンマー」を引き起こしたのではないか、と思ったが、口には出さずに、ただ、壊れたと。

翌日、出勤途中に100円ショップへ立ち寄り、霧吹きを購入。
シゴト場で、昨日壊れた(壊した)霧吹きが壊れたままかどうか確認。やはり使えない。購入した100円霧吹きへエタノールを移し替え、シゴト上がりで使ってみる。

普通に霧吹きだが、安い分、霧の出方が イマイチ イマニ。使えないよりましだが、どうも霧の出方に品がない。なんか、余計なところまでエタノールが飛び散ってしまって始末が悪い。

いっそのこと、手持ちのクルマのアルミホイール用洗剤を使い切って、その容器についている霧吹きヘッドを転用させようか、なんてことも思う。

2005.10.14

一難去って振り出しに

RALLY JAPAN 関係でのお手伝いで帯広出張中、自らの不手際で虫除けスプレーをチョクで吸い込んでしまったため のど を痛め、それプラス、重なる不手際、ホテルで布団を被らずに爆睡したため、とうとうひいてしまった風邪。
帯広潜伏中は持ちこたえていたが、これは、帰札して気が緩んだせいもあったろうな。

数日前には結構な発熱もあったが、それを機に、のどの痛みも鼻水も、他の風邪の諸症状も改善された。完全復調までもう少し、だったのだ。

だがしかし、またしても不手際で のど にダメージを負ってしまったダメなヲレ。
サイコロ風呂一杯に張ったお湯の中、あごの下まですっぽり水面下に収まるように体を折り曲げ、その状態で頭からシャワーを浴びていたのだ。

いーい気持ちになって、少し意識も遠のいた。
とその瞬間、あごの下にあったはずの湯面が鼻の上まで上昇し、それと同時に鼻から流れ込むお湯。口から逆流するお湯 お湯。飲み込むお湯 お湯 お湯。

むがっ、ごぼごぼごぼ。ぷはぁ、げほっげほぇ。


溺れかけた。


おかげで、鼻の粘膜、治った(治りかけ?)のどの粘膜が刺激され、痛い。
少しづつ遠くに去りつつあった咳がまた、戻ってきた瞬間だった。これで、筋肉痛や耳の聞こえの悪化、倦怠感まで戻ってきたら、ホントに風邪のひきなおしになるのだな。正直これは勘弁して欲しかったりもするが、これを打っている現在、びみょーに だるだる だったりも、する・・・。嗚呼。


でも、こんなシチュエーションで溺れかけるなんてのは、実は過去に何度も経験があるのだ。

2005.10.13

歯医者が終わって検診の結果が来て

先週ぶっちぎって予約を振り替えてもらった歯医者へ行く。
神経を抜き、抜いた穴へ詰め物をし、その上から土台を被せ、たのがそれまでの経過。今回は土台の上に正式な被せ物を乗せて接着。

仮に乗せては様子を見て、リューター(っていうのか? 歯医者サウンドの根源)で微妙に削ってはまた乗せ、噛み合わせを見て様子を見て、なんてことの繰り返し。何とか落ち着くところで収まったら、今回のこれで終わりだ、とのこと。

小柄な女性の歯科助手さんが我が口の中で作業する時、体を押し付けてくる感覚があったのだが、それが体験できなくなるのかと思うとちっと残念でもあり。

ちなみに、8月29日からおよそ週一の割りで通い、かかった費用が15900円。出てきた金額で、あんなブツが買えたなぁ。


シゴト場で、9月13日に受けた健康診断の結果をもらう。

身長体重は、先に書いた通りで、183.4センチの71.1キロ。標準体重が74キロとのことで、ま、こんなもんだろう。意外と視力検査の結果も良かった。矯正視力で左目1.2、右目1.0。

でも、血液検査の結果は、やっぱりと言おうか、仕方ないと言うべきなのか。
白血球がどーの、赤血球のどーのの血液一般のデータは悪くない。γ-GPTなどが有名な肝機能検査も、申し分ない。太っていないし、酒飲みでもないから異常になる要素も考えられないもの。

でも、コレステロールなどを見る血中脂質検査で、総コレステロール値が基準値よりも低く、基準値内で数値が高ければ長生きするという善玉コレステロールのHDLコレステロールが、基準値の下限一杯・・・。これは、この業界に入ってから全然変わらない項目だったりする。

