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2020年12月

2020.12.31

オワリヨケレバスベテヨシ

実際の所その通りなんだろう。そして、逆もまた真なりなんだろう。

やっちまった。
強い寒気が入ってくるとは聞いていた。しかし、その対策を「うっかり」取るのを忘れた。その結果が


水道凍結

だ。


朝起きる。まずは膀胱に溜まった水分を排出し、トイレの貯水タンクのレバーをひねる。タンクの水は勢いよく流れたが、貯水タンクに入る水は流れてこなかった。その時の気持ちは、寝起きで機嫌が悪い状態の上に「絶望感」と「失望感」が乗っかってきた。


今朝は大変冷えたんだろう。こちらの記録では、最も冷えた所が幌加内で -32.6℃(!) ということになっている。そして、札幌も -12.6℃ を記録している。


朝、そろそろ良いだろう、と思って9時に水道凍結に対処できるであろう会社、便利屋に電話攻勢をかける。しかし、時期も時期で大晦日。普通の会社なら仕事納めで年末年始休みに入っているだろう。しかし私も水が出ない生活は嫌だ。


Google で適当な単語を打って対処できそうなな会社に電話を掛けるが繋がらない。繋がっても「大変込み合っているので後ほど掛けろ」と不愛想な録音メッセージが返ってくる。他の会社に電話を掛けるも、呼び出し音が延々となり続けるだけ。負けるもんか、と電話を掛ける。以前、投函されたチラシに同梱されていたマグネットシートに書かれている電話番号にも掛けてみた。しかし、水道凍結に対処できるブツがない、担当者も置いていない、との対応。


また、転送電話でようやく出てくれた会社の担当者も「年末年始休みで、会社として対応はできない」と断られた。


それでも、全国的なネットワークだと思われる会社に電話を掛けてみると、住所と氏名、電話番号をを聞かれ、後ほど対処できる者から連絡を入れさせる、との事。まぁ、確かに電話はあった。が、私がやらかした失敗した人は、他にも沢山いたようだ。電話をくれた担当者によれば、今日はひっきりなしに電話が入り、今日の対応は難しい、と非常な現実を告げられ、今から予約を入れても、動けるのは年明けの3日か4日だという。


本当にタイミングが悪かった。年末年始休みで令和2年の最後の日。同様な失敗をやらかしてしまった人が素早く異変に気付き、素早く業者に連絡を入れ、素早く復旧させたのだろう。その点私の対応は全てにおいて後手に回った。全戦全敗だった。


水が使えない年末年始は考えた事がなかった。かと言って、それを我慢できるだけの甲斐性もない。結果オーライでも構わない。


だが、令和2年をこのような形で終わるのは大変に不本意だが・・・、実家に帰ろうか。

2020.12.26

私にしてみれば・・・


大変有名で数多のヒット曲の歌詞を手掛けたなかにし礼さんが亡くなられた。
おそらく、ネット上に流れたであろう最初のニュースがこれだった、と思う。

作詞家&直木賞作家、なかにし礼さん死去 82歳「北酒場」「石狩挽歌」昭和の歌謡界支えた巨星


 「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた日本歌謡界を代表する作詞家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが23日、東京都内の病院で死去した。82歳。死因は明らかにされていないが、1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していた。10月に作曲家の筒美京平さん(享年80)が他界したことに続く、衝撃的な悲報。日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。
2020_12_26-nakanishi-rei

 数々のヒット曲を作詞した昭和を代表するヒットメーカーで、映画やオペラの製作でも活躍。時の政権を厳しく批判する辛口のテレビコメンテーターとしても、お茶の間に愛された人だった。

 関係者によると、1カ月ほど前に持病の心臓病が悪化。都内の病院に入院していた。

 波瀾(はらん)万丈のなかにしさんの人生で、この10年は病気との闘い。2012年に食道がんを克服し、3年後に再発するも、それも克服。心臓病は92年からの持病で、16年に除細動器とペースメーカーを埋め込み、劇的に改善していただけに周囲のショックは大きい。

 68年の黛ジュン「天使の誘惑」、70年菅原洋一「今日でお別れ」、82年細川たかし「北酒場」で日本レコード大賞を3度受賞。00年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。翌年、満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」は100万部近いベストセラーとなり、戯曲を含めた旺盛な執筆活動とマルチな活躍からスーパー作詞家と呼ばれた。

