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2015.12.01

私にすれば・・・

妖怪といえばこの人だっただけに、訃報は残念でならない。

【水木しげるさん追悼】海外でも評価高く「多忙という名の妖怪にとりつかれた」過酷な戦争体験もテーマに


Aafnqhn 30日に93歳で亡くなった漫画家の水木しげるさんは、代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」「河童の三平」などの妖怪漫画に加えて、自らの過酷な戦争体験を題材にした作品まで、幅広い活躍を見せた。つらい体験を乗り越えるしたたかなユーモアをたたえた作品の数々は、世代を超えて読み継がれている。

大戦で片腕を…神戸でアパート「水木荘」経営、ペンネームに

 水木さんが妖怪や民俗学に関心を持ったのは、幼少期にさかのぼる。生後間もなく移り住んだ鳥取県境港市の自宅に出入りしていた「のんのんばあ」と呼ばれる老女から、お化けなどの話を聞いたことがきっかけだった。この経験が後に「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪漫画に取り入れられたほか、自伝的エッセー、漫画作品の「のんのんばあとオレ」になり、テレビドラマ化もされた。

 戦争体験も水木さんの人生観や作品に大きな影響を与えた。昭和18年に出征し、当時最大の激戦地の一つラバウルへ。所属する部隊が敵襲で全滅し、やっとの思いで逃れた先でも空襲に遭い、左腕を失った。

 「本当に、生きるか死ぬか紙一重でした」

 戦後に復員したが、日々の暮らしのため、魚売りなどさまざまな職業についた。水木しげるという筆名も、神戸のアパート「水木荘」を経営したことが由来になっている。

 生活に追われる中でも、画業への思いは消えなかった。29歳になったころ、念願の絵描きの仕事に就く。「最初は紙芝居です。好きな絵を終日描いていられました」

 やがて漫画へと活動の場を移し、上京後の40年、「別冊少年マガジン」に掲載された「テレビくん」が講談社児童まんが賞を受賞。「悪魔くん」などの作品も続けざまにヒットし、ようやく人気漫画家となり、「多忙という名の妖怪にとりつかれた」と言いながらも、以降、多くの作品を世に送り出した。

 妖怪ファンと研究者を集めた「世界妖怪協会」を創立、作家の荒俣宏氏らと世界妖怪会議を開催するなどの活動も話題を呼んだ。

 平成15(2003)年、故郷の境港市に「水木しげる記念館」がオープンした。従軍経験も繰り返し語り、「娘に語るお父さんの戦記」などの著書も。19年、フランスで開催された欧州屈指のマンガの祭典「国際漫画・フェスティバル」で、仏語版の「のんのんばあとオレ」が最優秀賞に選出されるなど、海外でも高く評価されていた。

妖怪を語っているうちは死なないんじゃないか、とすら勝手に思っていた水木さん。気がつけば結構なご高齢だったんだな。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


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