風の強い日
こんな日は早起きし、開店直後のスーパー、本屋に買出しに行って、帰ってきてからは引きこもり、だ。
特に何をしたということもない、ただ、風が強かったなぁ。ボタンを留めずに着ている革のハーフコートに風が巻き込んだらとても寒かったもの。
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こんな日は早起きし、開店直後のスーパー、本屋に買出しに行って、帰ってきてからは引きこもり、だ。
特に何をしたということもない、ただ、風が強かったなぁ。ボタンを留めずに着ている革のハーフコートに風が巻き込んだらとても寒かったもの。
暖房用灯油を買うためにクルマを引っ張り出す。目的のスタンドまでは1キロほど。そこで灯油を調達したら、そのついでにスーパーで食料品も買おうと思っていたのだ。
ところが、スタンド直前で気がついた。財布を忘れたことに・・・。
灯油はプリペイドカードの残額で何とかなるとしても、スーパーで買おうと思っていた食料品などは財布がないと買えない。第一、警察に止められたら免許不携帯でペナルティを科せられてしまうではないか。
まぁ、そういうこともなく灯油を買い、アジトのタンクに移し替え、それから財布をポケットにねじ込んで再度出撃だ。
最近、そういう財布を忘れてドアを出てしまうことが多いのだ。これはどういう訳だろう。
なんとなく、社会から取り残されているようなせいがしないでもない今日この頃ではある。
療養する前までの平日、午後出勤時のアラームで目が覚めた。朝8時過ぎのは完全シカトだったらしい。これは睡眠剤が効き過ぎたせい? それとも、ただ単に寝付いたタイミングが悪くてリズムが狂ったせい?
それからは、着替えることもせず相も変わらず引きこもり。BGMにFMを流しているのが唯一の社会との接点だったり。
これから寒くなるから、そろそろ暖房用の灯油の調達も考えないといけないなぁ。
午前中から買い物に。
その後は相も変わらず引きこもり。
病院に掛かって薬を飲んだおかげでおさまっていた咳がまた復活し出した。また病院に行くかぁ?
どうにもこうにも動けない、そんな日。
何に対してもやる気なんて出ず、動きたくない一日だった。
それでも、銀行、郵便局のハシゴして用事を済ませたのはエライ。なんて自分で褒めてみたり。
ただそれ以外では、布団の中で半分寝て半分起きているようなそんな意識状態だった。
曜日感覚がずれている。これは、数日実家に滞在し土曜に帰ってきたからだ。
だから、日曜日なのに平日のような感覚に襲われてしまう。
理性では日曜日だと分かっている筈なのに、妙に月曜日っぽい感じ。
まぁ、生活パターンは日曜だろうが平日だろうが今の自宅療養中の私には関係ないんだけど・・・。
息抜きと気晴らしとクルマのタイヤ交換を兼ねて実家に帰ってきた。
が、することやったら他にやることもないし、テレビだって見ない。
結局、我がアジトでの生活パターンと大差ない過ごし方となってしまった。
あと・・・、親に7月頭に帰った時よりも太ったと指摘された。これは自分でも承知している。基本、食っちゃ寝食っちゃ寝だもん、太るわな。この無駄についた肉をどうやって落としていくのか、これも一つの悩みの種でもある。
某カントク宅の修繕の手伝いをする予定だったのだが、雲行きが怪しいからということで中止に。という訳で、一日暇になったので、昨日病院で看護婦さんに言われたように、休養に専念。
さて明日は、心療内科のクリニックへ。
いつも通りに起きて咳の確認をする。昨日ほどではないにせよ、やはり出始めたら止まらず、苦しい。なので病院へ。
保険証と診察券を受け付けに出すと問診票が返ってきた。必要事項を書き受け付けに返してから、、促されるまま内科外来の廊下の待合椅子へ。
待ったのは10分くらいか。診察室に通されれば、会えばいつも同じ話をするじいさん先生。まぁ、それだけ信頼感があると言えばある。口を開いてのどを見せると「あー赤いね」、それで、点滴を打つことに。
症状は咳だけだから、点滴パックも大きくない。その点滴が終わると会計。釣り銭と一緒に渡された処方箋をもってすぐ近くの調剤薬局へ。調剤薬局で結構待ち、それから薬を受け取って外に出たら雨が降っていた。アジトを出たときは晴れていたのに。
それから昼飯と夕食後に、アタマのクスリと一緒に新しく出されたクスリを飲む。心なしか咳も落ち着いてきたような気もしないでもない。連発だったのが散発にレベルダウンしたしタンもそんなに絡まない。
このまま咳の方は良くなってくれればよいのだが。で、明後日は心療内科なのだな。
もう ごほがほげほ、なんてレベルを通り越し、気管全体が共鳴して震えるような「げんげんげん」なんて咳がとめどなく、出る。
キャンデーを舐めてみても大して凌げないし、総合感冒薬だって効いているのか怪しいもんだ。よって、明日病院に行こうと思う。気管支炎で済んでおればいいのだが。
