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2013年2月

2013.02.28

【Digital】音楽仕事人 その3 1/3【Archives】昭和60(1985)年7月24日水曜日NHK-FM 23:00~ クロスオーバー・イレブン ~アーサー・ベイカー作品集(1)プロデュース・自演・ミックス~

ファースト・コンタクトはフリーズ(Freeez)のI・O・U(I.O.U.)だった。
すぐ下に貼りつけたように、最初に聴いたのがこの長いヤツで、多分、もっと前のクロスオーバー・イレブンだったように思う。

反復の気持ち良さと、これでもかというくらい元素材を切った貼ったして、曲の長さを引き延ばしたのが これなんだけど、最初にこれを聴いてしまってこれが当たり前だと思ってしまうと、元素材 はあまりにコンパクト過ぎて、正直言うとちょっとばかり拍子抜けした。最初に聞いたのが8分近い大作。知ってしまったオリジナルは4分に届かない。

大ヒットしたシンディ・ローパーの「ハイ・スクールはダンステリア」だって、元々は4分位の曲なのに、アーサー・ベイカーの手にかかると、6分を超える曲になる。ちなみに原題は「Girls Just Wanna Have Fun」で和訳はこっち。ハイ・スクールもダンステリアも歌詞の内容とは全く関係ないような気がするんだけど(^^;;;。


ホール&オーツの「アウト・オブ・タッチ」も頻繁に耳にしたが、ロング・ヴァージョンになると7分を超える大作となる。何をどうしたら曲の長さを引き延ばせるのか、不思議だった。


曲の雰囲気を壊さない程度に、だけど大胆にリミックスされたアーサー・ベイカーの手による作品は、それを聴くことでちょっとした中毒みたいな感じにもなった。だから、たまに知っている曲の「(敢えて)引き伸ばし版」を聴くと、ゲンナリしちゃったしなぁ。


その違いがどこにあるのか分からない。ABCのザ・ルック・オブ・ラブだけど、原曲とインストヴァ―ジョンを混ぜて、何かを加えた、のかなぁ。なんか妙にしつこい、というかクドいんだよなぁ。なんて書いていて、これも手掛けたのがアーサー・ベイカーだったら面目丸つぶれだけど(猛汗)。ひょっとしたら、トレヴァー・ホーンの手によるものか? それはそれでまたアレだけど(木亥火暴)。

で、こういう心地よいダンス・ミュージックのロング・ヴァージョン、リミックスを手掛けたいと、中学時代のおぼろげな夢として「将来はリミックス・アーティストになりたい」なんて大逸れたことを考えていた。

まぁ、中学の担任に話したら「音楽関係はやめとけ。実力がないと食えないぞ」と夢の芽を摘み取られた。元々、音楽関係の本職に就く筈だったのだが、体を壊してしまって断念せざるを得なかったらしい。そういうちょっと変わった経歴を持ったのが担任のヨシダ先生だったので、なんだか上手く言い包められた感も無きにしも非ずではあったけど、結局は納得した。大体、どうやったらアーサー・ベイカーのような「リミックス・アーティスト」になれるのかすら分からなかったし。

時が過ぎて高校3年の時。将来の進路として、就職、大学進学、専門学校進学を選ぶとき、私は専門学校を選んだ。専門学校の体験入学で、音響関係の学校を選ぶも、趣味の音楽を仕事にしたら逃げ場が無くなると思った。ここで電子、情報処理関係の専門学校を選択していたら、今の私はもっと違った存在になっていたかもしれない。が、結局、建築の専門学校へ(親に無理言って)行かせてもらった。


と、なんでこんな昔抱いていた夢と現実の話になったんだろう。

音楽の話に無理矢理戻せば、ワタシ的にはテクノロジー万歳、胡散臭いギミック大歓迎という感じで、やっぱりテクノの方面に向かってしまうんだな。だけど、多感な頃に聴いたダンス・ミュージックのロング・ヴァージョンも、やっぱり聴くと懐かしく、気持ち良くなってしまうんだ。その中にはラップ、ヒップホップもあるってのはご愛嬌ってことで・・・。

01 グーン・スクワド - エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー
02 フリーズ - I・O・U
03 ダリル・ホール&ジョン・オーツ - アウト・オブ・タッチ(ロング・ヴァージョン)
04 アフリカ・バンバータ&ソウルソニック・フォース - プラネット・ロック
05 ネイキッド・アイズ - イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ(エクステンディッド・ヴァージョン)
06 シンディ・ローパー - ハイ・スクールはダンステリア(エクステンディッド・ヴァージョン)
07 ニュー・オーダー - コンフュージョン ~ コンフューズド・ビーツ


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2013.02.27

【Digital】音楽仕事人 その2 2/2【Archives】昭和60(1985)年7月14日日曜日 NHK-FM 23:00~ クロスオーバー・イレブン ~トレヴァー・ホーン作品集(2)~

という訳で、小嶋さちほさん曰く「今や泣く子も黙る」と言わしめたトレヴァー・ホーン特集の2回目。まぁ、時代の流れに乗ってリードすらした、からなのかもしれないな。

曲的に注目したのは、やっぱりアート・オブ・ノイズの2曲なのだが、いい意味で予想を裏切られたのがABCの2曲(っつっても、パート IIはインスト・バージョンってだけ)。ザ・ルック・オブ・ラブは本当にキャッチ―で、気持ちイイ曲だった。が、私が知っている限り、ヒットはこれだけ、なんてイメージの一発屋なんて感も無きにしも非ず、なんだな。

だけど、ワタシ的音楽観の幹を成すYMOの散開ツアーの際に、ボーカルに専念したい(&体力を温存したい?)高橋幸宏氏の代わりにドラムを叩いていたデヴィッド・パーマーは、ツアーに同行するためにABCを脱退した、なんて逸話を後々になって知り、妙なところで私の音楽趣味の中での人物相関図が繋がってしまったなぁ、なんて驚いた記憶がある。いやぁ、YMOの最後のライブアルバム「After Service」を聴いて、「スペシャルゲストのデヴィッド・パーマーって誰だ? デヴィッド・ボウイデヴィッド・シルヴィアンの関係者なのか?」なんてずっと思っていたよ。ファーストネームしか合っていないのにね(^^;。

01 ABC - ザ・ルック・オブ・ラブ(パート I)
02 アート・オブ・ノイズ - ビート・ボックス
03 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド - プレジャードーム(12インチ・バージョン)
04 ABC - ザ・ルック・オブ・ラブ(パート II)
05 プロパガンダ - 不思議の国のデュエル
06 バグルス - プラスチック・エイジ
07 アート・オブ・ノイズ - モーメンツ・イン・ラブ

して、アート・オブ・ノイズの2曲だが、まずビート・ボックス(Beatbox)は、昨日アップ分でショックを受けたクローズ・アップ(ホップ)と同じような傾向かな、と。

金属的なスネアが目立つ中で、ミュートされた(?)ピアノっぽい音、懐かしさを覚えるようなエレキギター、そしてサンプリングされた人の声の気持ち悪さが、かえって快感と感じた。そして、曲の中盤でホーン(?)が入って落ち着いた感じがあったかと思えば、車のエンジンの始動音、水滴の落ちる音など、色々な音が入ってきて、最後はそんな「騒音」がフェードアウトしていって、ピアノの調べが表に出てくる。最先端の楽器を使って「」とやっているだけかと思ったら、最後のピアノが「それだけじゃないんだよん( ̄^ ̄)」と主張しているかのようで、これは是非に音源を手に入れるべき、と考えたっけ。

ただ、アート・オブ・ノイズは後々に、トレヴァー・ホーンの操り人形でいるのは嫌だと、レコード会社を移籍したんじゃなかったっけ? その辺りから、正体不明から実を伴ったものになっていったんじゃなかったかな。この辺り結構おぼろげだけど。

このようにアート・オブ・ノイズってのは、このような「激しい曲」のオンパレードかと思ったら、モーメンツ・イン・ラブは随分と聴かせてくれる曲だった。なんか、人が恋しくなる感じがする。片想いで悶々としている感じもあるかな。ビート・ボックスが色々な音が隙間なく詰め込まれているとするなら、モーメンツ・イン・ラブは、音の隙間も音としている感じがする。だけどやっぱり・・・、サンプリングされた人の声に音階が付くと、違和感を感じてしまう。サンプリングされた人の声に音階が付くのと、人が音階を付けて発声するのとは、どこか何かが違うんだろうな。

それにつけてもトレヴァー・ホーンは、色んな所に首を突っ込んでは、いや逆か。シゴトを依頼されたらある程度以上トレヴァー・ホーン独自の「色」を混ぜ込んで作品に仕上げている、なんて感じがする。なんか匂うなぁ、なんて感じて裏を取ってみたらやっぱり、なんてこと(トム・ジョーンズの「恋はメキメキ(If I Only Knew)」とか)もあったしな。でも、最近は巷の流行の曲というのが洋邦問わずでよくほとんど分からない。これが年を取ったということなのか? 振り返って過去の音源をデジタル化するってのもひょっとして・・・。あるいは・・・。

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2013.02.26

【Digital】音楽仕事人 その2 1/2【Archives】昭和60(1985)年6月30日日曜日 NHK-FM 23:00~ クロスオーバー・イレブン ~トレヴァー・ホーン作品集(1) プロデュース・自演~

初めてトレヴァー・ホーンの存在を知ったのはいつの頃だったろう? これが全然思い出せない。

やっぱり FM STATION 誌にあった記事になるのかなぁ。
トレヴァー・ホーンが起ち上げた ZTT から出現した、最新鋭の音楽機材を用いて衝撃的なサウンドを奏でる正体不明のユニット、アート・オブ・ノイズ(The Art of Noise)、なんて記事があったような・・・。いずれにしても、そういうアーティストがいて、彼らが奏でる音楽はどんなもんだ、その彼らの音楽と一緒に流れる音楽はどんな感じだ、と興味をそそられて、じゃどんなもんか聴いて確かめてやろう、とクロスオーバー・イレブンを聴いたのがきっかけ、かもしれない。

