花火ってきれいだね
豊平川花火大会があった。風向きによっては花火特有の火薬の匂いも漂ってくる我がアジト。そのアジトの玄関ドアの前で、花火の音を聴き、空に散る花を観ていた。いや、我がアジトが入るおんぼろアパートの外廊下から見られる花火ってのは、建物に邪魔されて低い高度で咲く花火はチョロっとしか見えない。フラッシュライトが ぱぱぱぱぱ と周囲や空の煙を彩ることはあっても、その様子は想像するしかなかった。いやぁ、夏場の部屋着 兼 寝巻、赤いTシャツにステテコ形状のハーフパンツじゃ、花火の様子が見られるところまで歩くのにかなりのためらいがあったんだよ。
でも、高い高度で開く花火は十分観ることができた。その美しさたるや、何と表現すればいいのだろう。とにかくきれいだった。
考えてみると、花火大会を観たのって、20年近く経験していなかったよ。
だって、夜のシゴトで花火がドンと上がって空で花開くその時間帯は、目を三角にしてシゴトしている時間帯だったからね。
そして、最後に見た花火大会ってのは、多分育った街でのショボい花火大会だったと思う。その当時は鉄筋コンクリート5階建てのJR(旧国鉄)アパート、そこの4階に住んでいて、ベランダで何にも邪魔されずに花火を観ることができた。覚えている限りでは、駅構内の向こう側、JRか国鉄清算事業団所有の野球のグラウンドレベルのスペースで打ち上げられていた。そのアパートに住んでいなくて花火を観る人は、必然的に線路まで接近できるギリギリの柵まで寄っていたか、あるいは駅のホームで観ていたか。駅では、構内放送を使って、次上がる花火なんかをアナウンスしていた。
でも、やっぱり田舎のショボい花火大会だから、バリエーションが少ないのだ。早打ち(早いとはとても思えなかったが)と、スターマイン、とそんなレベルだった。ただ、花火を観るのに邪魔になる物がない最適な場所だった上に、打ち上げ地点も凝視したら見える位の位置だったため、光と音のタイムラグってのがほとんどなかった。そして、風向きによっては花火の煙と火薬の匂いが立ちこめる、なんてこともあったなぁ。
このアジトに住んで20年近く。外廊下で花火を観たことなんて初めてだ。いや、何とかと煙は高いところが好き、なんて格言(か? そうなのか?)があるように、アパート横にある鉄の梯子を登って屋根に陣取ろうと行動したのだが、梯子の最上段に大きな蜘蛛が巣を張っていて、その横で小さな蜘蛛も巣を張っていた。その2匹の蜘蛛の存在で屋根に上ることを諦めた私だが、あー、情けない。仕方がないのでその梯子にへばりついて花火観賞、となったのだが、あれって登るときは良くても降りる時はやたらと恐いねぇ。梯子にへばりついていた時間もそんなに長くなかった。
でも、近所の家の子供や近くの会社で残業中と思われる従業員も、それぞれの建物の屋根に陣取り、花火観賞をしていた。
それにしても何だな、職業訓練校から帰るJRでも地下鉄でも、浴衣姿の女性の姿をまま見ることができた。中には男性も浴衣のカップルもいたが、それはそれでなかなか粋だなとは思ったが、職業訓練校から帰る時間帯って、遅くても午後5時半くらいだよ。そして、花火が打ち上がるのって午後7時半とか午後8時とかそんな感じじゃなかったか? その間そんな彼等は場所取りのために動いていたのか? そういや、市内中心部向けへの渋滞も朝の出勤時間帯のそれ以上だった気がするし、その間に赤色灯を回したパトカーが走っていたり、そうかと思えば上空でホバリングしているヘリコプターがいたりと、なかなか物々しかったな。
まぁいいや。「どん」という地響きにも似た音を体で感じ、若干のタイムラグの後に空を彩り、すぐに散る花を観るのも良いものだ。ただ、単独行動という選択肢しかないという事実が寂しくもあったり。
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