昭和は遠くなりにけり
再就職活動の一環として、アンティークとリサイクルが売りの店に面接に行った。と、その前に客として冷やかしに行き、2階に上がってビックリした。というのも、昭和時代の遺物、あるいはもっと古い品が所狭しと並べられていたから。当然、ウチに来た電話機、電電公社からの貸与品のいわゆる黒電話なんかもあった。あの黒電話、デザイン的に見てもこれ以上ない梳くくらいに完成されているように思ったのは私だけだろうか。
テレビドラマの影響で、受話器を置く架台の裏側に指を突っ込むのに最適な窪みがあって、そこに指を突っ込んで、電話線が届く範囲内で受話器を方と首に挟んで「ん~、なんだとぅ」なんてやるのがカッコ良く思えたもんだ。
また、今はもうほとんど使えない、ロータリーチャンネル式のテレビもあった。地デジチューナーを繋ごうにも、アンテナ線を加工するRF入力じゃ、相当電気的な知識がないと難しいように思える。試しに店員に聞いてみたら「ああ、オブジェとして、飾り物として買っていかれる方もいらっしゃいますよ」なんて話だった。
そういった不思議、不可思議な品物の中で働きたい、なんてことを考えてアタックするに至ったのだが、結果は玉砕だった。でも、また懐具合に余裕があったら、何か面白い品はないかと覗きに行こうかとは思っている。
で、そういった昭和レトロ、というか、昭和モダンというか、そういう品の魅力に取りつかれた人がいて、そういう品を集めた展覧会が東京で行われているという。
昭和30年代の“宝箱”ズラリ トホホ?な家電も紹介 足立郷土博物館
2012.9.2 12:00[家電]日本が元気だった昭和30年代に登場したたくさんのおもしろ家電を紹介する展覧会「タイムスリップ 昭和家電」が、東京都足立区大谷田の区立郷土博物館で開かれている。大阪府枚方市在住のレトロ家電コレクターで「大阪市立住まいのミュージアム」研究員、増田健一さん(49)のコレクションで、都内では初の展示だ。
増田さんは、小学生の頃、30年代の日本や東京を取り上げた写真集を見てその活気に取りつかれた。特に失敗作、勇み足だった製品に興味を持ち、古道具商や露天市をめぐって集めたという。
増田さんのコレクションは家電だけで約700点、雑誌や食品、洗剤などを含めると約2千点に及ぶ。その中から約100点が展示されている。
「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫をはじめとする様々な家電が誕生、普及した30年代。家電は豊かさの象徴であり、あこがれの存在でもあった。当時のシンプルかつ丸みをおびたレトロなデザインはどこか懐かしくかわいらしい。
その一方、トホホな家電、アイデア倒れの家電も少なくない。
まだテレビが高価だった時代に雰囲気だけでもテレビを味わいたいという人向けにシャープの「テレビ型ラジオ」。暗いところで電源を付けると画面にラジオのチューナーが映し出される。これで楽しかったのだろうか。
テレビが高価だった時代。雰囲気だけでもテレビを味わいたいという人向けの早川電機工業(現シャープ)の「テレビ型ラジオ」。電源を付けると画面が明るくなる。昭和31年の発売だが、1万900円もした=足立区立郷土博物館
受話器は1つでダイヤルが2つ、向き合って使える電話、岩崎通信機の「ボースホーン」。当時は電話が重かったから、意外と便利かも。今なら絶対不要だが…。
上下に2つの羽が付いている富士電機の扇風機「サイレントペア」は昭和32年の発売。別々にオン・オフや強弱を切り替えられる。これで2倍涼しい?