01 アート・オブ・ノイズ - クローズ・アップ(ホップ)
02 バグルス - ラジオ・スターの悲劇
03 ダラー - 夢をかえして
04 マルコム・マクラレン - バッファロー・ギャルズ
05 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド - リラックス(インターナショナル)
06 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド - 黒い戦争
07 イエス - ロンリー・ハート
08 プロパガンダ - マブーセ
09 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド - ハッピー・ハイ


上で衝撃的なサウンドと記したが、その言葉だけでは物足りなさを感じるような、本当にショッキングな出会いだった。金属的なスネアがガンガン鳴り響き、バスドラムはとても人間技とは思えない。そんなリズムの上に、竹で出来た長さの違う複数本の筒の口をひっぱたいているかのようなサウンドが乗る、なんて感じだった。初めて聴くそれは耳を釘付けにした。と思ったら、のどに炎症を抱えている人、チキチキマシンのケンケンのような声を発し、続いて悲鳴というか、叫びというか、そのような感じでヘッドホンを被った私の頭を両方から押し潰してくるような気がした。曲の最後の方はテンポアップして、そして唐突に終わった。

終始圧倒され、今もってその時の感情を言葉に表すことができない。多分その時は、放心状態に近い表情をしていたんじゃあるまいか。時は昭和60年、まだ14歳の中学3年生にとって、その衝撃はあまりに強過ぎた。

と、その余韻に浸る間もなく次の曲が始まる。まさしく「」だった次の曲は、一転してピアノが なんて鳴り出して、非常にメロディアスなとてもいい曲が流れるんだもん。


ショッキングな曲からこんなメロディアスで悲しげな美しい曲までを網羅する、トレヴァー・ホーンに非常に興味が湧いたのは当然のことだったと思う。

で、その時の私はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(Frankie Goes To Hollywood)は知っていたかな? でも、イエスのロンリーハートは知っていたなぁ。

歌詞の一部が「志乃さん」て聞こえる、なんて中学への登校途中の友人に話していたけど、相手にされなかったっけ。今は「Owner Of A Lonely Heart」なんて部分が「女風呂にハツ」という空耳ネタになっちゃっているけどね。

と、尻切れトンボみたいな残尿感を残しながら、待て次号。


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2013.02.25

【Digital】音楽仕事人 その1【Archives】昭和61(1986)年1月19日日曜日 NHK-FM 23:00~クロスオーバー・イレブン ~トーマス・ドルビー特集(自演・プロデュース・客演)~

当時の私は田舎の中学3年生。冬。高校受験のための勉強に精を出していなければいけない時期。にも関わらず、勉強しているフリをしながらラジオを聴いていた。田舎だから、午後8時を回ると街はもう静まり返っている。だから、外に出ての夜遊び、的なことは全くできなかったし、やろうとも思わなかった。また、ウチだけかもしれないのだが、テレビの視聴を著しく制限され(小学1年からメガネを着用していて、この頃はもう強度の近視+乱視だったから、そのせいもあったのかもしれぬ)、結局、娯楽と言えば、雑誌を含めて本を読むか、ラジオを聴く、位しかなかった、そんな中学3年の冬。

友人のイシイ君にボロボロになった FM STATION 誌をもらい、今まで知ることができなかったような音楽ネタを知ることができて、これは面白いと、飽きることなく FM STATION 誌を読んでいた。すると、聴いてナンボの音楽なのに、変に知識ばっかり増えてしまったそんな時期。その知識という「骨」に「肉」を付けていくきっかけになったのが、孤高でFM放送の良心とも思えるクロスオーバー・イレブンだった。数度エアチェックに失敗するも、ほう、こういう放送方針なのか、と納得してからは、アーティスト特集等の企画モノで、カセットライブラリーを増やすことができた、それはそれは嬉しい番組であった。

そんな番組でトーマス・ドルビーの特集があるという情報を FM STATION 誌で知った。トーマス・ドルビーは坂本龍一教授の親友だと、これは坂本教授のサウンド・ストリートで言っていたのかな、じゃ、その人が創る、関わる音楽とはどんなものかと興味を持つのは至極当然の流れであろう。

昭和61(1986)年1月19日日曜日 NHK-FM 23:00~ クロスオーバー・イレブン ~トーマス・ドルビー特集(自演・プロデュース・客演)~

01 トーマス・ドルビー - 彼女はサイエンス
02 坂本龍一、トーマス・ドルビー - フィールド・ワーク(ロンドン・ヴァージョン)
03 ジョニ・ミッチェル - グレイト・スティミュランツ
04 ジョージ・クリントン - サム・オブ・マイ・ベスト・ジョークス・アー・フレンズ
05 トーマス・ドルビー - ハイパー・アクティブ
06 リーナ・ラヴィッチ - ロッキー・ロード
07 フーディーニ - マジックス・ウォンド(エクステンディッド・ミックス)
08 フォリナー - アージェント
09 ドルビーズ・キューブ - キューブは貴方と共に

1曲目は、テクノ方面が好きな人ならたぶん誰でも知っていると思われるヒット曲。でも、トーマス・ドルビー本人の曲でヒットしたのって、彼女はサイエンス(She Blinded Me With Science)くらいなんじゃないかしら? 5曲目のハイパー・アクティブ(Hyperactive!)もヒットしたかな?

でも、ある程度年を取って、聴く音楽に多様性が生まれてきた時に改めてこの曲目、アーティストを見ると結構ビビったんだな。3曲目のジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)は、女性シンガーってことだけしか理解できないのだが、いや、Wikipedia では凄いことが書かれているんだけど、自身の琴線が震えるまでには至らなかった。歌の内容を知ったらちょっとは変わるかな?

でも4曲目、ジョージ・クリントン(George Clinton)は、後々に P-Funk の創始者だと知り、またライブ音源を聴くに至り、その熱さに圧倒されたもんなぁ。また、ラジオで聞いた衝撃的な曲、ポール・ハードキャッスル(Paul Hardcastle)の 19 が欲しいからと、その曲が入っているCDをショップの店員さんに捜してもらい、手にしたのがシブヤ系オールド・スクールというCDなんだけど、そのCDにもジョージ・クリントンの曲、アトミック・ドッグがはいっているんだもんさ。


DJの音ネタ的なCDだったけど、知っていて当然な曲から、今まで知らなかったのが悔しかった曲なんかもあって、大変良い買い物をしたと思う。


6曲目のリーナ・ラヴィッチ(Lene Lovich)についてもほとんど分からないのだが・・・、こちら辺りが参考になるかな?

7曲目のフーディーニ(Whodini)は、ラップ、ヒップホップ方面のグループ(?)、ユニット(?)なんだけど、なんか「あの人は今」的な感じを受けちゃうなぁ。

次のフォリナー(Foreigner)は、まぁロックだね。

最後のドルビーズ・キューブ(Dolby's Cube)は、トーマス・ドルビーのユニットかな。こちらが詳しいかな?


「彼女はサイエンス」のイメージが強すぎて、テクノの人、なんて思いを「勝手に」持ってしまっていたのだが、色々なシゴトをこなしてきた鉄人で、決して一つの枠でくくることはできないのだと、改めて知った次第ではある。


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2013.02.24

【Digital】ヒップホップへの憧れ【Archives】いとうせいこう & TINNIE PUNX / 建設的 ~ザ・プロテストショー~

ここしばらく2時間のラジオ番組の聞き起こしと、YouTube やニコニコ動画で、その番組で流れた曲を探し出しては貼り付けて、疑似的に「ラジオ番組の再現」みたいなことをしていた。が、これは手間ばかりかかって仕方がない。ひとつのエントリを完成させるまでに3日かかってしまうこともざらだった。

いや、このようなことをやっても一銭の得にもならない。ただの自己満足に過ぎない。しかし、同年代で、同じ番組を聴いていた人や、そういう番組を知らないまでも、こういう番組があってこういう曲が流れた、その曲は今まで聴いたことのない曲だった、なんて人が、この辺鄙なブログに辿り着いて何かしら得るものがあってくれたなら望外の幸いである。

まぁ、2時間番組というボリュームの多い音源のインプレは、多分ほぼ終わったので、息抜きがてら、若い頃(多分、高校2年くらい。昭和62(1987)年)にレンタルレコード屋、友&愛で借りたCDで、ちまっとまとめてみたい。

いとうせいこう & TINNIE PUNX - 建設的 ~ザ・プロテストショー~

01 いとうせいこう & TINNIE PUNX - MONEY
02 いとうせいこう & TINNIE PUNX - なれた手つきでちゃんづけで
03 いとうせいこう & TINNIE PUNX - 俺の背中に火をつけろ!!
04 いとうせいこう & TINNIE PUNX - 水の子チェリー
05 いとうせいこう & TINNIE PUNX - アナーキー・イン・ザ・JAP.
06 いとうせいこう & TINNIE PUNX - JOE TALKS
07 いとうせいこう & TINNIE PUNX - 恋のマラカニアン
08 いとうせいこう & TINNIE PUNX - 東京ブロンクス
09 いとうせいこう & TINNIE PUNX - だいじょーぶ

FM情報誌、FM STATION誌で いとうせいこう さんの名前を見ていたこと、確か15分ほどの番組もやっていたかな? あとは、NHK教育で土曜倶楽部なる番組をやっていたことで、「この人何者だ」と興味を持ったのが最初だったかもしれない。