生活パターンは昨日とほとんど変わらない。
こうやっているうちにだんだん社会復帰ができなくなるんじゃないのか、なんて恐れてしまう。
飲み物のストックも底を尽きかけている。明日にでも買い物に出ないとな。
寝ていた。ひたすら寝ていた。
食っていないとき以外は寝ていた。
パソコンいじっていないとき以外は寝ていた。
だって、体の調子が優れないんだもの。咳が出始めたら止まらないし、その状態で上体を起こせば激しく頭が痛むのだから。
そんな時にラジオで聞いた訃報。
「帰って来たヨッパライ」などのヒット曲で知られる音楽家の加藤和彦さん(62)=東京都港区六本木=が17日、長野県軽井沢町のホテルで首をつって死亡しているのが見つかった。パソコンで打った遺書らしきメモがあり、軽井沢署は自殺とみている。同署によると、加藤さんは16日、1人でホテルを訪れ、1泊2日の予定で宿泊。ホテルから17日午前8時半ごろ、「客室の男性と連絡が取れない。室内を確認してほしい」と通報があった。
署員とホテル従業員が17日午前9時半ごろに部屋に入り、浴室内で死亡している普段着姿の男性を発見。同署で関係者が加藤さんと確認した。
加藤さんは1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの最初のシングル「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。その後、南北分断の悲しみを歌った北朝鮮の曲「イムジン河」が政治的な配慮から発売中止になった。
ソロ転向後は北山修さんと連名の「あの素晴しい愛をもう一度」が大ヒット。ギタリストの高中正義さんらと結成したロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」で海外にも進出した。
作曲家、プロデューサー業のほか、スーパー歌舞伎の音楽担当など幅広く活動。木村カエラさんを迎えてのサディスティック・ミカ・バンド再結成やアルフィーの坂崎幸之助さんとのデュオ「和幸」など、第一線で活躍を続けていた。
若いときに影響を受けたグループのリーダーだった人が、このようなことになるなんて。
もうちょっと私が不調だったら、発作的にそういう行動を起こしていたかもしれない。
今はただ、安らかにとだけしか言えない。
目覚まし代わりのケータイが鳴る前にその筺体が震えた。半ば寝たままで通話すれば実家の父からで、来月の法事どうする、なんて内容だったような。そして、法事にも参列し会食も出る、なんて答えたような。
寝起きで頭がまだ動いていない時なんてこんなもんだ。
近いうちに実家に帰る用事があるからその時にでもまた確認してみるか。
そんな電話で眠りを妨げられたので、半ば腹が立ったので昼過ぎまでそのまま布団の中でうだうだと。
起きたからと言って何かをするということもない。ただ、咳が出始めたら止まらない。これも近いうちに病院に行った方がいいかな?
目覚まし代わりのケータイアラームが鳴る。が、無視。あるいは、無意識のうちに操作してスヌーズを止めているのやも知れぬ。なんか、眠剤が変な感じで残っている気がして動けなかった。
そんな訳で起床したのは昼前だった。でも、取り立ててするべきこともない、病気療養中のニート。後のことは、起きていたのかも定かではないくらいの意識レベル。ただ、久々にトイレで「生産」できたのは何か収穫じみた感慨もあったり。
開店前のスーパーに立ち寄り、軒先にある古紙回収ボックスへ夕べ頭文字Dを発掘する際に一緒に出てきた古雑誌を縛って投げ込んでから、ちょっと遠いブックオフへ。安く買いたたかれるか、思ったよりも高く買い取ってもらえるか不安になるも、1,720円との査定。まぁこんなもんだろう。
戻ってきて髪が伸びで鬱陶しくなっていたと思いだし、床屋へ。いつもは待たされることなくすぐにやってくれるのだが、待合椅子がいっぱいになるほど混んでいた。こんなのは初めてかもしれない。1時間ほど待ってからいつもの通りの注文をし、調髪椅子に座って目を瞑る。
それが終われば昼。
でも、それだけ動いただけで疲れてしまい、横になってしまう。
夕方、夕食にふさわしいご飯物を買いに近所のスーパーへ。
ついでに銀行ATMで記帳してみたら、傷病手当金が入っていた。これで少しは楽になる。
久々にこんなに動いたような気がする、こんな日。
やる気が出ない。どうしても出ない。
それでも夕方、買い置きの食料がなくなったからと重い腰を何とか持ち上げて、クルマを転がして買い物へ。
その帰りに本屋に寄って、雑誌を一冊購入。
結局こんなもんだ。
それでも、いきなり思い立って、置いてあるだけと化してしまった頭文字Dを一か所にまとめ、売り飛ばす算段を立てたりも。アジトが散らかり放題に散らかっているから、どうしても1冊見つけだすことができなかった。これは売る際に何らかのマイナス要因になってしまうのだろうか?
