去年の今頃は、ただアジトの中で腐っていた、そんな気がする。
3月一杯でそれなりに長く勤めたシゴト場を辞し、と同時に医療業界からも足を洗い、そして自宅療養という日々が続いた。夏場は暑く、特に午後からは窓から西日が入ってきて、アジト内は蒸し風呂と化す。焼け石になんとやらだけど、ガスコンロの真上にある換気扇を回し、日が入ってこない方の窓の傍に小さい扇風機を置き、西日が入ってくる窓も少し開け、空気の入れ替えに苦心したっけ。
テレビはろくすっぽ映らず、映っても人物像が幾重に重なって見えてしまう始末。別のチャンネルでは、砂嵐で中に人間らしい物体が動いている、そんな状態だった。だからテレビはほとんど見ずに、一昨年、平成21(2009)年の成人の日の特別番組で某FM局から頂いたミニコンポで、ラジオを流しっぱなしにしていた。
しかし、ラジオを聞いてはいても、その情報を理解しないまま聞き逃してしまうなんて体たらく。
まるで喜怒哀楽全ての感情を失ってしまったかのような状態で、考えることと言えば暑いってことと、自身の存在価値について、だけだった。何のために私は生きて、いや、生かされているのか、そんな事ばかり考えていた。
何かをやろうという気持ちさえ起こらず、ただ時間を消化していくだけ。まるで自分自身が見えなかった。必然的に食べる量が減ったのだが、逆に何故か体重が増えて、その事実でまたさらに自己嫌悪に陥ったりした。ホントに辛かった。いや、辛いという感情さえ、なかった。
まぁ、過去のことをあれこれ書いても仕方がない。
いつものように、気になったニュースをネタに一本、ネタをでっち上げるとしよう。
・・・・・・、っつーかさ、北海道新聞のサイトの「暮らし・話題」なんてところを見ると、なんで同じ日、7月2日付で、別々の場所でSLが走った、なんてニュースがある訳? JR北海道もJR東日本も、なんか間が悪いなぁ(^^;。
SLオホーツク号快走 網走駅で出発式 観光客が歓声
【網走】JR石北線と釧網線の北見-網走-知床斜里間(90・3キロ)で2日、JR北海道の臨時列車「SLオホーツク号」が運行された。同区間をSLが走るのは1975年以来36年ぶり。
乗客256人を乗せて午前8時27分に北見駅を出発。網走駅にSLが姿を現すと、記念撮影をする市民や観光客から歓声が上がった。3日も1往復運行される。乗車券は既に売り切れた。
JR北海道のSLの持ち駒は C11 171 と C11 207 の2両。オホーツク沿岸を走ったのはカニ目だから、207 の方だな。ただ、C11 単機では荷が重いのか、あるいは知人が話していたように、フルパワーを絞り出すとボイラー周りにダメージを食らうからなのか、とにかく、ディーゼル機関車の補機、DE10 なのか DE15 なのかは定かではないが、が付く。常紋峠越えなんてことをやった時には、C11 に対してディーゼル機関車の補機2両、なんて組み合わせだったように記憶している。こうなると、C11 は形だけ、言わば死重みたいなもんかな、なんてことも考えてしまう。
こちらには C11 を先頭にしてその後ろに DE10(DE15?) が付いている動画がある。いつまでこの動画が見られるかは分からないけど。
ま、確かに小型で使い勝手も良いんだろう。過去に走った C62 と比べたら、カネも掛からないんだろう。走った路線、駅に転車台、ターンテーブルがない場合でも、バック運転も余裕でこなせちゃうしね。
でも、私が幼少期を過ごした所は旧夕張線沿いで、父は国鉄職員。
旧夕張線は夕張炭田からの石炭を運ぶ長大列車の先頭に立って D51 が最後の最後まで頑張っていた路線だ。当時住んでいた家からも D51 牽引の運炭列車の姿を見ることができたし、父の仕事が休みの時には、父に連れられて、線路のそばまで迫っていた牧場の柵越しに牛に草を食べさせる、なんてことをしながら、そんな運炭列車を見送ったこともある。しゅーしゅー言って白や灰色や黒い煙や水蒸気を吐きながら迫ってくる D51 は、幼児期の私には恐怖に感じた。大体、駅に止まっていてホームからも容易に近付けるシチュエーションでさえ、大きな生き物のようにしゅーしゅーという息遣いと、近づいたら近づいた分だけ暑く感じる熱気で、やっぱり近づくことができなかったもの。
そういう記憶を幼少期に叩きこまれていると、C11 には悪いけど、D51、デゴイチじゃないと嫌だ、なんて思ってしまう訳よ。最低でも炭水車付きのテンダー機関車じゃないと、なんて考えてしまうんだ。
でも、かつて C62 ニセコ号なんて運転されていたこともあったけど、私にとって C62 はデブチン過ぎた。復活したら復活したでそれは嬉しいことだけど、ただ、稼働させるにはカネが掛かり過ぎるそうだ。ならばってことで C11 が復活した、ということになるんだな。
対してJR東日本のSLの持ち駒は C57 と D51 それに新しく加わった C61 の3両か。羨ましいぞ、チクショウめ。
SL3両、上州路を走る 誘客企画で9月末まで
1日から始まったJRグループなどの観光誘客企画「群馬デスティネーションキャンペーン」のイベント列車として、JR東日本の蒸気機関車(SL)3両が2日、客車に計約700人を乗せ、群馬県高崎市のJR高崎駅を一斉に出発した。
大きな汽笛の音とともに、煙をもうもうと吐いてSLが動きだすと、集まった数百人の鉄道ファンらは盛んにカメラのシャッターを切った。
3両のうち、C61とC57は連結して上越線水上駅(群馬県みなかみ町)へ、D51は信越線横川駅(同県安中市)へ向かった。
キャンペーンは9月末までで、主にC61とD51の2両が運行。
C61 と C57 の重連だと? それに対抗して D51 は単機か。D51 はもともと貨物用機関車だったから、ちょっと荷が重くても引っ張りだせそうだ。
それにしても・・・、やっぱり羨ましい。
だけど、JR北海道の2両の C11 も、JR東日本の C57、C61、D51 も、何かどこか、本来の使い方をされていない気がするな。SL全盛時代は客貨を運んでナンボだったんでしょ? そんな過去の遺物を取り上げて修理して、平成の世を走らせるというのは何か違うと思うんだ。観光用? そう割り切って客寄せパンダに徹してもらうしかないのかな?
さすがに、SL牽引の列車を定期運行させるのは無茶な話だとは思うけど、なーんか、やっぱり、どこか、しっくり来ないんだよな。どうしてだろ?
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