特に「これ」といって借りたいレコード、CDも思い浮かばず、ただの時間潰しで友&愛に入り、レコードやCDを「発掘」していたら、たまたま飛び込んできたのが いとうせいこう さんの名が冠されたCD「いとうせいこう & TINNIE PUNX - 建設的 ~ザ・プロテストショー~」だった。

また、時期的にはどっちを先に借りたのか思い出せないのだが、戸田誠司さん率いる「リアル・フィッシュ(Real Fish)」の「When The World Was Young」なるCDを借りた際に驚いたってのもあるな。

というのも、まぁ、アルバムの「ツカミ」としての1曲目「junk」に「うわ、なんじゃこれ」とのけぞり、10曲目には「ジャンクビート東京」とあり、作詞・作曲 いとうせいこう & 戸田誠司 編曲 リアル・フィッシュとあり、その曲を聴いてみたらラップに桑田佳祐さんも参加しているというから、またのけぞった。桑田さん、数ヵ所口が回らず、あやふやにしている部分があるぞ。そんな歌詞はこちら。桑田さんがロレっている部分は「俺をはめてる町中がすごいセットだぜ どんなテイクものきなみSFX」って部分と、「NGだ全部NGだ 焼けたポストをけりたおすぜ」の部分。


そういう流れを聴いちゃったものだから、これからはヒップホップ、ラップの時代だ、なんて思ったんだよね。ジャンクビート東京の歌詞は猛練習し、桑田さんに負けることはなくなった。そして、こういう知性派がやる、これからの音楽がそっち方面だ、なんて考えた。だけど・・・、日本語のラップが全面的にフューチャーされている曲が目立つことって、あまりなかったような気がする。そして現在。ラップやっている人のイメージは「黒」、そして「ワル」

まぁ、元々がアメリカのストリートから出てきたものだし、そこには黒い繋がりなんかもあったろう。が、ヒップホップをメジャーに押し上げた人、例としてアフリカ・バンバータとか。

原点に戻ったというか、そういう人たちが好んだのか、とにかく、私が(勝手に)考える、新しいものが好きな知性派がやる音楽とは、一線を画すものになった気がしてならないんだな。


と、思いっきり脱線したところで「いとうせいこう & TINNIE PUNX - 建設的 ~ザ・プロテストショー~」の話に戻ろう。1曲目の「MONEY」は、カネじゃ動かないよ、ラップもしないよ、だけど金貨のシャワーは浴びてみたい、お札のベッドで(う~ん)寝てみたい、なんて感じ。「う~ん、寝てみたい」は、当時そういうテレビCMがあったように記憶しているが、はてさて。えてしてヒップホップの曲には小ネタ的にサンプリングされる曲があったりするんだけど、私が分かるのは、James Brown のシャウトとJimi Hendrix の Purple HazeYMOの Firecrackerくらい。他にも使われている曲があるかもしれないな。

2曲目の「なれた手つきでちゃんづけで」は、ギョーカイ人の悲哀というか、下手に関係を持った相手から逃げられない、天候も左右して追いかけてくる、なんて感じの曲。
3曲目「俺の背中に火をつけろ!!」は、大々的にフューチャーされているのが、大竹まことさん(笑)。その昔、当地の深夜の女子大生DJ番組に、「こんな変な曲もあるでよ」とテープを送りつけると、大竹さんのシャウト気味の歌「俺の背中は打ち上げダイナマイトだっ」に女子大生DJが「うっわー、だっさださ」と無茶苦茶なダメ出しをしていたっけ。

4曲目「水の子チェリー」は、いとうせいこう さんの歌だね。幼児向け番組に使われそうな感じの歌だけど、(勝手に)深読みしたら、寂しく悲しい歌、なのかもしれない。
5曲目「アナーキー・イン・ザ・JAP.」はお上のことなど信用しない、道行く人を殴ってみたい、なんて曲。さすがに曲の中だけだろうけど、実際にやったら傷害罪かね?

6曲目「JOE TALKS」はカントリー調で、内容は「常套句」なんだな、アイドルのブッキングで渋るマネージャー「アルバムの録りで空きません」、笑わせやがるぜ日曜デパート屋上の営業知ってるぜ、シゴトでチョンボのサラリーマン「死んだつもりでやり直します」、笑わせやがらるぜ血色良くて出っ腹二重あご、なんてオヤクソクの連発。45秒の小品。

7曲目「恋のマラカニアン」を聴くと、時の移ろいを感じてしまう。マラカニアン宮殿って書いて、すぐにどこにある建物か、誰の建物だったか、分かる人ってもう結構少ないんじゃないかなぁ。これは最近別のことを調べている時に見つけたものなんだけど、一緒に歌っている女性がどうやら SANDII and the SUNSETZ の SANDII さんらしい。

8曲目「東京ブロンクス」は いとうせいこう さんのラップ。この曲があったから、リアル・フィッシュの「ジャンクビート東京」が出来たんじゃなかったかな? 東京ブロンクスもジャンクビート東京も、東京が核で焦土と化した内容なんだけど、と あ る 国がロケットと称する物体を打ち上げたし、今になって聴くと、当時とは仮想敵国が違っても、やっぱり周辺の国の脅威にさらされているんだなぁ、と。

9曲目は「だいじょーぶ」。いとうせいこう さんの裏声(?)によるレゲエ調(?)の名曲。かなりの時間が空いてから再会した二人の繋がりを歌ったもので、こういう関係ってイイなぁ、昔好きだったあのコとこの曲のように巡り合えたら、なんてことも思ったりしたけど、お互いにもういい歳だし、仮に同窓会なんかがあってそこで会ったとしても、なんの進展もないだろうなぁ。

簡単に、ちゃっちゃっと終わらせるつもりだったのに、妙に長くなってしまった。
もうちょっとコンパクトにまとめられるといいんだけどな。


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2013.02.22

【Digital】聴く音楽の幅が広がった日 その2【Archives】昭和63(1988)年3月1日火曜日 NHK-FM 16:00~ 午後のサウンド ~ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ロック~

音楽を好きな人は、自分が好んで聴いている音楽のルーツやその周辺の人物の相関に興味を持ち、時間を遡って調べたいと思うんじゃないかな? 少なくとも、私はそうだった。私の場合はYMOとその周辺の人物、1980年代初頭のテクノポップブームに乗っかった人達、ということになる。YMO、すなわち、細野晴臣高橋幸宏坂本龍一の3人。あと、その3人の極々近くで仕事をしていた松武秀樹矢野顕子渡辺香津美大村憲司、といった感じだろうか。その上さらに、テクノポップブームに乗っかった人達、となると、とても書き切れないくらいの人がいる。

そうなって、それぞれ各々のルーツをまた辿るために時間を遡るとなると、やっぱり結局はラジオの特集番組頼み、ということになってしまう。今回は、そんな人たちのルーツを探り、その当時の日本の音楽、ロックシーンがどんなものであったかの特集を取り上げてみる。

ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ロック」は、高校2年の3学期、かな? 春休みに入っていたかな? そんな時期に放送された NHK-FM の午後のサウンドのテーマだった。似たようなテーマとして、多分、より深く掘り下げていたであろう「ヒストリー・オブ・ジャパニーズ・ロック」のYMO、テクノ関連の特集の日のことを1月11日にアップしているが、その頃はまだ中学生。日本のロックの歴史の深遠さについて興味を持つほど音楽を聴いていなかった。その特集を全てエアチェックして保存していたら、ジャパニーズ・ロックについて変に耳年増になっていたかもしれない。

話をYMOのメンバーについて戻すと、この特集で細野さん、ユキヒロさんのルーツを知ることができた。いや、まだまだ深いネタがあって、私が知ったのは極々一部なのかもしれないが、とにかく、それを知ることができ、また、それ以外のことをも知れたのは、後々に聴く音楽に影響を与えたと言っても過言ではないだろう。

昭和63(1988)年3月1日火曜日 NHK-FM 午後のサウンド ~ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ロック~

01 サディスティック・ミカ・バンド - タイム・マシーンにおねがい
02 サディスティック・ミカ・バンド - 塀までひとっとび
03 サディスティック・ミカ・バンド - どんたく
04 はっぴいえんど - 風来坊
05 はっぴいえんど - 風をあつめて

06 はちみつぱい - センチメンタル通り
07 はちみつぱい - 塀の上で
08 ティン・パン・アレー - 北京ダック
09 ティン・パン・アレー - チューチューガタゴト'75
10 ティン・パン・アレー - エキゾチカ・ララバイ
11 シュガー・ベイブ - ショー
12 シュガー・ベイブ - ダウン・タウン
13 シュガー・ベイブ - 蜃気楼の街

14 サンハウス - どぶねずみ
15 サンハウス - ぶんぶん
16 サンハウス - 風よ吹け
17 ジャックス - われた鏡の中から
18 ジャックス - 裏切りの季節

19 四人囃子 - 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ
20 四人囃子 - フライング
21 四人囃子 - カーニバルがやってくるぞ
22 四人囃子 - なすのちゃわんやき

23 ハルヲフォン - 恋の昔気質
24 ハルヲフォン - プラスチック・ムーン
25 ハルヲフォン - ポップス・メドレー

26 フラワートラベリン・バンド - サトリ・パート2

DJ 小嶋さちほ

こんにちは、小嶋さちほです。午後のサウンド火曜日、ポップスのお時間になりました。

今日、東京は雨降りで、起きた時から嫌な予感がしたんですけど、雨だとバイクに乗れないっていうだけで気分が沈みますからね。まぁ、そういうことは関係ないんですが、今日は「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ロック」と題しまして、日本のロックの創世記を築いてきたバンドを集めてお送りしたいと思います。