さらに、血清鉄の数値も基準値を大きく下回り、鉄欠乏性貧血であるとのこと。これもここ数年変わり映えがしない。

最後に書かれていた総合判定でも、運動不足、食事の偏りの注意して経過を見ろ、だったり、偏食を避け鉄分を多く摂るように、と。


運動しないし、一人暮らしだったら一日食べない日だってあるし、偏食だし、鉄分を多く含んでいるような食べ物を食べた記憶もない。

生活環境が劇的に変わらない限り、これじゃ治らんわ.。o○

2005.10.12

世界の十勝、十勝の中の世界 完

世界の十勝、十勝の中の世界 その参からの続き


知らない間に十勝地方を走る高速道路網も整備されていることにも驚いた。
もう10年近くも前に道東自動車道を走ったが、そのときは日勝峠を降りてすぐの十勝清水インターに乗って、池田インターまでの一本道だったような。今では分岐点もあったり、延伸されていたりして、目を疑うような立派さであった。まぁ、大半が片側一車線の有料道路、といった風情ではあるけれど。

現場着。
広くてフラットで見晴らしのいい観戦ポイントの一番上に機材車デリカが止まり、そこが放送席となる。そして、小道をはさんで反対側のポイントはよりコースに近く、ラリーマシンもよく見える。そして、コースをはさんで反対側にはプレスの人が数人陣取っていた。そのプレスの人がスペクテイターいじりをしていたのには笑ったなぁ。

場所的にこのポイントはスタート位置からすぐの場所で、ラリーマシンがぐんぐん加速していく様は、見ていて気持ちもいいもんだ。


ただ、朝のSS22ならまだしも、昼からのSS25では、スタート順もかなり変更があるようで、Kさんがスタート位置に待機するスタッフに特小無線機を持たせて、次のスタートは何番、と情報を送ってもらうようにしていた。


また、この日は3日間で一番天気が良くて暖かかった。ホテルで布団を被らずに爆睡してしまった私はそれでも少し肌寒かったりしたのだが、そんなことはおくびにも出さない。

天気が良く気温も上がったため、やたらと虫が飛び回っていたのにはやや閉口。ハエやてんとう虫、名も知らぬ羽虫の他、スズメバチも来襲。虫除けのスプレー缶で車外に追い出したが、それを見たKさん、Mさんは「スズメバチはじっとしてやり過ごしていたら何もしないから」と言ってくれる。今度来たらそうしようと思ったが、二度目はなくて安心。

そんな、見ている分には平和に見えたSS25で、大きなアクシデントがあった。
昨年の RALLY JAPAN で優勝したペター・ソルベルグがリタイヤしたのだ。無線で流れる通過しない5号車の情報。ヘリコプターには、コース上にいるはずだから探して画像を送ってくれ、なんて指示が飛ぶ。

リタイヤが確定してしばらく経って、コースをスタート地点に向かって歩く青いツナギを着た2人の姿が。ペター・ソルベルグとコドラのフィル・ミズルだ。観戦ポイントに残っていたラリーファンは、極自然に暖かな拍手を送って健闘を称えていた。

やがて、走られるラリーマシンは全て通り過ぎ、残るはスイーパーカーとレッカー車だけとなった。
MCのMさんは、そんなラリーを支えるスタッフのクルマにも声援を送るよう、煽る煽る。
最後まで残っていた濃いラリーファンは、それにちゃんと応える応える。スタート位置でその放送を聞いていたであろうスイーパーカーやレッカー車も、結構その気になって、魅せる魅せる。嬉しいコミュニケーションだと思った。

そして、Kさんから、スタート地点のスタッフに預けた無線機の回収を指示を受ける。
観戦ポイントからテープをまたぎ、藪っかきをして、崖登りみたいなこともしてコースに侵入し、スタート位置まで。そのスタート地点の路面を見て、一瞬息を呑んだ。そこはハイパワー4WDがフルパワーを地面に叩きつけて加速していく場所だけに、タイヤのところだけ完全にほじくり返されて、耕したばかりの畑のようになっているのだ。これじゃ、後ろのほうで走るプライベーターの小排気量車にとってはホントに辛かっただろう。