2倍涼しい? 富士電機の扇風機「サイレントペア」は昭和32年の発売。上下別々にオン・オフや強弱を切り替えられる。価格は不明=足立区立郷土博物館
電気ハサミに電気缶切り…と何でも電気を使ってみましたという製品も少なくない。
昭和45年に松下電器産業(現パナソニック)が発売した電気缶切機のデモ。5900円で、新幹線(東京・新大阪間)代約4100円よりも高かったという。展示品は36年に東芝が発売した別型=足立区立郷土博物館
そういえば、実家に「電気ゆで卵器」(東芝製)というのがあったが、あれもトホホ家電の一種だったのかなあ。
中でもお薦めは、スイッチを切り替えると羽が逆回転し、後ろから風が出る日立製作所の扇風機「ポルカ」だ。34年に発売され、普通の扇風機の約2倍に当たる7200円、当時の月給の約半分だったという。
スイッチを切り替えると後ろから風が出る日立製作所の「ポルカ」。昭和34年の発売。7200円で、普通のサラリーマンの月給の半分程度した=足立区立郷土博物館
トーストと目玉焼き、ホットミルクを同時に作れる東芝の「スナック3」は40年発売で3500円した。「発想が間抜けでしょ。毎日こればっかりやったら飽きるやろと。大メーカーがまじめにこんなもの作ったんやな。洋風な生活に憧れたんでしょうね」と増田さん。
だが、これこそ当時の日本人の夢や希望が詰まった“宝箱”だと説明する。
「30年代は世の中ががらっと変わり、マーケティングとか考えず作られた。今やったら売れへんで、安全面で問題あるで、という商品がたくさん。見ても教養は深まらないけど、ほっこりしてもらえれば」と笑う。
東芝の「ウォーキング式トースター」。横から入れると、自動で運ばれ、焼けて出てくるが、普通のトースターの2倍の値段であまり売れなかったそう=足立区立郷土博物館
これらを見ると、今の中国やインドで登場している家電を笑うことはできないなあ、という気分になる。
10月8日まで、高校生以上200円。月曜休館(祝日の場合は翌日休館)で、10月1日(区民の日)は開館。
ハンドルを回す脱水機構を内蔵することで、旧型(左)と比べてスマートになった早川電機工業(現シャープ)の洗濯機=足立区立郷土博物館
9月15日は無料公開日となり、午後2時から3時半まで、増田さんの「家電おもしろ大解説」が行われる。定員は100人、先着順。申し込みは不要。
この展覧会、北海道にも来てくれないかなぁ。性能はどうあれ、工業デザインの視点で見ると、これはこれで一つの完成形だと思うもの。ただ・・・、一瞬だけ「欲しい」と思ったけど、こんなのサギじゃん、なんて思うのもあるわな。最初のヤツ、シャープのテレビ型ラジオって、電源を入れるとただ周波数ディスプレイが明るくなるだけって、こんなの、当時のラジオ小僧だったら自作だってできたんじゃない?
上下二段羽の扇風機はなかなか良さげなアイディアだと思ったけど・・・、プロペラ2つあってもあまり意味ないんじゃ・・・。扇風機繋がりで、スイッチを切り替えることで後ろからも風が出るってのは、一瞬だけ「欲しい」と思った。思ったけど、スイッチを切り替えるついでに、扇風機の向きを変えたらそれで済むんじゃね? 電気缶切りにしたって、最初は珍しくって使うかもしれないけれど、その内にメンドくさくなっててめぇの手でやった方が早い、なんてことになったりして。ウォーキング式トースターに至っては、パンを動かす機能が壊れてしまいそうで、で壊れたら壊れたで煙吹きそうだし。
そういえば知人に、昭和テイスト溢れる青いプロペラの扇風機ばかりを集めていた方がいらっしゃったなぁ。何でも、近所の古道具屋で「最近この手のがよく売れるんですよ」なんて言われたらしいんだけど、さすがに「買っているの俺」なんて言えなかったみたい。
して、その扇風機を総動員して一斉に首振りモードにしたら、その部屋は嵐状態になったらしい。傍から見ている分には、宇宙と交信している「風を発生させる生物の群れ」だったとか。
それにしても昭和30年代・・・。私が昭和45年生まれで42歳だから、50年近くになるのか。多分、その当時の日本は、右肩上がりの行動経済成長の真っただ中で、どんな企画を出しても通ったんじゃあるまいか。こんな感じのを作りたい。よし、やってみよう、なんて感じで。
それにしても、こういうイカガワシイ電化製品がよく生き残っていたなぁ。確か、一時期 PSE 法とやらの縛りが厳しくなって、中古楽器などを取り引きするミュージシャンやリサイクルショップ関係から猛反対が起こったんじゃなかったっけ? その猛反対で、なし崩し的に有形無実な法律になってしまったような気がしてならないんだけど。
でも、こういう試行錯誤の末に、ラジカセや、ラジカセにテレビを突っ込んだラテカセ、その他色々な機能が詰まった小型でハイテクな機械の世界をリードするようになったのかなぁ、なんて思うと、妙に感慨深いな。で、個人的にはラジオなんだけど、作りが古くて補修部品なども手に入れることができれば、なんだかとてもまろやかな音色で鳴いてくれる気がする。
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