今でこそ日本にもロックバンドがたくさん生まれて、コンサートに、ラジオに、テレビにと大活躍して日本のロックも盛り上がりを見せていますが、やはり、こういう状況は一夜にして出来上がった訳ではないっていうことですね。ローマは一日にして成らず、と言いますけど、えー、昔のものは何でも良かったとか言うつもりはありませんが、やっぱり私は古い日本のロックに惹かれる部分というのがたくさんあります。今も第一線で活躍している人が在籍していたスーパーグループと言われているバンドとか、幻と言われたバンドとか、数多くの伝説を生んだバンドとか、今日は、今現在あまり聴く機会の少ないそんなバンドを、2時間たっぷり聴いて行きたいと思います。最後までごゆっくり聴いてください。

はい、それでは「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ロック」行ってみたいと思います。まず最初は、今もってファンの多いサディスティック・ミカ・バンド。このバンドは色んな意味で数々の功績を日本のロック史上に残したバンドですね。メンバーからして、加藤和彦小原礼高橋幸宏今井裕高中正義、そして紅一点、ボーカリストのミカ、っていう、そういう凄いメンバーで、ミュージシャンとしては今でも第一人者という人ばっかりが集まってますね。センスはいいし、上手いし、何しろ日本のバンドとして、初めて大々的に海外ツアーをやったバンドでもあります。

今日は「黒船」というアルバムから聴いて行きますけど、これはクリス・トーマスがプロデュースしてます。ボーカルのミカっていう人は、後にこのクリス・トーマス夫人になる訳ですけどね。ミカ・バンドのことを扱った海外の雑誌を見たことがありますけど、彼女のステージパフォーマンスもかなり注目されたようです。とにかく未だに話題によく上るバンドで、「タイム・マシーンにおねがい」なんていうのはよく未だにコピーされている曲でもあります。とにかく、キラキラしたロックの楽しさを教えてくれたバンドでした。

そしてもう一つ、細野晴臣大瀧詠一松本隆鈴木茂という、これまた凄いメンバーで結成されていたバンドが はっぴいえんど。この人達はロックっていうよりも、今の歌謡曲も含めたポップス全体に、ニュー・ミュージックとかも含めて与えた影響っていうのも、かなり大きなものがあると思います。最後のアルバムでは、ヴァン・ダイク・パークスとか、ローウェル・ジョージとかまでレコーディングに参加してまして、その器の大きさを見せておりますが、それでは、サディスティク・ミカ・バンドと はっぴいえんど、聴いて行きたいと思います。サディスティック・ミカ・バンドで、タイム・マシーンにおねがい、塀までひとっとび、どんたく、はっぴいえんど で、風来坊、風をあつめて、5曲続けてどうぞ。



「タイム・マシーンにおねがい」を歌っているのは木村カエラちゃんかな? じゃ、サディスティック・カエラ・バンドだな(^^;。「塀までひとっとび」は、あの時代のミカ・バンドの本物動画? ユキヒロさん若い!「どんたく」を歌っている加藤和彦さんも若いなぁ。でも、加藤さん、平成21(2009)年10月16日に、自ら命を断っちゃった。私が持っている同じ病で・・・。この動画は1989年で、ボーカルは桐島かれんさんか・・・。


加藤和彦さんに限れば、確か、学生時代のバンド、ザ・フォーク・クルセダーズの最後の作品として作った「帰ってきたヨッパライ」が思った以上に大ヒットしたから音楽を続けることにした、なんて聞いたことがあるなぁ。曲の最後にお経と「エリーゼのために」とそれにカブって The Beatles の「A Hard Day's Night」の一節が唱えられるのは、やっぱり時代性なのかねぇ。

で、その次に出した曲が何 故 か発禁となり、そのまま埋もれさせてしまうのはもったいないからと、音符の並び方を逆にしたのが、かの名曲「悲しくてやりきれない」だとか。で、この歌詞の内容は妙に私自身の気持ちにオーバーラップして、聴くと とても泣きたくなる。

その曲の3年後に、加藤和彦と北山修 名義で「あの素晴しい愛をもう一度」という名曲を出すんだよね。その後にサディスティック・ミカ・バンドという、性質も、方向性も全く違う音楽を作り出すって凄いなぁ、なんて思った記憶がある。


はっぴいえんどの偉業は、日本語でのロックへの挑戦、だったんだよな、確か。それが成功したかどうかは、今の日本の音楽シーンを見て、それぞれが判断してもらえば。それにしても、細野さんのボーカルと松本隆さんの「ですます調」の歌詞は、しみじみとイイもんだなぁ。あ、歌詞の印象からして違う「風来坊」は細野さんの作詞ね。

サディスティック・ミカ・バンドで、タイム・マシーンにおねがい、塀までひとっとび、どんたく、はっぴいえんど で、風来坊、風をあつめて、と聴いていただきました。ホントにミカ・バンドはカッコ良くて、今聴いても文句のつけようがないくらいカッコ良い音を聴かせてくれましたけど、はっぴいえんど っていうのは1969年に結成されたんですけど、はっぴいえんど っていう名前では2枚のアルバムを残して解散してしまうんですが、それはただの解散ではなくて、キャラメル・ママ、それからティン・パン・アレーへと発展していくんですね。

ティン・パン・アレーは一つのバンドっていうよりも、4人のセッションを中心としながら、より開放性を持ったサウンド・クリエイト・チーム、そういうもっとなんかゆるい形に、グループという一つの枠にはめられないような、プレイヤーとか、サウンド・クリエイターの集合体となっていきました。そういう訳で、ソロ活動とかプロデュース活動も盛んに行われて、荒井由実とか吉田美奈子南佳孝などのデビューアルバムも手掛けています。ティン・パン・アレー周辺から有望なミュージシャンがたくさん生れてきた訳ですね。

はちみつぱい鈴木慶一を中心とした、今のムーンライダーズの前身とも呼べるグループです。そして、シュガー・ベイブ山下達郎とか大貫妙子が在籍、そしてやはり、大瀧詠一が手掛けたグループでもあります。その3つを聴いて行きたいと思うんですけど、本当に現在のポップス・シーンを担っている人達が、もうこの時期にはどんどん頭角を現して、それまでの日本の歌謡曲の流れとはちょっと違った流れを作り出していきました。それでは、その頃のアーティストを聴いて行きたいと思います。はちみつぱい で、センチメンタル通り、塀の上で、ティン・パン・アレーで、北京ダック、チューチューガタゴト'75、エキゾチカ・ララバイ、シュガー・ベイブで、ショー、ダウン・タウン、蜃気楼の街、8曲続けてどうぞ。


「センチメンタル通り」の動画に使われていた画像は、(とりあえず)徒歩圏に似たような風情の小路があるなぁ。なんか、物陰にイカガワシさ、が隠れていそうな感じの。あ、これは はちみつぱい 現役当時に発表された唯一のアルバムジャケットか。「塀の上で」で歌われる男性のカッコ悪いカッコ良さというか、もう自分にできることがなく雨に打たれているだけ、なんて感じの世界観は、どうも私には似合いそうもないな。




ティン・パン・アレー「北京ダック」は、どうにもコミカルでスラップスティックだねえ。
「チューチューガタゴト」は、旅から旅の巡業がどうにも嫌なんだけど、嫌になりきれないという感じ、かな。ある程度名も通り始めた若手ミュージシャンたちのツアー光景、なんて感じかな。「エキゾティカ・ララバイ」は、細野ワールド全開、だね。っていうか、この番組を聴いたときは、そこまでの知識を持っていただろうか? ただ、夢の世界に連れて行ってくれるという、素敵な物語だな、で終わっていたかもしれない。


シュガー・ベイブの3曲はひとつの動画で間に合っちゃうね。
それにしても、山下達郎さんの曲(声も歌も)は古さを感じさせないなぁ。これも謎っちゃ~謎だな。
「ショー」は、僕が君のために、なんて感じ? ポップスの王道って感も無きもしも非ず。これは「ダウン・タウン」も同様かな。ただ、この曲に関してはすごく印象が強く残っているんだけど、何かのテーマ曲だったりしたのかな?
「蜃気楼の街」は、どこか儚げな声質、歌い方はどこからどう聞いてもター坊だわ。あ、以前の仕事場に彼女の雰囲気に似た後輩が入ってきたことがあったなぁ。そこを辞してもう少しで3年になるか・・・。

はちみつぱい で、センチメンタル通り、塀の上で、ティン・パン・アレーで、北京ダック、チューチューガタゴト'75、エキゾチカ・ララバイ、えー、細野さんの趣味が出てますけどね(笑)、そしてシュガー・ベイブで、ショー、ダウン・タウン、蜃気楼の街と聴いていただきました。ホントに凄く優れたポップス、上質なポップスをシュガー・ベイブは提供してくれましたけど、さて、次のコーナーはまさしく、日本のロックという感じのバンドをご紹介したいと思います。

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2013.02.19

【Digital】これが私の進む道【Archives】昭和62(1987)年9月30日水曜日 NHK-FM 16:00 ~ 午後のサウンド ~レトロ・テクノ・ミュージック~

田舎暮らしのびんぼう高校生でも、ラジオやFM情報誌などで少しずつ、自分の好きなジャンルの音楽の方向性を見定めて、その方向に進み始めていたそんな時。エアチェックしないまでも、尊敬するアーティストさんが紹介する音楽を聴いて、「こんな音楽もあるんだ~」とその深さ、広さにビビりながらも納得し、それなりに知識を溜め込んでいったそんな時。

NHK-FM の午後のサウンドの水曜日、進行役を務めていた高橋幸宏さんの最終回があった。始まりがあれば終わりがある、これは道理なんだけど、やっぱり色々、様々な音楽をユキヒロさんというフィルターを通して知ることができなくなるのは寂しかった。そして、そんな有終の美を飾るのが、やっぱりテクノ、ということになっていた。