その後、リタイヤしたソルベルグが、コース逆走でスタート地点までゆるゆるとマシンを転がしてきた、なんてこともあった。

これでホントに全てが終わった。
機材車の積荷を一度全て下ろし、整理して積みなおし、日差しを浴びながら支給されてきた弁当を食べ、これで全てのSSのシゴトは終わりとなった。


あとは、北愛国のサービスパークに行ってMC、DJ軍団と合流し、ついでSさんとも合流してからは自由行動。
ショップの社長に「完走おめでとう & お疲れさま」を言い、その場を後にして帯広に向かって用事を済ませ、ついでにシゴト場向けにつまらない土産物も買い、こちらに来たときと同じように、またSさんのクルマで日勝峠越え。途中、雷が鳴り、強い雨に降られもしたが、月曜日になる前、無事に我がアジトに帰着することができた。

思い返すとホントに夢だったんじゃないのかと思うこのイベント。
でも、夢じゃない証拠に、結果として虫除けスプレーを吸い込んでしまったがためにのどを痛め、それと複合して、ホテルで布団を被らずに寝て体を冷やしたため、風邪をひいてしまったり。

しかしながら、こんな世界的イベントの一端にでも携わることができたことはとても嬉しかったし、いい経験になった。そして、声をかけてくださったMさんには大変感謝している。
そしてもし仮に、別のイベントでも、あるとすれば来年の RALLY JAPAN でも、お声がかかれるようであれば、そのときは可能な限り手伝いたいと思うのだ。

2005.10.11

世界の十勝、十勝の中の世界 その参

世界の十勝、十勝の中の世界 その弐からの続き


10月1日。
午前4時ロビー集合。
今日の現場は音更 シノチアキ(SS10 15)
夜も明け切らぬ十勝の平原を、いい速度で走る機材車デリカ。十勝地方の土地鑑がまったくない私は、ただ、連れて行かれるがまま、だ。

現場到着。そこは完全に山の中。観戦用スペースは、そんな山の中、林の中にあり、狭い。場所取りは熾烈を極めるだろう。そんな場所と、迫ってくるマシンを真正面に見ることができる VIP 席にスピーカーを設置。さらに、雨に備えて VIP 席内で実況をするMさん用にテントも組んだり。
そんなスペースから見える範囲のコースは結構な登り坂。パワーのない小排気量車にはちょっと酷かも。

やがてスペクテイターがやってきた。
雨が降って足元が ヌタヌタ 状態にもかかわらず、我先に斜面の通路を駆け上がっていくスペクテイター。狭いスペースはすぐに一杯になるが、それでもまだ入りきれないスペクテイターが控えている。と、VIP 席に入れてくれ、なんて怒声も飛び交ったりして、結局、その現場を仕切る方の判断で、VIP 席も開放された。ざっと見たところ大入りで、その時はおそらく移動することは困難であったろう。

当SS10のスタート時刻は7時20分。
無線を聞きつつデリカの中で控える私からはコースも殆ど見えず、爆音をとどろかせ走ってくるマシンも、一瞬確認できるだけ。ただ、初めの方に走る WRC マシンは一瞬しか見えなくても、後の方に走るプライベーターのマシンは、比較的余裕をもって見られたような。それでも、ゼッケンを確認するまでにはなかなか至らなかった。

だけど、社長のマシンは見分けることができたぞ。

全てのマシンが通り過ぎ、スペクテイターも去ってしまうと、しばし訪れるまったりした時間。と、そんな時に、狭かったスペクテイタースペースの拡幅工事が突貫で行われていたらしい。そうこうしている間に、またマシンがやってくる時間が近づき、スペクテイターも入りだしてきた。朝のような混乱もなく、全てがスムーズに流れたように思う。

コースはハイパワー4WDがほじくり返してぐっちゃぐちゃになってしまっていて、あとの方に走る小排気量車にとってはまたしても酷かも。

そして全ての競技者が走り過ぎ、最終確認車のスイーパーにも声援を、というMさんのMCに受けながら撤収準備。昨日よりは少し手際も良くなったか、とも思ったが、テントを片付ける時、結果として数箇所「破壊」してしまった・・・。大いに反省。Kさん、ごめんなさい。トホホホホ。

帯広に帰ってきて、昨日立ち寄った瞬間に看板の電気が消えた、有名な豚丼屋へリベンジ。
本場の豚丼はホントに美味い。豚肉の焼け方がなんともいえず、とにかく美味しい。食べるたびに「ほ」と息が出た。


