坊ちゃん
私はどうも「メインストリーム」から離れた物に興味を持ち、それにのめり込んでしまう性格のようだ。41年生きてきて今さら気づいたのか、なんて問われたら返す言葉がない。
さて、現在私は実家に帰省し、心身の充電の真っ最中である。
実家には弟が使っていた机がまだ残っており、これは好都合とその机にノートパソコンを置いてぽちぽち打っているのだが、身長180センチ越えの男がパイプ椅子に腰掛け、机に向かうのは大変窮屈である。体を後ろに引かないと使えない引き出しを取り払ってしまえば、まだ太ももが机に干渉することもないだろうが、まぁそれもメンドくさいと。
なので、机の上面ぎりぎりの位置にノートパソコンを置き、足はあまり机に潜り込まないようなポジションを取っている。が、やっぱり窮屈なんだよね。
その弟の机に2冊の文庫本があった。1冊は夏目漱石の「坊ちゃん」で、もう1冊がマーク・トウエンの「ハックルベリイ・フィンの冒険」だ。その2冊を弟が買ったのかどうかは分からない。
私は幼いことから本が好きで、学習図鑑の乗り物を扱ったものはホントにボロボロになるまで読んだものだ。その他、父がどこかから貰ってきたと思われるハードカバーの西洋の怖い話の本なども、幼稚園時代には読んでいた。
乗り物を扱った学習図鑑は弟も私とほとんど変わらない興味を示していた筈なのだし、私6年間、弟6年間、タイムラグは2年ということで、8年は親が学研の科学と学習を買い与えてくれた。自分の分の科学と学習が読み終わると弟の分の科学と学習を読んだりして、「これが2年の差か」なんて思うこともあったくらいにして。
だが、中学に入ると状況は変わり、私が中一~中三コースまで買い与えてくれたのに対し、弟はあまり本が好きでなかったようなのを親も知り、中学時代の情報誌を弟に買い与えるということはなかった。
また、中学時代の国語の教科書で星新一のショート・ショートに出会って衝撃を受け、高校時代に至っては田舎から汽車で40分の工業都市の高校へ通っていたため、帰りの汽車の時間待ちのために古本屋(といっても2件しか知らなかったな。ブックオフなんてものも存在しなかったし)に立ち寄っては、財布の中身と相談し、貪るようにして日本のSF作家の作品を読み漁ったものだった。
正当路線を踏襲するならば、太宰治とか芥川龍之介とか夏目漱石などが挙げられるかもしれないが、私には日本のSF作家の文庫本の方が大切だった。その文庫本もいまだにアジトの片隅にあり、「もう読まないんだから処分しちまえ」なんて親に迫られても、のらりくらりとかわしている昨今なのだが、さすがに20年以上も読まないで置いておいた文庫本の山は、そろそろ古紙回収ボックスに投げ込んできてもいいころかなぁ、なんて思ってはいる。
さて、実家にいると時間を持て余してしまうのだ。今は Pocket Wifi の端末をノートパソコンに繋げることでインターネットにアクセスできるようになったし、実家のCDを借りて MP3 化する、なんてこともやった。雑誌も時間潰しにはちょうど良かった。が、それら全てを使い切ってしまうと、ホントにヒマになってしまう訳だ。
なので、カバーを裏返しにしている怪しげな文庫本2冊を発見し、そのうち薄っぺらい方を開いてみたら、夏目漱石の「坊ちゃん」だったという・・・。
まぁそれだけだったら「へー、弟が買っていたとは思わなかったなぁ」で済んでいたのだが、職業訓練の Word の授業で使ったテキストに坊ちゃんの一部が引用されていて、それを課題として入力せよ、なんてものがあったため、多少興味がわいたんだな。
でも、時代が違うと言葉使いや漢字の使い方も違っていて、入力ではえらく苦労した覚えがある。読むにあたっても、まぁ、慣れてしまえばすらすらと読めるようになったが、それまでは結構大変だった。
ストーリー的には現在にも通じるものがあってなかなか興味深かった。
東京の物理学校を卒業した後に四国の中学校へ数学の教師として赴任した「坊ちゃん」だが、宿直時にあった生徒のイタズラにブチ切れたり、教師間の人間関係で、嫌いな相手の弱みに付け込んで鬱憤を晴らして辞職したりと、人の所業ってのはそうそう変わるもんじゃないんだなぁ、なんて思い知った次第ではある。
これが、古典文学への入り口になってくれたらくれたで面白いんだろうけど、ほかにもやらなくてはいけないことが山積していて、本を読むという機会を作ることが難しくなった。自分のクルマを手に入れたころから、読むという行為が雑誌に限られてしまったのも原因かもしれない。
でも、平井和正の長編小説に関しては、角川文庫から徳間書店へと出版社が変わっていたりしながら、現在も続いているのかどうなのか。でも、本屋に行ってもなかなかその続きを探し出せないし、ブックオフではまず並んでいないし、場末の古本屋で何冊か見つけたとしても、何巻まで読んだのかを忘れてしまっている始末。それらを整理するにせよ処分するにせよ、「最後にもう一度目を通しておきたい」なんて気持ちがあると、その行為の終わりがいつになるのか、考えるだけでも頭が痛くなるな。
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