救急搬送21時半
乗らなくて済むものなら死ぬまで乗りたくないものに乗ってしまった。
それは救急車。
2月27日21時頃、右の後ろの腰あたりに発生した痛みは徐々にその輪郭をはっきりさせながら右わき腹の下部分を通過して、最終的には右腹部やや下部分に定着して、その存在感をアピールしだした。
最初、ズボンのベルトとシャツの間に挟んでおいた使い捨てカイロが悪さをしたのかと思ったのだが、どうやらそうではなさそうだ。
耐え切れるものなら耐え切って、きっちりシゴトも終わらせてから病院の深夜窓口に泣きつこうかと思っていたのだが痛みの波は最初から大波となって腹部を覆い尽くし、的確なシゴトを遂行するだけの集中力さえ奪っていった。
イスの上で楽な姿勢をとろうと思うも、どんな姿勢をとっても痛みは一向に和らぐ気配を見せず、ゆっくり深く呼吸をしようと思っても、荒く速く浅くしかできない。その上、息を吐くよりも吸う方が楽だった。
腹の痛みは出すもの出せばとりあえず楽になるだろう、と思ってトイレに行くも、大きい方は出る気配すらなく、小さい方も ちょぼっ とだけ。その時に腹に力を入れようと思ったら、これが全然入らない。
トイレを出、すぐ上の上司の元に歩いていったところで力尽き、その上司に「救急車を呼んでくれ」というのが精一杯だった。
救急隊が来るまで上司が座っていた椅子に低い姿勢でしがみつき、その姿勢すら維持するのが困難となって床に崩れ落ちようとした時、救急隊がやって来た。その時間は、永遠にこの責め苦が続くんじゃないかと思うくらいに長く感じた。
そして、救急隊員がもってきたタンカ(ストレッチャー)に乗って横になり、彼等の問いかけに応じようと思うも、荒く速く浅くしかできない呼吸では声を出すことすら難しい。
いつもの見慣れたシゴト場を横になり、何もできなくただ歯を食いしばって眉間にしわを寄せ、目を瞑って移動していき、救急車に乗せられても安心感すら感じない。ただ、救急隊の的確な対応だけが頼もしく思えた。しかし、身をよじって痛みに耐えている人間にとっては、生年月日や電話番号、住所を答えるのは物凄く辛かった。
隊員の一人が病院の選定をしている。どこかかかり付けの病院はあるか、との問いに対し「ない。お任せします」と応え、ちょっとの間の後にサイレンを鳴らしだし、救急車は走り出した。
病院の人となにやら話しているようだ。あと2、3分でそちらに着くと思います、だって。
ただ、やっぱりその数分の時間すらとても長く感じたのだった。サイレンを鳴らし、信号も無視してノンストップで走っていても、その時間はやっぱり辛かった。そして、その間中、目は瞑ったまま。
病院着。救急車から下ろされたストレッチャーは救急外来入り口を走りぬけ、救急処置室へ。ストレッチャーから病院ベッドへの移動を促され、体を横に転がすようにしてどうにか移動。その後、救急隊員が問い掛けてきたことと同じことを救急担当の医師、看護士が問い掛けてくるが、何度も同じことを答えるのは辛い。大体、痛みに耐えて話すことすら難しいのだから。
左腕での採血に2度失敗し、右腕で採血した後に血圧を測り、鎮静剤(?)の点滴を打ち、痛み止めの座薬を挿してもらうも、全然痛みは和らぐ気配を見せない。その状態で若い女医さんが腹部エコーをして、この痛みの正体がどうやら尿管結石らしい、と見解を述べてくれた。
点滴の影響か、痛み止めの座薬の効果か、あれだけ痛かった腹部がそのときはほぼ消えかかってはいたが、座薬を挿したため、おケツ方面になんともいえないような異物感が。
それでも、点滴を引きずりながら歩いて先生の話を聞きに診察室(?)に行くくらいにまでは回復した。
とりあえず明日、泌尿器科でCTを撮って、今後どうするかを決めましょう、ってことで終わり。
付き添ってくれた上司がシゴト場から車を呼んで、その車に乗ってシゴト場に戻り、着替えてタイムカードを押せば定刻の1時間押し。
ウソのように痛みが治まったお腹を抱えて買い物しアジトに帰ってこれを書いている今。明日はマジで早起きして病院に行かないと・・・。
« 死亡遊戯(というヒキコモり) | トップページ | 病院 2Days »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
あれ、辛いでしょう。
もう2回もやってるから。。。
食事改善しないと5年ぐらいで再発するそうで。
当分は水を1日2リットル飲まないといけないかな?
投稿: HOS(ほす) | 2007.02.28 12:26
死ぬかと思ったっす。
最初、盲腸が炎症を起こして悪化し、腹膜炎までいったか、あるいは膵炎か、なんてことも考えたんだけど、そうしている内に動けなくなるのな。
病院行って診断と安心を貰ったけど、まだ少し痛みが残っているよ。
投稿: たけぴ本人 | 2007.03.03 04:04