ホテルに戻り、明日の集合時間を確認して自室へ。テレビを点けベッドに腰掛た後、記憶が飛んだ。気がついたら日が変わって午前1時。なんだかちょっと寒気もする。布団を被って寝直そうと思っても、なかなかうまく寝付けない。
かと思えば、午前2時過ぎに霧が流れる外で、車のクラクションが鳴り響きだした。

すぐに鳴り止むだろうと思ってそのままシカトしていたが、それがなかなか鳴り止まない。窓を明けて様子を見ると、近所に住む誰かが通報したのだろう、ミニパトが回転灯をつけてそこに停まっていた。

そのまま眠ろうとしてもやっぱり眠れず、し方がないのでシャワーを浴びて目を完全に覚まし、自分の荷物をまとめて引き払い準備も完了。ロビーに降り、Mさんとこれからの自分の行動の指示を仰いだ上で、自分の荷物をフロントに預け、それから今日の現場、新得のSS22 25 パンケニコロベツへ。


・・・・・・つづく。

2005.10.10

世界の十勝、十勝の中の世界 その弐

世界の十勝、十勝の中の世界 その壱からの続き


足寄市街地では、まだ6時にもなっていないというのに、いたるところに防寒装備を施した人 人 人。交差点歩道にも椅子を置き、ラリーマシンが通り過ぎるのを今か今かと待っている人がいる。しかし、我々の現場での最初のマシンの出走時間が9時59分だから、なんとも気が早いというか、準備万端とでもいうか、とにかく熱い心意気だなぁ、と思った。

現場シピリカキム(SS4 8)着。
機材車からスピーカー、アンプ、コードなどを下ろし、スペクテイターエリアの音響設置作業でKさんの指示に従い、動く。牧場と思しきなだらかな丘陵の草地がそのエリアだったが、機材車を止めた場所からスピーカーを設置した場所まで、結構な距離がある。重いスピーカーを持って半ば駆け足で移動すると、すぐに息が切れ、バテた。

スピーカーケーブルを道に渡す場合、車などに踏まれてもいいようにごっついゴム製の配線隠しに通すのだが、その作業でさえ、私は戸惑い、てこずった。
こうすりゃ楽に通せるよ、とKさんがおっしゃると、それに気がつかなかった自分自身にトホホ。

会場設営完了。
しばらくして客入れが始まると、昨夜ホテルのロビーで遭遇したノルウェー人の団体がやってきて、ソルベルグの応援歌を歌わせろと言ってきた。すぐにマイクを用意して機材に繋ぐKさん。会場内に「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の替え歌らしい歌が流れ、場が盛り上がる。

やがてこのSS4「シピリカキム」にもラリーマシンのエクゾーストが響く。私は、通り過ぎるマシンのゼッケンを確認し、リタイヤ情報など無線で何か変なことを言っていたら、MCのMさんやDJのKさんにお知らせするのがシゴト。ただ、こういったラリー関係のシゴトは初めてなもので、終わるまで一杯一杯状態であった。

そして、この現場で2度目のアタックが始まった。SS8は16時38分スタート。最初の方のマシンのゼッケンは確認できても、後の方のは日が暮れてしまってすっかり真っ暗となり、車種の判別すら難しい。その上、ここの前に走るSSが今年のWRCで最も長い50キロとのことで、ドライバーたちもかなり疲れていたのではないだろうか。
2分なり1分なりの間隔でスタートしているラリーマシンが、観戦ポイントに近づいてきた頃には2、3台まとめての団子状態で、なんてこともあったもの。

正直、パニックであった。
真っ暗で何も見えないそんなポイントであっても、最後のマシンが通り過ぎるまで留まって観戦していた人がいたのには、なんだか胸の奥で熱いものを感じたりもした。

そうそう、コーナー進入時のブレーキで、ローターが闇の中で丸く焼けているのが見えたのだが、その美しさもまた格別だったな。


真っ暗な中、スピーカーを持ちつつ足元に気をつけつつ、道しるべ代わりのロープを辿って撤収作業。重いのと足元が悪くて滑るのとで結構恐い。作業終了し、現場を後にして、ホテルのベース基地についたのは、結構夜も遅くなってから。よそのSSで余った弁当を食べて夕食とし、明日の集合時間を確認して自室へ。