FM情報誌の番組表にあった曲目を見たら、既に知っている曲も多数あって、新鮮さを感じなかったのも事実としてあった。が、最後の日にユキヒロさんが何を話すのか、これは音楽よりもトークの方に興味が湧いた、比較的稀有な例だともいえる。

昭和62(1987)年9月30日水曜日 NHK-FM 午後のサウンド ~レトロ・テクノ・ミュージック~

01 クラフトワーク - ザ・ロボット
02 クラフトワーク - ザ・マン・マシーン
03 クラフトワーク - デンタク
04 ウルトラヴォックス - スリープ・ウォーク
05 ウルトラヴォックス - ヴィエナ
06 ウルトラヴォックス - オール・ストップ・スチル
07 ウルトラヴォックス - ザ・シン・ウォール
08 YMO - イエロー・マジック
09 YMO - 中国女
10 YMO - ラップ・フェノメナ
11 YMO - キュー
12 YMO - マス
13 M - ポップ・ミューヂック
14 ロビン・スコット - イエロー・マジック
15 トーマス・ドルビー - 彼女はサイエンス
16 YMO - タイソウ
17 YMO - グラデイト・グレイ
18 YMO - ピュアー・ジャム
19 YMO - ソール・ミュージック
20 クラフトワーク - テクノ・ポップ
21 FOE - ワールド・フェイマス・テクノ・ポップ

DJ 高橋幸宏

そいじゃまた、書き起こし、行ってみるかぁ。

こんにちは、高橋幸宏です。 さぁ、今日はいよいよぼく、高橋幸宏にとっては最後の水曜の「午後のサウンド」になってしまう訳ですけど、本日のフューチャーはテクノポップでございます。レトロ・テクノ・ミュージックと題してお送りいたします。最後まで2時間の間お付き合いください。

という訳で、改めまして高橋幸宏です。皆さん、お元気でいらっしゃいますか。4月から担当させていただいておりましたこの水曜の午後のサウンド、高橋幸宏は今日で最後でございます。まぁ、最後と言えば当然、テクノで行きたいということでですね、今やレトロとなってしまった感のあるテクノ・ミュージックですけれども、YMOであった我々の作り出した言葉「テクノポップ」という言葉ですけれどもね、今、レトロとなって、普遍的なものとなることを祈りまして、この番組をお送りしたいと思います。

まずは、テクノと言えば元祖でございますね。ぼく達が大変敬愛しておりますクラフトワーク、ドイツのグループですけれども、このクラフトワークから行ってみたいと思います。ザ・ロボッツ、ザ・マン・マシーン、デンタク、3曲続けてお送りいたします。



初めてクラフトワークの曲を聴いたときは違和感を感じたものだが、今やレトロ・テクノ・ミュージックの中でもさらにレトロと言っても過言ではあるまい彼らの音楽を大変気持ち良く聴くことができる。基本的には音の出る機械を人間が演奏する感じで、演奏スタイルは大変アナログチックであり、レコードで聴いたら気付かなかった彼らの曲をCDで聴き直したら、「音の隙間」が大変チャーミングと感じたんだよね。だから好き、なのかもしれない。それに、デンタクなんて8ビートだぜ。片言の日本語で「ボク ハ オンガクカ デンタク カタテ ニ、タシタリ ヒイタリ ソウサシテ サッキョク スル」「コノ ボタン オセバ オンガク カナデル」だぜ。これで気持ち良くならなくて、何で気持ち良くなろうぞ。

クラフトワークで、ザ・ロボッツ、ザ・マン・マシーン、デンタク、3曲続けてお送りいたしました。やっぱりクラフトワーク、我々にとってはまるで神様のような存在だったんですけどもね、1980年か、81年頃でしたかね、東京で、日本で公演をやりまして、その時のステージの衝撃は未だに忘れられません。デンタクという今の曲は確か、これはかなり、もうちょっと後の、81、2年頃だったと思うんですけども、81年ぐらいかな、ドイツ語、フランス語、英語、この他にバージョンがあったと思います。確か、出す国毎の言葉で、それぞれのバージョンでクラフトワークが作ったシングルということでしたね。

一緒に東京のコンサートの後、YMO3人のメンバーと彼らと一緒にディスコなんか行きまして一緒に遊んだんですけど、ただのおじさん達だった、というのを覚えておりますけれども(笑)、ちょっと内心がっかりしたなぁ、という気もいたしましたけれども、とにかく、非常にやはりドイツ人的な、何と言うんですか、シャープな感性を持っておりました。


YMOをして


ただの

おじさん達だった


と言わしめるドイツ人・・・。
後々に知ったことではあるけれど、クラフトワークの活動自体、1970年からというから、私と同じ年だ。で、その時にそれなりの年だったとして、今は結構なじーさんになっているんじゃないかなぁ。


さて、続きましてテクノポップと言えばやっぱりYMOとの兄弟グループというイメージがありました、今でもあるグループですけど、このグループですね、ウルトラヴォックスですけども、このグループも非常にお互いに影響を与え合ったグループということで、ミッジ・ユーロ率いるウルトラヴォックス、聴いてみたいと思います。ウルトラヴォックス、スリープ・ウォーク、ヴィエナ、オール・ストップ・スチル、ザ・シン・ウォール、4曲続けてお送りいたします。




嫌いな音じゃないけど、テクノポップとは一線を画するような気もするんだよなぁ、ウルトラヴォックスは。リンクを貼った Wikipedia によれば、数多くのフォロワーを生み出したとあったし、細野さんが彼らの音を聴いて、アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のベースの音を録り直した、なんて話もあるようで、これはインターネットがあったからこそ知れたことで、ネットがなかったら「ややエレクトリック色があるイギリスのロックバンド」という認識しかしていなかったかもしれない。

ウルトラヴォックスで、スリープ・ウォーク、ヴィエナ、オール・ストップ・スチル、ザ・シン・ウォール、4曲続けてお送りいたしました。このジョン・フォックスと言う人がこのグループのリーダーだったんですね、元は。それで、フォン・フォックスが抜けてミッジ・ユーロが入ってきまして、そしてこのグループがかなり売れた訳ですけれども、この後ジョン・フォックスはソロでもかなりヒットを飛ばしましたけれども、実は81年にぼくがロンドンでレコーディングをしておりまして、ジョン・フォックスが「なんか一緒にやりたいな」というんで、スタジオに遊びに来るという風に彼が言い出しまして、「そうか、じゃ待ってるから」という感じだったんですけど、実はぼくはその時はジョン・フォックスに会ったことがありませんでした。

そして、ウルトラヴォックスのメンバーでありますドラムスのウォーレン・カーンあたりが遊びに来ておりまして、「今からジョン・フォックス来るって」って言ったら「じゃ、オレ帰る」って言って帰っちゃったことがありましたけれども、よほど仲が悪かったんでしょうね(笑)。ウォーレン・カーンは素晴らしいドラマーで、ぜひその内一緒に仕事したいな、とぼくは今でも思っております。

バンド内で、メンバー間に対立があるのはどこの国でも同じなのね~。YMOだって、中期以降は細野さんと坂本教授の仲が非常に悪くなって、その間をとりもったのがユキヒロ氏だった、なんて話だし。天才細野と秀才坂本の間の、文字通りの「太鼓持ち」がユキヒロ氏だったそうで。今は、昔ほど仲が悪い、ってこともないみたいだけど、そういう人の対立ってのは時間の流れが解決するのかな?

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2013.02.15

【Digital】聴く音楽の幅が広がった日 その1【Archives】昭和62(1987)年7月8日水曜日 NHK-FM 16:00~ 午後のサウンド ~僕のカバー・コレクション~

私は、聴く音楽の「核」にYMOを据えている。高校時代、少ない小遣いをやりくりして、YMOのLPを、レンタル上がりの中古も含めて、何とか揃え、社会に出て自分で稼ぐようになると、CDも買い揃え、それだけならまだしも、ALFA商法にどっぷり浸かってしまい、毎年のように出るベスト盤や、未発表音源がリリースされる度に買ってしまうほどだった。CDとLPとじゃ収録曲も違う、そういう企画盤があれば両方を手に入れる、そういう感じで、多分「普通の人」からしたら、無駄遣いとしか思えないようなことを、しばらくの間続けていた。

そういう音源ごとの細かな音質の違いを感じては一喜一憂する、それはまさにYMOの信者だった。そして、今も信者であり続けていると思う。


だが、昭和62年当時はまだ、それほどYMOに関してあまり詳しくなく、メンバーが発するメッセージを聴いては、こんな音楽もあるのか、と知ることしかできなかった。その情報源が坂本龍一教授の火曜日夜の NHK-FM、サウンド・ストリートだったり、このエントリやそのほかのエントリでも取り上げている、やっぱり NHK-FM の水曜日、高橋幸宏氏の午後のサウンドだった。民放では、教授のサウンド・ストリートが終わった後に「不思議の国の龍一」なんて番組もあった(ように記憶している)。

また、高校時代の芸術の選択授業で、書道、音楽、美術とあった中で、私は美術を選んだ。そして、その選択が正解だった。美術の先生が、忌野清志郎氏の「僕の好きな先生」そのもので、そして、YMOが好きだった。そんな感じだったから、美術室に入り浸っては、私の知らないことをいろいろ教えてくれる、そんなタバタ先生が好きだった。

で、YMOのメンバーのひとり、高橋幸宏氏の音楽的なバックボーンというか、ルーツ、あるいは好みを特集したのが、今回のエントリのネタなのだ。これは、長時間テープに録音した後で、改めて60分テープ2本にダビングしたもので、ユキヒロ氏のMC、トークは全てカットした。考えてみれば、それはそれで残念なことだったかもしれない。

