古いメモ帳
あまりにもディスプレイ内臓のスピーカーの音がショボいってんで、先代のシステムで使っていた SONY の SRS-PC71 なるスピーカーを置くついでに、パソコン周りの整理をしていたら、古いメモ帳が出てきた。
内容を見る限りでは、おそらく地元FM局の深夜番組を聞いてハガキ職人をやっていたときのものだと思う。とすれば・・・、18年近く前になるのかな。深夜生活者だったその頃はまだパソコンを持っていなくて、明け方にアジトに戻ってきたら遅い夕食をかきこみながら予約録画していたビデオを見て、気になることがあったらメモを取って、なんてことをしていたっけ。そのメモ帳には、ホントに言葉の断片しか書かれていないものも多かったのだが、それだけでも当時の記憶が甦るというのはちょっと驚いた。
さらに驚いたのは、なんでこんなに詳細に記述してあるんだろうと思う文章があったことだ。それを改めてパソコンで入力していたら、まーまーまーまー、ミスタイプがひどい。こんなにタイピングがヘタクソだったっけ、なんて自己嫌悪に陥ってしまった。
して、その詳細に記述されていたのは、有珠山、昭和新山に関することなのだ。
もしもその当時にパソコンを持っていてネットワークに繋がっていても、今のようなインターネットではないので、Wikipedia で調べて一丁上がり、なんて訳にもいかない。かと言って、その当時に有珠山、昭和新山付近に行ったかと言えば、多分ない。一応、伊達市には親戚も住んでいたが、そこは特に山に近い訳じゃない。じゃ、何を見て書いたんだろう、と首をひねるばかりである。一応、以下にそのメモを丸写しした文章を貼りつけるが、なんでこのような文章を書いたのか、本当に分からない。覚えていない。
寛文の噴火
寛文三年(1663) 大量の軽石・火山灰を噴出し、大爆発と降灰によって家屋焼け5人死亡。山頂火山原に小有珠円頂丘を生成する。
明和の噴火
明和五年(1769) 噴火前に自信が頻発し、洞爺湖の水位が低下。噴火の詳しいことは不明である。
文政の噴火
文政五年(1822) 旧暦の1月19日になって鳴動とともに噴火が始まり、22日には猛火を噴き出し焼け石が降って山腹の草木を焼き払う。2月1日、熱雲が発生し南西斜面を流れ下って旧アブタの部落を全滅させる。死者50人、負傷者53人、馬1437頭が犠牲になる。
嘉永の噴火
嘉永六年(1853) 旧暦の3月15日に山頂の北東部が爆発。熱雲が東斜面に流れたが住民は避難し犠牲者は出なかった。活動は五ヶ月続き大有珠円頂丘を生成する。
明治の噴火
明治43年(1910)7月25日夜、洞爺湖に近い金比羅山で最初の爆発。以後半月の間、金毘羅山と有珠山外輪北屏風岩線上で水蒸気爆発を次々起こし45の爆裂火口を生ずる。湖岸で地盤の隆起が始まり、約170メートルの新山(四十三山)を形成する。この後、噴火地点に近い湖岸でセ氏42度の温水が湧きでているのが発見された。
昭和新山の噴火
昭和18年(1943)12月28日から地震頻発し、有珠山の東麓の地盤が次第に隆起する。翌年3月から4月にかけて1日30センチもの隆起活動の後、6月23日朝、畑の中から突然噴火。間欠的な爆発を繰り返して七個の火口を生成するとともに地盤はますます高まり、尾根山を形成する。11月になり尾根山を突き破ってマグマが出現。成長を続けて昭和19年9月には標高407メートルの溶岩円頂丘となり「昭和新山」と名づけられる。
有珠山の噴火
気象庁は1977年有珠山噴火と命名昭和52年(1977)8月6日から地震頻発。翌7日午前9時12分、有珠火口原の中の小有珠の南東側山すそが突然噴火、伊達、壮瞥方面に降灰あり。
8日から9日にかけて大きな噴火が3回あり、北側山麓の温泉街と洞爺村方面に大量の軽石と灰を降らす。
13日午後10が37分の軽石噴火を最後に噴火活動は一段落。この間の噴火回数は大小合わせて16回に及ぶ。8月16日 虻田町泉地区で降雨による泥流発生。9月14日 泉・入江地区で再び泥流被害発生。
8月末から火口原内びオガリ山が1日に90センチずつ隆起し、“中有珠”と呼ばれる新山を形成するとともに外輪山の北東部を山麓に向って押し出す。また、大有珠の立岩は連日の地震で大きく崩落。
明けて53年9月16日 朝からの降雨で泥流が発生し、泉地区の田畑、温泉、入江地区の陣かに大きな被害。続く26日にも泥流の発生を見るが、これまで犠牲者なし。
10月24日 朝から断続的な降雨続く。午後9時半頃、大泥流発生。「木の実」「全日空」の二つの沢から流れ出した泥流の速度は秒速6~7メートル 泥の量は8万トンともいわれる。ついに、3名の犠牲者が出る。
夏と正月には、毎年、母方の祖父母が住んでいた伊達市に行っていた。そして、昭和52年の噴火の直前まで、伊達で海水浴をしていた。家に帰って数日後に噴火して大変驚いた覚えがある。見える筈もないのに噴煙が見えるかと目を凝らしたっけ。ただ、当時住んでいた町でも小規模の降灰はあったようだ。
祖父母の家では、噴火が収まってもしばらくは火山性地震とでもいうのだろうか、とにかく小さい地震を何度も感じた覚えはある。また、有珠山のもっとも最近の噴火は14年前のものになるが、ちょうどその頃、父方の一番若い叔母が亡くなった。葬儀に向かうため高速道路を走っていたら、災害派遣の自衛隊のトラックと何度もすれ違ったな。
・・・、えーと、これはどうオチをつければいいのかな?
最初に書いた SONY のスピーカーのことでも書いて〆にしようか。このスピーカーはハードオフでジャンクとして投げ売りされていたものだ。ディスプレイのショボいスピーカーと比べると、低音がやたらと強調される音となった。このスピーカーの仕様を SONY のサイト(PDFファイル)で見てみれば、再生音量にかからわず豊かな低音に補正する IBB(Inteligent Bass Boost) 機能とあり、これでパソコンを起ち上げたら、轟く雷鳴がより迫力あるものとなった。こんなことなら、このシステムにしたときからこういう環境にしておけば良かった、かな。
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