何がなんだか分からないままあっという間に過ぎていったそんな、1日だった。


・・・・・・つづく。

2005.10.09

世界の十勝、十勝の中の世界 その壱

9月29日木曜日から10月2日日曜日まで RALLY JAPAN の手伝いやらんか? ととある筋から誘いがあったのは、残暑がまだ残る8月18日のことだった。

走り好きだし、ラリーも好きな方になるだろうが、日高山脈を越えて十勝の国、帯広を中心として行われるイベントには、あまり興味もなかったのが正直なところである。大体、現在のトップラリーストが誰なのかもほとんど知らなかったくらいで。ソルベルグ? 誰それ? グロンホルム? 薬品の名前か? てなもんだ。大体、私の中でトップラリーストといえば、ユハ・カンクネン、カルロス・サインツ、コリン・マクレーくらいで止まっている始末だったから。

だが、シゴトとして世界的な大イベントに携わる機会が今後あるかどうか分からない上、気持ち的にもややテンパり気味だったことと、このことで自分を見つめなおすことができるといいか、などと考え、シゴト場へのお伺いも立てて時間の確保もして、受ける旨を伝えたのは8月24日のことだった。

その後、顔合わせだったり最終調整ミーティングなどがあって、とうとうその日となった。
ちなみに、その手伝いメンバーの中に低燃費5時間耐久サバイバルレースのチーム監督、Sさんも加わっており、札幌から帯広、帯広から札幌の道中はSさんの目立つクルマで、ということになった。


9月29日。
仕事面でテンパり、始終イライラしっぱなしの自分と決別するため、RALLY JAPAN の手伝いとのことで気合を入れるため、そしてその RALLY JAPAN に、お世話になっているショップの社長夫妻が参戦するため、その完走祈願をも込めて、アタマを丸めた。近所の安い床屋で、スキンヘッドにしてくれ、と言ってみたら、ウチじゃやっていないとのこと。ならばという事で、一番短いバリカン1ミリ刈りにしてもらう。

義務教育時代は、なぜか実家にあったバリカンで丸刈りだったため、坊主頭の経験がない訳じゃない。今のシゴト場になってからも、やはり気持ち的に相当テンパり、実家の奥にあったバリカンで丸刈りにしてもらったこともあった。が、今回のそれはレベルが違っていた。

全てが終わった後、鏡で自分の姿を見たら、マジでほとんどスキンヘッド。人相も悪くなり。ちょっと後悔の念もあったが、もう戻れない。伸びるのを待つだけだが、何らかのイベントの際には、今度はより潔く、自ら剃ってしまおうか・・・。
まぁ、それはさて置き、まとめた荷物を玄関そばに置き、迎えが来るまで少し仮眠。

14時30分過ぎ、迎えにきたクルマに乗り込み、いざ帯広へ。
平日の昼間だけあって、郊外へ走る道は比較的スムーズな流れと感じられたが、途中で出くわすクルマの中には、目的地、目的が多分同じだろう、と思われるのもチラホラと。Sさんは、勝手知ったるそんな道を軽快にすっ飛ばし、私はその横で少々硬直

私が知らない道を通り、休憩がてら満天の星空を眺め、Sさんがかつて先代愛車をオシャカにしたポイントを過ぎ、そんなこんなで帯広のホテルに着く。Sさんとは一度そこで別れ、私はチェックインして荷物を仮のアジトに突っ込み、ラリー用資料の整理をし、しばし後また、Sさんと彼の帯広在住の従兄弟と合流。セレモニアルスタートを道端で見学。

タイミング良くショップの社長のマシンが走ってくるのが見えた。

色とりどりのラリーマシンに混じって、パトカーやタクシー、バスが走り、一般車も走るが、中には勘違いしているんじゃないのかこいつ、なんて思われるシャコタンのバカヤンキー車が警備の警察官に食って掛かっているシーンもあったり。

と思えば、道路を渡っている人がいるにもかかわらず、信号無視気味にそこを通り過ぎるラリーマシンがあったり、さらには完全信号無視して次の信号で警察官に囲まれ、コ・ドライバーがマシンから降ろされる、なんてシーンもあったりして、ある意味ホントにお祭りだなぁ、と妙な感心なんかもしちゃったり。