昭和62(1987)年7月8日水曜日 NHK-FM 午後のサウンド ~僕のカバー・コレクション~

01 シュープリームス - ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ
02 ビートルズ - イッツ・オール・トゥ・マッチ
03 トッド・ラングレン - アイ・ソウ・ザ・ライト
04 スター・バック - ムーンライト・フィールズ・ライト

05 高橋幸宏 - ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ
06 高橋幸宏 - イッツ・オール・トゥ・マッチ
07 高橋幸宏 - アイ・ソウ・ザ・ライト
08 高橋幸宏 - ムーンライト・フィールズ・ライト

09 アーチー・ベル&ドレルズ - タイトゥーン・アップ
10 YMO - タイトゥーン・アップ
11 ビートルズ - デイ・トリッパー
12 YMO - デイ・トリッパー

13 大村憲司 - 春がいっぱい
14 矢野顕子 - 終りの季節
15 越美晴 - ラスト・ダンスは私に
16 エン・オールスターズ - 又会う日まで

17 YMO - ビハインド・ザ・マスク
18 エリック・クラプトン - ビハインド・ザ・マスク

19 高橋幸宏 - ドリップ・ドライ・アイズ
20 サンディー&ザ・サンセッツ - ドリップ・ドライ・アイズ

21 クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング - ヘルプレス
22 ザ・バンド - ステージ・フライト
23 プロコム・ハルム - ピルグリムス・プログレス

24 高橋幸宏、ビル・ネルソン - ヘルプレス
25 ビートニクス - ステージ・フライト
26 ビートニクス - ピルグリムス・プログレス

DJ 高橋幸宏

最初は、ユキヒロ氏の好きな曲、影響を受けて自らでカバーした曲の原曲と、ユキヒロ氏バージョンの聞き比べ、なんて感じだ。


シュープリームスは、どんな女性グループなのか、分からなかった。Wikipedia でようやく知ったくらいで、正直、興味がなかったと言っていい。ユキヒロ氏のカバーがなかったら、多分、今もその曲の存在を知らずに過ごしていたと思う。ただ、この番組でこの曲の存在を知った後、とあるアメリカ映画、キャノンボールだったかトランザム7000だったかで、この曲のフレーズが使われているシーンがあって、その筋では有名な曲なのか、なんて思ったくらいで。



ビートルズの「イッツ・オール・トゥ・マッチ」も、近所に住むお兄さんのあっちゃんがビートルズ好きで、彼の部屋に行く度にビートルズのポスターを見せられ、半ば強制的に曲を聴かされた経験があり、また、中学時代の英語教師がビートルズの「イエスタディ」のヘタクソな歌唱を聴かされたこともあって、ビートルズを「迂回して」今日まで音楽を聴いてきた。そしてその姿勢は多分、今も変わっていないと思う。

だけど・・・、YMOもカバーしているし、ユキヒロ氏もカバーしている。
そして、どう「迂回」しようにも、あれだけ世界的に売れたバンドだと、どうしても彼らの曲に引っかかってしまうんだよね。良い曲だなぁ、なんて思っていたら、実は原曲がビートルズだった、なんてこともあって愕然としたし(マーカス・ミラーのカム・トゥゲザーだったな)、他に金沢明子のイエロー・サブマリン音頭を聴いてぶったまげ、ビートルズからは逃げられないんだなぁ、なんて諦めて「楽」になった、なんてこともあるな。


トッド・ラングレンは、FM STATION 誌で「魔法使い」なんて記述を読んだ記憶がある。なんでも、かなり早い時期に自分で全ての楽器を演奏して録音する事を実践した、と読んで、どんな音なんだろう、とワクワクしながら聞いた。すると、聴き込めば聴き込むほど、その世界の奥深さに恐れを抱き、さっさと退散した方がいい、と身を引く決断をしたんだっけ。今だって、ちょろっと Wikipedia で見るだけでも驚いたもん。「アイ・ソウ・ザ・ライト」の発表は1972年だよ。私が生まれて2年後のことだ。昭和47年だ。その時代に多重録音で作品を作ってしまうなんて、想像するだけで身震いがする。そうと知った上でトッド・ラングレンの「アイ・ソウ・ザ・ライト」を聴くと・・・、リズム隊のめまぐるしさが凄い、なんて感じてしまうもの。ユキヒロさんの場合はシンセサイザー、コンピューターを使えただろうから、トッド・ラングレンが「アイ・ソウ・ザ・ライト」を作り上げるよりもかなり時間的にも労力的にも楽だったんじゃないかしら?



スターバックを検索すると、コーヒー屋のチェーンが真っ先に引っかかる。ええぃ、お呼びでないわ。
取り上げた曲「ムーンライト・フィールズ・ライト」には邦題が付いていて、それも「恋のムーンライト」だって(ぷ)。まぁ、今まで色々な曲、ポップス、ロックを聴いてきたつもりだけど、マリンバがフューチャーされる曲ってのは、ポップス、ロックの世界ではあまり例がないんじゃないかなぁ。曲の雰囲気と合っていて、月夜の晩にゆーっくりとドライブなんかするときにちょうどいい気がする、そんな曲だね。この番組で初めて聴いたんだけど、やっぱりマリンバの音が強く印象に残って、耳にこびりついたかのように忘れることはなかったもんね。

でも、彼らっていわゆる「一発屋」なんじゃないかしら? こちらのブログによれば、セカンドシングル「アイ・ゴット・トゥ・ノウ(I Got to Know)」が日本のヒットチャートでも最高で8位になったそうなんだけど、んんー、そうなのか? この曲もマリンバが入っていて、そのせいもあって邦題が「星影のマリンバ」なんだそうで(ぷぷ)。月の明かりで全米3位、日本のラジオチャートでも3位と結構ヒットしたからって、次に星影はないだろうて(苦笑)。

でも、こういう曲もユキヒロさんはちゃんとチェックしていて、自分流にアレンジしているんだから、見る人は見ているというべきなのか、知っている人は知っているというべきなのか。



次は、YMOが外国のアーティストの曲をカバーしたのを取り上げられている。時系列的には初期YMOの「デイ・トリッパー」の方が先なんだけど、これでは中期の「タイトゥーン・アップ」が先に流れている。Wikipedia では、この曲のベースの演奏には高度な技術が必要だ、なんて記述があるんだけど、ベースが弾ける知人は「簡単だ」と言い、FM802のDJ氏も事もなげに弾いている。簡単なのか難しいのか、ベースが弾けない私には判断ができない。が、YMO信者としては、難しい技術を事もなげに演奏している細野さん、と思いたい。


「デイ・トリッパー」は本家よりも先にYMOで知った。YMOやテクノ好きな人にはそういう傾向があるらしい、なんてことをラジオで聞いたこともあるな。YMOがなんでこの曲をカバーしようと思ったのかは全く分からない。ひょっとしたら、世界を股にかけてツアーをする際に、誰もが知っている曲を何曲か持って行った方がいい、なんて考えがあってのことなのかも・・・。

大体、最初期のYMOはピンク・レディーウォンテッドを演奏しているしね。


大村憲司さんの「春がいっぱい」は The Shadows の「Spring is Nearly Here」のカバーだね。
矢野顕子さんの「終りの季節」は細野さんの曲のカバー。そのものズバリが YouTube で拾えなかったので、矢野さんと細野さんの共演の動画を以下に。


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2013.02.10

【Digital】ここはどこだ? どこなんだ~?【Archives】昭和62(1987)年6月3日水曜日 NHK-FM 16:00~ 午後のサウンド ~エキゾチカ・ララバイ~

冬である。真冬である。
このエントリを打っている最近は少しばかり寒気も緩んで、道を走れば そこかしこ に大きな泥水の池ができていたりもするが、やっぱり寒いものは寒い。そして、雪に慣れている地元民だって、滑って転ぶときは転ぶ。

別に雪が、寒いのが嫌いな訳じゃない。ただ、少しばかり飽きてきた、と、そろそろそんな気持ちになりつつある。当地の冬のビッグイベント、さっぽろ雪まつりが終われば、春までもう少し、なんて気分にもなるが、それでもまだまだ寒いものは寒い。

それじゃ、世界のどこかにありそうな熱帯の国を思わせるようなエキゾチック・サウンドでも聴いて、気持ちだけでも暖かくなろうか、なんて思ったり。

昭和62(1987)年6月3日水曜日 NHK-FM 午後のサウンド ~エキゾチカ・ララバイ~

01 マーティン・デニー - クワイエット・ビレッジ
02 マーティン・デニー - リターン・トゥ・パラダイス
03 マーティン・デニー - ホンコン・ブルース
04 マーティン・デニー - ストレンジャー・イン・パラダイス
05 マーティン・デニー - ジャングル・フラワー
06 マーティン・デニー - チャイナ・ライツ
07 マーティン・デニー - リンゴ追分
08 マーティン・デニー - 蘇州夜曲
09 マーティン・デニー - ファイアー・クラッカー
10 YMO - ファイアー・クラッカー


11 細野晴臣、ティンパン・アレイ - 香港ブルース
12 細野晴臣、ティンパン・アレイ - サヨナラ
13 細野晴臣、ティンパン・アレイ - 泰安洋行
14 細野晴臣、ティンパン・アレイ - エキゾティカ・ララバイ
15 細野晴臣、ティンパン・アレイ - ハリケーン・ドロシー
16 細野晴臣、ティンパン・アレイ - 絹街道
17 細野晴臣、イエローマジック・バンド - 四面道歌
18 細野晴臣、イエローマジック・バンド - ファム・ファタール~妖婦
19 細野晴臣、イエローマジック・バンド - はらいそ
20 ヴァン・ダイク・パークス - スティールバンド・ミュージック


