【Digital】閑話休題【Archives】まずラジオ
我が家はテレビよりもラジオな家だった。多分、昭和45(1970)年に生まれた時からテレビはあった。が、夕方以降に少しテレビの電源が入ったくらいで、その他のほとんどの時間はラジオのスイッチが入っていた。
だからなのかもしれない、私が生まれる前の歌を知っているのは。
小学校に上がってからも状況は変わらず、家ではいつもラジオのスイッチが入りっ放しで、色々な音楽が耳に入って来ていた。そして、ウチの場合は北海道放送、HBCラジオがメインだった。
今でこそ北海道日本ハムファイターズ熱烈応援中継と、午後のワイド番組「カーナビラジオ午後一番!」がウリになっているが、私が物心ついたときには何がウリだったんだろ? とにかく、朝食を食べるときのBGMもHBC、ちょうどその時間帯は「歌のない歌謡曲」が流れていて、大体7時40分くらいに日本航空がスポンサーの番組があって、それをちょっと聞いてから玄関を出たものだった。
夕方、遊び疲れて帰ってきたときにも、やっぱりHBCラジオ。その時に流れていたのは「ベストテンほっかいどう」だったな。印象にに残っているのはデーブマンだったり、田中徳志郎さんだったけど、両名とも鬼籍に入られているのか・・・(合掌)。
あるときなぞは、チャートの変化をノートに書き、~ちょうどその頃は、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」や松山千春の「長い夜」が流行っていたんだけど・・・、げ、恋のぼんちシートはすげー大物が関わっているわ。初めて知った(・.・;)~、何位は誰のなんて曲という聴取者によるテレホンクイズに参加せんと準備万端で臨戦態勢に入っていたにもかかわらず、嗚呼、ド田舎のダイヤル回線じゃ、じーころじーころとダイヤルし終わっても、受話器から聞こえてくるのは話し中の「ぷーっぷーっぷーっ」だったり、「この回戦は混み合っています」というアナウンスだったりしたものだ。
結局、ド田舎に住んでいる間は、札幌のラジオ局に電話アタックをかけても玉砕するしかなかった。
まぁ、それはそうと、根っからのラジオ人間になってしまっていた私に、母が結婚する前に勤めていた電器屋からトランジスタラジオを買ってきてくれたことがあった。茶色い小箱に入ったそのラジオには National と Panasonic の二つのブランド名が記されていて、その品番は RF-506 だった。単三電池2本で未だに良い音で鳴いてくれる。
それからダメな私の芽が芽吹き始めた。とは言え、選択肢はNHKの第一、第二、HBC、STV、そしてNHK-FMだけだった。で、まだ小学生だった私にはFMは高尚過ぎた。ので、必然的にAMの4局を選択するのだが、やっぱりHBCになっちゃうんだよなぁ。その他、偶然が幸いして、NHK第一放送の「ラジオSFコーナー」なる番組にぶち当たり、それで日本のSFに興味を持つようになった。
一時期、その番組で語られた「シャドウ効果」が実際にできるかどうかを実験してみたこともあった。地球相手に頭突きをかましても勝てる筈はない。数日ほど頭痛に苦しんだっけ。その時、かかりつけの病院で見たポスターに「頭の痛みにご用心」なんてのがあって、本気で明日の朝を迎えられるのか、不安でたまらなくなったこともあった。
また、子供会のキャンプ当日の土曜日、半日授業を終えて家路についたときにゲロ吐いて、保健室へ逆戻りし、しばし後に帰宅したのだが、当然のようにキャンプはキャンセル。その代り、父と話しながら寝床に入った。で、その時にBGMとしてやっぱりラジオを小さな音で流していたら、やたらと面白い番組と出会ってしまった。それが「大橋照子のラジオはアメリカン」だった。まだ夜も浅い頃に放送されていたため、小学生でも聞くことができたのだけど、さすがに深夜帯に番組が移動しちゃうと、小学~中学に上がった人間にとっては、その時間まで起きていることができなかった。って、あれ ?(゚_。)?(。_゚)? 北海道、HBCでは土曜の午後10時からだったような記憶があるんだけど、記憶違いだろうか。
そして、中学に上がるとともに、ラジオだけじゃ物足りなくなっていった。当時購読していた中一(中三まで)コースで、「英語の勉強のために洋楽を聞こう」なんて趣旨の文を読み、そんなもんなのかなぁ、なんて思いながら、次回へ続くと。
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