その後、またSさん(+従兄弟)と別れて、私はシゴトを振って下さったMC、DJ軍団の方々とようやく露店のテラススペースで合流。ニットの帽子で隠していた頭を見せると、少し引かれたりも。
なぜかそこでスネークマンネタに火が着いて訳のわからない盛り上がりを見せ、世代間のギャップも感じつつも笑った。

その集団はその場を後にして、ラリーの運営本部(?)のHQ(ヘッドクォーター)へ。
そこでハグとキスでの別れの挨拶を見て、ここはもう世界なんだ、なんてことも思った。
さらに、ホテルに戻ると、ロビーにて、酒が入っていると思われる(おそらく)ノルウェースバルの応援団に絡まれ、ビールをご馳走になったりもした。

ただ、奴らが話している内容の殆どが理解できなかったため、えへへ、なんて感じで笑うしかできなかったのは悔しかったな。

しばらくロビーでシゴトを振って下さったMC、DJ軍団の方と打ち合わせ、続いて組織のベース基地となる部屋でさらに打ち合わせし、それで一日が終わった。
明日は午前5時にロビーに集合。

だが、自室に戻っても興奮のせいか、なかなか寝付けない。
結局、モーニングコール設定時刻までで1時間おきに目覚めてしまう。
睡眠不足モードで荷物を持ってロビーへ降り、そこでこのシゴトを誘ってくださったMさんと、Kさんと合流。Kさんの機材車デリカで本日の現場、足寄へ。


・・・・・・つづく。

2005.10.08

ぶー

昨夜書いた鼻血ネタで危惧したことが、シゴト場で現実となってしまった。イヤだなぁ、ホントに癖になりつつあるのかなぁ。

鼻水が垂れる感じを受ける → ティッシュで鼻をかんで対処する → 鼻の中で「きゅぅう」なんて音がなったような感じがした → 液体が垂れる感じを受ける → 手で押さえると真っ赤、なんて具合だ。

こうなったら人目を気にしちゃいられない。ティッシュを丸めて鼻に突っ込む。

普段無意識にしている呼吸、鼻がほとんど使えないため、意識的に口を半開きにして空気を吸い、吐く。そんななので集中力も持続せず、普段ならしないようなミスもやらかす。苦笑混じりののツッコミで済む程度でよかった。

小一時間ほどで「つっぺ(って北海道弁? 要は鼻に突っ込んだティッシュのこと)」を抜いて様子を見ると、とりあえずはダイジョブそう。だが、それまでのように、まるでトランペット奏者が力を込めて吹くかのごとくに「ちーん」とすると、また赤く染まるのだろう。
しばらくは、鼻をかむ時に注意しないとダメだろうな。


ちなみに、私のつっぺ姿を見て、イヤらしいことを考えていたんだろう、なんて突っ込みを入れるヤツもいたな。それに対して、血が増えてきたのかもしれん、献血にでも行ってみっか、と。

どっちにしてもヌクことには変わりはなさそう・・・。

なんか、シモっぽいオチだな・・・。
・・・・/font>

2005.10.07

♪ちゃらりー、鼻から(略)

大抵の一般的な人は「牛乳」と続けるんだろうな。

さて、(多分)微熱があって気だるく、コトある毎に空咳が出て辛く、その上鼻水も流れるようになったここ最近の私。一応、シゴト場の薬箱から少しだけ薬を着服して服用し、少しずつ健康体に向かっているという自覚はあるのだ。

が、まだまだ咳が出て、頻繁にティッシュペーパーを引っ張り出しては鼻をかんでいる。そのせいで、小鼻の周辺が爛れつつあったりも、する。その上、耳の奥で鼓膜が若干ずれるような間隔も味わう。

そんな状態でシゴトを終え、アジトに帰宅し、メシ食って風呂に入り、汗を流した。
風呂から上がり水気をふき取って、また鼻をかむ。さらにまたかむ。

すると、ぼたりと何か液状のものが落ちたのだ。
顔の汗が落ちたのか、と思って鼻をこするとかった。そして、まだ鼻の中に液状の物が控えている感覚もある。

鼻血だった。

ここしばらく鼻血を出した経験はない。おそらく、10年単位のブランクであろう。
ちょっとビビった。

なるべく多くの汗を流してカゼを撃退しようと、比較的長い間お湯に浸かり、まだ暖房ナシでも十分しのげる位の室温であっても、暖房機のスイッチを入れ、部屋着の上に綿入れを羽織っているそんな状態。

そんな状態の上、幾度となく力を込めて鼻水対処をしていたものだから、痛んでいた鼻腔内の毛細血管が切れてしまったのだろう。
ティッシュを丸めて鼻に詰めて、今このエントリを書いている。

癖にならないといいが>鼻血。

お相撲さんのブログ?