21 ヴァン・ダイク・パークス - ジョン・ジョンズ
22 ヴァン・ダイク・パークス - オデ・トゥ・トバコ
23 XTC - ワンダーランド
24 ウォーターメロン・グループ - ザ・ゲート・オブ・ジャポネシア
25 マーティン・デニー - ライムハウス・ブルース
26 マーティン・デニー - キャラバン
27 マーティン・デニー - ハロー・ヤング・ラバーズ
28 マーティン・デニー - ハッピー・トーク

DJ 高橋幸宏

上記の内容のエアチェック時は録音機材も大幅にグレードアップし、WデッキでWリバース、W録音可能な巨大な Kenwood があった。もちろんタイマー録音も可能。そのコンポの2つのカセットデッキそれぞれに60分テープをセットし、タイマーを合わせて家を出た。

そして、学校が終わり、家に帰ってきたのが午後5時半ほどだったかと思う。玄関を上がってすぐにコンポの様子を見に行った。当然ながら、しっかりリレー録音されている。しかし、オートリバースと言っても、やっぱり音の切れ目が発生してしまう。リレー録音だと計3回、音の切れ目が発生した。悔しいことにそのタイミングの数回がちょうど曲の部分だった。

逆に言えば、ユキヒロ氏のトークで、それぞれの曲に関する薀蓄が聞けたことは収穫だったようにも思えるか。

こんにちは、高橋幸宏です。 6月に入りまして、個人的にはあと3日で誕生日がやってくるというところですけど、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 今日は「エキゾティカ・ララバイ」、つまり、エキゾティック・サウンドを集めてお送りいたします。約2時間、ごゆっくりお楽しみください。

改めまして高橋幸宏です。えーまぁ6月あたりになってきますと夏も間近ということでエキゾティック・サウンド、つまりこの、蒸し暑い夜あたりにゆっくり聴くのに大変よろしい音楽、という訳ですね。エキゾティック・サウンドといいますと色々連想できますけれど、今日、ぼくが集めてみましたのは、どちらかというとYMOというグループを最初に結成した当時に非常に影響を受けていたサウンドあたりを集めてみました。

特に、当時YMOのリーダーだった細野晴臣氏が大変に影響を受けていた人、マーティン・デニーという人なんですけれども、この方は、詳しい素性と言いますか、どういう方なのか、実はあまりよく分かっていないんですけれども、詳しく調べない方が面白いだろう、ということで、後に実は、YMOがアメリカで一番ヒットした曲、ディスコでヒットした曲なんですが、実はこの方の曲で、この方からお礼状を頂いたことなんかもありましたね。

マーティン・デニーさん、この方、まず行ってみたいと思います。クワイエット・ビレッジ、リターン・トゥ・パラダイス、ホンコン・ブルース、ストレンジャー・イン・パラダイス、ジャングル・フラワーで、5曲続けてお送りいたします。

おぼろげな記憶では、当時はエスニックや、ニューエイジ・ミュージック等も台頭してきたころで、それらの延長上の曲という思いと、YMO結成のきっかけになった曲とのことで、どんな感じの曲なんだろうかと、大変胸をときめかせながら録音し終わったテープを聞き返してみたんだっけ。

だけど、それらの思いは1曲目を聞いた瞬間に崩壊した。
真ん中にピアノがあって、その周りに色々な効果音のための装置やパーカッション、声などを駆使して、地球のどこかにありそうな南の島の楽園やジャングルの光景を頭の中に映像として投影された。その他、西洋人が持っている東洋のイメージというのが分かって、それがまた面白かった。そんな西洋人の東洋の間違ったイメージを逆手にとってイメージ的、ビジュアル的にも外国に進出したのがYMOなんだなぁ、なんてことも思ったな。

四半世紀の時間が流れ、今ではインターネットに繋げば「素性が分からなかったマーティン・デニーさん」の情報も簡単に手に入れることができる。良い時代になったものだと思いつつも、その情報がホントに正しいのか、どこまで信用していいのかが時として分からなくなってしまうこともある。極力、自分自身の五感で確かめたいとは思っているんだけど・・・。







ストレンジャー・イン・パラダイスはボロディンのダッタン人の踊りにも似ている気がするのだが・・・。

7分くらいから・・・。



マーティン・デニーで、クワイエット・ビレッジ、リターン・トゥ・パラダイス、ホンコン・ブルース、ストレンジャー・イン・パラダイス、ジャングル・フラワー、5曲続けてお送りいたしました。マーティン・デニーという方、大変ロマンティストであるとぼくは思います。大体「パラダイス」というタイトルが付いている曲が多くて、どうもパラダイス志向というのがかなり強いようでして、まぁ大体このエキゾティックなサウンドをやる方っていうのは、大体パラダイス志向っていうのが大変強いものらしくて、マーティン・デニーさん、この方ホント知る人ぞ知る、まぁ50年代にはアバンギャルドな作曲家といわれた人なんですけれどもね。

大体、ぼくがこの人のことを知ったのは、実は78年頃だったと思うんですけれども、まぁ、そんなに昔じゃありません。細野晴臣氏からレコードを借りまして、まぁ、名前は前から知っていたんですけども、細野さんの音楽にすごい影響を与えた人ということで名前は知っていたんですけど、実際レコードを借りまして聴いてみてビックリいたしましたね。とにかく、基本となるのはやっぱり南国と、そういうイメージなんですけど、音楽を聴いてみると、確かに我々が幼い頃、南国のイメージといいますと、日本では確かにこういうイメージがありました、そんな気がいたしますけれども。

楽器は、パーカッションが特にフューチャーされておりますね。それから、ビブラフォン、ピアノ、そういったところなんですけども、パーカッションもマニュアル、つまりパーカッショニストがかなり色々な種類の音を集めまして雰囲気を出していく訳ですけれども、とにかく、国籍が全く不明であるという点が実に興味深いですね。南太平洋的とか、ポリネシアンぽいとか、漠然とした、とにかく抽象的な南国であるという。こういったところが実に興味深くて、また、逆に日本人、現在ぼくは東京に住んでおりまして、東京生まれなんですけれども、東京から頭の中で想像する南国というのにはピッタリなのではないか、こういう風に思います。

まぁ、都会に住んでいる方はみんなあまり、忙しくて南国へ行ったりとか、そうはできません。そういう時にこういう音楽を聴いて、ハッピーな気持ちになる、こういうのがホントよろしいんではないかと思いますね。昼間、仕事で疲れてきて、夜、お酒なぞを軽く飲みながらこういうレコードを聴いてみるというのは、なかなか、なんとなく涼しくなってくるような気もいたします。実に良いのではないかと、その辺の過ごし方を後でゆっくりお話しするといたしまして曲へ行ってみたいと思います。今度はですね、マーティン・デニーがかなり日本という国に惹かれていたのが実に分かるという、基本的にはインストゥルメンタルな人なんですけれども、日本の有名な曲を行ってみたいと思います。マーティン・デニーで、チャイナ・ライツ、リンゴ追分、蘇州夜曲、3曲続けてお送りいたします。

マーティン・デニーの「リンゴ追分」は見つけられなかったけど、まぁ、似たような感じで。
ジャングルっぽい「蘇州夜曲」は、似たような感じの物にもヒットせず。

うわぁ、なんかやっぱり、西洋人が持っている間違った東洋のイメージって感じがむんむんと漂ってくる。チャイナ・ライツは三味線みたいな音が入っているし。リンゴ追分、蘇州夜曲に至っては、一体どこの国の曲なのか、分からん。クラクラする。

マーティン・デニーで、チャイナ・ライツ、リンゴ追分、蘇州夜曲、3曲続けてお送りいたしました。この辺になって参りますと、ますます国籍が分からないという。西洋人から見た日本とか中国とか、東洋へのロマンティシズム、憧れ、なんかそういったものを感じるんですけど、蘇州夜曲のアレンジに至りましては、まるでジャングルという(笑)雰囲気がございまして、訳の分からない世界に突入しておりましたけれども、その辺のところがなんかぼくは非常に面白くてですね、細野さんもこの辺がホントに好きだったらしいですね。

あの、確かマーティン・デニーというこの人のアルバムの中には、今日はちょっとおかけしませんけれども「サケ・ロック」なんて曲があるんですね。三味線でロックをやっているという。

よく映画で、昔、例えばよくスパイもの、007シリーズとかで日本とか出て参りまして、後半のシリーズでは日本ロケをちゃんとやっておりまして、きちっとした日本が出ておりましたけど、なんか60年代辺りのアメリカ映画、その他ヨーロッパの映画でも、西洋の映画に出てくる日本というと大体、中国と日本辺りの文化が混ざったものというのが多くて、実に中国的な部屋で中華料理を食べながら、日本髪を結った着物の女性辺りが座っているという、頭がクラクラするような雰囲気がよくございましたけれども、ああいった確かに間違った取られかた、誤解というのはまずいですけれども、非常に良くないと思いますが、その辺のところを逆に楽しんでしまおうというのが、実はYMOの最初の頃のコンセプトでして、そういう何というか、西洋人の東洋への憧れ、そういったものを逆にぼく達は、誤解を楽しんでしまおうというかね、逆にこちらでやってみたらどうだろうか、というのがYMOの最初の頃のコンセプトでしたね。マーティン・デニーのファイアークラッカーという代表曲があるんですけれども、これとYMOのファイアクラッカー、2曲並べて聴き並べてみようと思います。

