さくら さくら
花は桜木、人は武士、柱は檜、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの
一休さんの言葉らしい。
さて、桜前線もどうやら北海道に上陸しつつある模様。私はあまり、桜の下でジンギスカンを食う、なんて北海道の風習(なのか?)はあまり好きじゃないんだけど、でもやっぱり思い出すんだよね。父の職場の同僚家族と連立って静内の二十間道路へ行って宴会、なんてのを。
春とはいえ、まだまだ日が陰ると寒いんだよ。
おかげで、そんな宴会が終わって帰るころにはすでに体調不良になっていたり・・・。それにしても、酒を飲んだ後でいくら酔いを醒ましたとはい(以下略)。
ただ、最近になって思うんだ。
今の日本があるのは、命を賭した先人たちのおかげなんだって。そして、今の日本はその先人たちが見てもらうのに相応しい社会なのか、世の中なのかって。
ここの所、バカな若い奴が運転免許を持たずに自動車を運転し、罪のない人を轢くという事件をよく見聞きする。そのバカな若いヤツや、そいつを育てた親は、生まれてくる時期が遅過ぎたんじゃないか。大東亜戦争中だったら、艦にぶち当たって敵兵を殺しても、それは名誉の戦死と捉えられるだろう。
殺す相手が違うよ。
敵でもない、そしてホントに罪のない幼い子供やお腹に命を宿した女性を殺してしまうのは、結果がどうあれ、手段が何であれ、許される筈はない。大体、運転免許を取ってちゃんと安全運転を心掛けている人だって、ひょっとしたら人を殺してしまうかもしれない。そして、そんな事故を起こすのは、次は私かもしれない。
そういう想像力ってないのかねぇ。それとも、自動車の頭が良くなり過ぎた分、運転する人間に技量をさほど求めなくなった弊害なのかねぇ?
何でさくら? 大東亜戦争後期に、さくらの名を冠した人間ミサイルが存在したんだよ。
自動車を運転する資格のないヤツが自動車を運転して人を殺すんだったら、その人間ミサイルに搭乗させて国のために死んでもらった方が良かったんじゃないのかって。
それとも、先人たちの犠牲とバカな若いヤツの犠牲になった人をネタにして、こういうネタをアップする方が不謹慎なのかな?
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