眞鍋かをりさまのブログで、なにやらそのようなコトが書かれていた。

スポーツ選手のブログは色々聞くけれど、大相撲の中にもブロガーがいたことは、恥ずかしながらこの記事で初めて知った。
結構意外な感もあり。ふむ、今度探して覗いてみようっと。

そいえば、眞鍋かをりさまにTB打つのも久しぶりだわぁ。
っていうか、TBが反映されないのはどういう訳だ?

2005.10.06

ここはどこ?

いつものように昼に目覚めた。
が、その時思ったことは、ここはどこだ? 今日は何曜日で何時に集合だっけ? なんてこと。

頭の中にはまだ、帯広のホテルが残っているかのようだ。
さらに、少々の体調不良がその記憶の混濁に拍車をかける。

今いる所、札幌のアジト、水曜日でいつものように出勤。ああ、そうかRALLY JAPAN は終わったんだ、と自分自身に言い聞かせつつ、この現実に「戻ってくるまで」およそ10分少々。

どうやら、常態レベルに復活するまで、もうしばらくかかりそうだ。

2005.10.05

やりたくなかったブッチギリ

歯医者の予約時間が10月4日午前10時30分だった。
ホテルのロビーで銃を撃って「オレの話を聞け」と怒鳴っている、なんて感じの悪夢を見て目覚めた時間は、12時30分だった・・・。

ホテルのロビーは、私がこのブログを放置して失踪中に寝起きしていた記憶が元になっているんだろう。銃は、最近あった車に向けての発砲事件の印象が、怒鳴っているのはのどの調子が悪くて痛いから、と見たが、さてさて。

すぐに歯医者に電話して、予約の振替をしてもらう。今度は10月12日の午前10時30分。しっかりとカレンダーにもメモ。

鼻水止め、風邪薬を飲んでそのまま出勤。
がほ、ごほ、げほ。

歯医者に行くのにこんな咳をするのはイヤだなぁ。

2005.10.04

いつもの土曜日 から(BlogPet)

実家着
しかし、夕食を食べている時に気付いたのが革靴忘れたというから22日から22日までの3日間休んでいた速度を落とさないような気が、した
シゴトが終わった・・
部屋に戻ってスペアとして取っておいたほぼ同型バルブと交換
その際、バックミラーで後続車の3日間休んでいた相方が休み
とはいえ、父方祖母の50回忌の法事をやるから帰って来いというから、スニーカーのままでは少々みっともない
なので深夜、無駄に実家−
アジトの往復を敢行
アジトにぐっすり


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちりから」が書きました。

ホテル

9月29日から10月1日まで、JR帯広駅そばのホテルで寝起きした。

冷暖房完備、シングルルーム、セミダブルサイズ(?)の大きめなベッド、ユニットバス、テレビ、ドライヤー、テレビ、冷蔵庫、机、机にはインターネット接続可能なLANケーブル etc。

小奇麗で必要として十分な設備で、コレで快適じゃないと言ったら大きなバチが当たるというもの。
少ない一人旅経験で、泊まったホテルはみんなそんな感じだった。

でも、正直、どう判断するべきなのかが分からないこともあったり、する。

たとえば、部屋履きとしてのスリッパ。
その部屋履きは、部屋のどの辺りから使うとイイのだろう? 部屋に入ってすぐ? 少し入ってから? ベッド
、机周辺に限る?
日本の家のように、玄関があり、そこで履物を脱ぐ、なんて感じで、明確な区別がないのがちょっとなー。


あと、バスタブにかけてあるバスマット(?)は、どこに置けばいいのだ? なんて疑問もある。
シャワーカーテンは、バスタブの内側に垂らす、という事はなぜか知っているが、そのマットはどこに置けばいいのかが、分からん。

バスタブ横、便器横、シャワー浴びてバスタブをまたいだすぐそこに置くものなのか、あるいは、バスルームの外、ドアを開けて足が着地するところに置くべきなのか、いまだ判断ができない。

なんだかトホホなコトで悩んでいるような気がしないでもないなぁ。

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