マーティン・デニーのファイアークラッカーは、テンポが速く、そして曲自体が短かった。マーティン・デニーのが2分20秒、対してYMOのは4分50秒。そして、原曲では二度使われているフレーズを、YMOは三度使っている、のかな? あと、原曲はイントロ無しでいきなりメインフレーズだったけど、YMOはベースのイントロから始まっている。この辺りも曲の長さの違いになるんだな。

マーティン・デニーのファイアークラッカー、2分20秒の動画が見つからなかったので、YMOのと強引にミックスさせたやつを・・・(^^;(^^;(^^;。

でも、この曲をコンピューター、シンセサイザーで演奏して世界のディスコに売り込み、目標は400万枚、と企んだ細野さんのセンス、というか先見の明というか、逆に埋もれていた古い物を掘り起こし、現代的なアレンジに仕立て直してまた新たな命を吹き込むというその才はやっぱりすげぇなぁ、と驚くことしかできない。

マーティン・デニーでファイアークラッカー、イエロー・マジック・オーケストラでファイアークラッカーでした。いかがだったでしょうか。2曲を聴き比べてみますとですね、方やオリジナルはおそらく50年代に作られたものだと思いますけれども、イエロー・マジック・オーケストラのバージョンは79年に制作しまして、80年にヒットしたものですね。えーまぁ、この頃のぼく達の気持ちとしましては、マーティン・デニー、西洋人が作った日本的な曲を日本人がコンピューターを使ってディスコでヒットさせるという、こういう複雑なコンセプトでしたけれども、実にこれがうまく当たったと言いますか、国籍を越えたというサウンドの感じがやっぱり良かったのではないか。

また当時は、ディスコという媒体が非常にプロモーションの役割をしておりまして、ノー・プロモーションでもディスコでプロモーションできるというね、レコードだけでどんどんヒットしていくという時代でして、アメリカでもこのYMOのファイアークラッカーはディスコチャートでも1位になりましたね。地区別でも、どちらかというと東海岸、まぁソウル・ファンの多い地区ですね、その辺でのチャートが良くて一般チャートでも確か21,2位まで上がった、という記憶があります。ソウル・ミュージック専門のテレビ番組にも出ましたし、何故日本人のぼく達がこういう場所にいるんだろうと、頭がクラクラした覚えがありますけれども、またそれも良い経験だったと思います。

大体この頃、ぼく達は第1回目のワールドツアー、80年頃に行いまして、あ、79年が最初のツアーだったかな? その時には、そもそもはまず日本とか、東京のプロモーションというかそういうことをパブリシスト的に色々話していかなければならない。大体1日に10本近くの取材を受けることが多かったんですけれども、アメリカとかヨーロッパとか、どこの場所でも日本は本当に、例えば、正式な場では着物を着なければいけないのかとか、そういう質問があったりですね、東京で日本人が白いマスクをしているけれど、あれはスモッグが多いからかとか、そういう質問が真面目にあったりしまして、ああなるほど、そういう誤解ってのはかなりあるんだなぁ、とそういう風に思いました。

西洋人から見ると、最近は少なくなってきましたけれど、風邪を引いたら礼儀として白いマスクをする、とぼく達も小さい頃よく習いましたんでマスクなぞしたものですけども、それはスモッグのせいなのかという誤解を招いたりするらしいですね。それも実に興味深かったんですけども、そういったツアーを行ってきた中で、何故YMOってのはこういったコンセプトというか、そういうものに興味を持つんだろう、ぼく達はそういった世代なのかしら、こういう風に自分達で思ったんですけど、実にそうらしいですね。細野晴臣氏とかぼくとか坂本龍一もそうですけども、逆にそういう誤解の部分を、先ほどから言っているように逆手に取ってしまおう、逆にそういう物に対する憧れというのが、西洋人から見た日本人のようにぼく達の中にもありまして、東洋のエキゾチックな部分に対する憧れ、なんかそういうのってロマンがあっていいなぁ、とかそういう風に思います。

今でも思ってますけど、当時は特に強く思ったものでして、まぁこの細野晴臣さん、代表格ですね、その辺のエキゾティック・サウンドといったら日本人でこの人の右に出る方はいないのではないかと、ぼくは思いますけど、その細野晴臣さんのソロアルバムの中から聴いてみたいと思います。細野晴臣 with ティンパン・アレイで香港ブルース、サヨナラ(ザ・ジャパニーズ・フェア・ウェル・ソング)、泰安洋行、エキゾティカ・ララバイ、4曲続けてお送りいたします。




そういう才の持ち主がマーティン・デニーなどの古いエキゾティック・サウンドをバックボーンとして作り上げられたのがこれらの作品になるんだな。香港ブルースはマーティン・デニーの作品にもあったな。でも、こちらは完全インストで、細野さんのには細野さんのボーカルが乗っている。そして、曲の長さもまた、原曲は短く、細野さんのは長いんだな。曲の作り自体も違うような気がする。

他の3曲はオリジナル、かな? ただ、私感では、別段エキゾティックだと思わなかったな。多分、今現在の私が「細野さんはこんなスタイル」というフィルターを無意識にでも掛けているせいかもしれない。初めて聴いたときの感想は・・・・・・、覚えていない。忘れちゃったな。ただ、歌の内容からは、「夢の世界へ」なんて感じがあって、それがパラダイス志向と言えばそうなのかもしれない。

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2013.02.04

【Digital】あ けんけんのぉ さてぃすふぁくしょん【Archives】昭和61(1986)年7月8日火曜日 NHK-FM 16:00 ~ 午後のサウンド ~テクノ・ポップ名曲集~

中学2年のある土曜日のことだったと思う。友達のイシイ君が色々ハサミを入れてボロボロになったFM情報誌「FM STATION」誌を持ってきて見せてくれた。当時流行っていたポップス、ロック、アイドルなどをも網羅して、カラーページも多く、カラフルなカセットレーベルや、番組欄の片隅にカセットケースの背にぴったりサイズのインデックスもあって、そんな雑誌があったのかとショックを受けたものだった。既存のFM情報誌よりもハデで大きくて、そして既存誌よりも安い隔週刊で200円という価格は、田舎のびんぼう中学生にも容易に手に入れることができた、唯一と言っていい音楽情報だった。

当時は、中学生になったら洋楽を聴くのが当たり前、なんて風潮があったようにも思える。その雑誌のおかげでそれなりに知識を増やすことができた。が、知識として知っても、音楽は聴かないと分からない。だから、学校、そして部活が終わって家に帰り、夕食を食べた後は、勉強をしているフリをしてFM放送を聴いていた。当時の北海道(中央部)はまだ、NHK-FM と民放でFM北海道があっただけで、そんなFM情報誌の番組欄を見てちょっと食指をそそられる曲があったらラジカセのチューニングを合わせ、さらに「保存しておきたい」と思った番組はエアチェックしたものだった。

そして、私にとって、そのエアチェックの難敵が、NHK-FM のクロスオーバー・イレブンだった。数度苦汁を味わった。だって、番組オープニングの後に、流れる曲を紹介するものだとばかり思っていたら、オープニングテーマと「語り」が終わると即、曲が流れるんだもん。そして、番組中盤で津嘉山正種さんによるスクリプトの朗読が2度あって、それからまた曲が延々と流れてエンディング。曲紹介はまるでナシだった。でもそんな、リスナーを突き放したような番組の構成は、あらかじめ流れる曲を知っている人間にとっては、逆に有り難かったりも、した。

また、クロスオーバー・イレブンは50分番組だったのだが、地元で手に入れられるカセットテープは、30分、46分、60分、90分、120分が一般的だった。50分の番組を丸々録音するには120分テープを使えば良かったのかもしれない。が、FM情報誌、あるいはラジカセの取説には「120分テープはテープ自体が薄いため、トラブルの元になる」なんてオドシが書かれており、それにビビって120分テープはしばらくの間使えなかったな。

時代が下るとカセットテープのバラエティも増えて、クロスオーバー・イレブンのエアチェックに最適な100分テープ、なんてのも出てきたっけ。多分、これはCDの普及に合わせるかのような感じだったように思っている。40分、42分、46分、50分、52分、54分、と、えらく細かいラインナップを揃えたテープもあったように記憶している。その時くらいからかな? ハイポジション・テープの120分テープの存在を知って、エアチェックに使うようになったのは。

・・・・・・、なんか、脱線したままで「テクノ・ポップ名曲集」に進路変更できないので、無理矢理そっちに持っていくとしよう。

昭和61(1986)年7月8日火曜日 NHK-FM 午後のサウンド ~テクノ・ポップ名曲集~

01 バグルズ - プラスティック・エイジ
02 バグルズ - ラジオ・スターの悲劇
03 チューブウェイ・アーミー - 虚ろな影
04 チューブウェイ・アーミー - エレクトリック・フレンズ
05 ゲイリー・ニューマン - カーズ
06 クラフト・ワーク - ヨーロッパ・エンドレス
07 クラフト・ワーク - モデル
08 クラフト・ワーク - 電卓
09 テレックス - モスコウ・ディスコウ
10 リオ - みんな欲しいの
11 テレックス - 恋のパトカー
12 ディーボ - サティスファクション
13 ディーボ - シークレット・エージェント・マン
14 M - ポップ・ミューヂック
15 M - ワーキング・フォー・ザ・コーポレイション
16 ジョン・フォックス - ワイルド・ビューティフル・アンド・ダムド
17 ジョン・フォックス - クワイエット・マン
18 ウルトラヴォックス - ニュー・ヨーロピアンズ
19 ウルトラヴォックス - 聖歌
20 オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ダーク - エノラゲイの悲劇
21 ブロンディ - ハート・オブ・グラス
22 ヒューマン・リーグ - 愛の残り火
23 シリコンティーンズ - メンフィス・テネシー
24 YMO - ライディーン

DJ 小嶋さちほ

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