そして、明日はその算段に従って売りに出かけることができるだろうか。
朝起きる。飯を食う。また横になる。でも眠らない。
何のやる気もしない日だった。電話で誰かを捕まえ様にも、出てくるのは愚痴か、助けてほしい、なんてことばだけだろうし。
夕方になってようやく外出したが、それも最も近いコンビニまでという始末。コンビニで使えるプリペイドカードが財布の中で行方不明になって、結局現金払い。
やっぱりダメダメだ。
それにつけても、何で咳が出ると止まらないんだろう? 出ないときにはほとんど出ないのに、一度出だすと際限なくごほがほげほ。どうしたもんだか。
雨の音と寒さで目が覚めた。時折吹く強い風に乗って窓を殴りつけるかのように雨がたたきつけてくる。よく見れば白いものも。これはアラレかヒョウか。こういう荒天の時にはクルマでフラフラしたい気持ちにもなったものだが、今の自分にそういう気分は起こらない。
正直、何もしたくない。
てな訳で、やったことと言えば、手持ちのCDを適当に見繕っての MP3 化くらいのもの。でもそんな機会でもないと、音楽と正対することすらできない。久々にちゃんと音楽を聴くと、妙に心に染みてくる感じだ。今の私に一番必要なものなのかもしれない。
午前中に買い物。それ以外で特に記すようなこともなし。
ラジオで竜巻注意なんて告げていたが、それらしい天気、という訳でもなく。と思っていたら午後から結構激しい雨が降ってきた。地震もあったらしい。さらには雷も。
そんなめまぐるしい天気の中、寒さに耐えかねて暖房器のスイッチを入れた。
特に記すことのない日。
台風が過ぎ去り、外はいたって静かなもんだ。
買い置きの食料も底をつきそうだから、明日にでも買出しに出るか。
クリニックの日。朝起きてからBGMにしているFMでは、台風に関する情報が流れている。が、クリニックに行って帰ってくるまでは雨は降るまい、なんて判断した。それにしても、先週の予約の時にもっと遅い時間にしてもらえば良かった、なんてことを思いつつ、10分ほど歩いて最寄りの駅へ。
最寄りの駅を変えてから、時間の読み方がまた少しわからなくなった。クリニックについたのは予約していた45分前だもの。でも、センセに会って状態を話し、懸念の腹の状態を告げたら整腸剤としてビオフェルミンをだされた。
階下の調剤薬局でのクスリを受け取り、帰宅途中でスーパーによってATMで記帳してみれば、やっぱり傷病手当金の入金はなし。そのことも含め、シゴト場に電話するも担当の人はなかなか捕まらず、結局3回目の電話で事の次第を話せた。
その後昼飯を食べていたらその担当者から電話。受理が何日だから、もっと遅れるかもしれない、なんて教えてくれた。
その後、妙に寒く激しく咳も出るため横になってしまう。そしたらこんな時間まで目がパッチリ。睡眠剤で半ば強制的に眠るか。
今のところ、外は静かに雨が降っているだけだ。これがアップされることにはどうなっている事やら。
ほんのちょっとだけ動いた。近所のスーパーの開店直後に入って食料品などを買出し、あとはアジトに戻って引きこもり。
機能と同じく、夕方に軽い気持ちで横になったら、気がついたら夜の7時半。いつでも寝られるように睡眠剤を飲んでおく。
それにつけても、妙に腹が痛い。と思ったら、「痛みの本体」を排出したら楽になった。これはここしばらく続く傾向なのだな。基本は、ちゃんとした食生活、といったところか・・・。
アジトから出たのは夜になって明日分のゴミを出すときだけで、あとはずっと引きこもり。
ずっと寝ないでいようと思っていたのだが、夕方に軽く横になったつもりが爆睡モードになってしまう。これで再び寝られるか不安。
口の両端が痛いのは口角炎か? ということは胃腸の不調ということになるのか? 思い当たるのは・・・、ほとんど食っちゃ寝食っちゃ寝だから?
買い物に行かなければいけないのに、なかなか動くことができない。
意を決して表に出て、通帳の記帳をすれば、もうとっくに振り込まれていていいはずの傷病手当金がいまだ振り込まれていない。これは一体どういうことだ?
その足で買い物へ。
普段なら車を使うのだが、たまにはいいだろう。
なんて思ってレジ袋の大きいのを一杯にふくらませて外に出たら小雨・・・。クルマを使えば良かったような気がしないでもない・・・。
引きこもり。
起きる。食べる。ネットする。飽きて横になる。そのまま寝てしまう。夕方の適当な時間に起きて冷や飯にレトルトカレーをぶっかけてそれで夕食。
買い置きの食料も底をついた。明日にでも買いに出るか。
さて、薬飲んで寝てしまうか。
引きこもり。
前日、シゴト場へ行く用事があったため、そのついでに食料を買い込み引きこもりに備える。
やたらと体がふらつく。バランスが取れず倒れ込むこと幾度か。これは何だろうなぁ。体力不足? 薬の副作用? 行動の一つ一つを自分自身で確認しないと危なくてしょうがない。
こんな感じの内容でも再開する価値があるか、疑問ではある。
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