 大学時代にシャンソンの訳詞を手掛けたのを機に作詞を始め、63年に当時の大スター、石原裕次郎さんから声を掛けられたのが歌謡界に進むきっかけとなった。

 65年に発表した菅原洋一「知りたくないの」が最初のヒット。その後、ザ・ピーナッツ、ザ・タイガースらスター歌手の曲をはじめ、昭和の歌謡曲全盛時代を支えた。

 手掛けた作品は4000曲。それまで流行歌も軍歌も「七五調」が主流だった中、「自分は絶対に七五調は使わない」というのが作詞の鉄則。「破調のリズムで日本人の心を動かしたい」という思いは、旧満州で祖国に捨てられた戦争体験が根底にあった。

 執筆活動のもう一つの原点が幼少期からの赤貧体験。破滅的な兄への複雑な思いと原体験を歌にしたのが、75年の北原ミレイ「石狩挽歌」(作曲浜圭介)。

 ♪ごめがなくから にしんがくると あかいつっぽのやんしゅがさわぐ――。

 兄が大金をつぎ込み失敗したニシン漁の情景を描き、その重い世界観は歌謡曲ファンを圧倒。そんな兄との葛藤を描いたのが最初の直木賞候補作「兄弟」だった。

 あらゆる作品に通ずるのが「反戦」への思い。何度も死線をさまよいながらも、とどまらない創作意欲について、4年前のスポニチ本紙のインタビューでも「戦争体験をしっかり残したいんだ」と熱く語っていた。

 ◆なかにし 礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)1938年(昭13)9月2日生まれ、旧満州(現中国東北部)出身。91年に映画「動天」の製作を指揮。93年には神奈川・鎌倉芸術館の開館記念作としてオペラ「静と義経」を制作した。同作は昨年、26年の時を経て再演された。また、01年から14年間、テレビ朝日「ワイド!スクランブル」のコメンテーターを務め、お茶の間にもよく知られた存在だった。




記事の通り、歌謡曲の世界ではヒットメーカーだったなかにし礼さん。歌謡曲界では少しばかり時間が経ち過ぎの感もあるが、2007年8月に亡くなられた阿久悠さん、2020年10月、つまりは今年の10月に亡くなられた筒美京平さんに続く、大きな損失になった。筒美京平さんは作曲家だけど。


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2020.12.24

見極められなかった


先日、通販でちょっと大きい衝動買いをした。その事で別に悔んだりはしていない。ただ、ちょっとだけ高い授業料だったかな、とは思う。
ガラクタかな? いや、ガジェットと呼んだ方が的確かもしれない。


もったいぶらずに書くなら、単眼鏡を買った。
スマホのレンズと合体させたら、デジタルズームとは違う本当に光学的なズームができて表現の幅が広がる、と思った。もっと時間をかけてじっくり考えれば、スマホ=本来は携帯電話、携帯する度にその単眼鏡をも持って歩くのか、とここまで考えたら、授業料を払わなくて済んだのかもしれない。


Img_1347それでは、少々高い授業料の中身の紹介。


最初はこれ。単眼鏡本体。
右側がImg_1346接眼レンズで左側が対物レンズIMG_1343.jpg。


IMG_1345.jpg接眼レンズの上にあるこの「40x60」はズームの倍率と思ってくれればいい。また、単眼鏡の上にある細長い物体の中身は、白く輝く照明と赤いレーザー光線を発する。そして、その発光部分の下にあるのは方位磁石。


ただ・・・、その発光部は「一応」取外しが可能。その為には、その発光部の後方にある丸いボール状のゴムを全身の力を指に集めて押す。とにかく押す。そうすると、キーリングにちょうどいい、多分、本来はキーチェーンとして使われていたであろう、ボタン電池3つが入ったミニ懐中電灯、というのか、赤いレーザーポインターも付いた照明とでも言えばいいのか、とにかくそういう物体が出てくる。


しかしながら、そういう物体は赤く塗られていたと思われるが、赤い塗装は傷だらけで決して良いとは言えない状態だった。さらにそのアクセサリーをバラすと、中に入っていた基盤と、赤いボディの上に空いた2つのボタン穴からボタンが飛び出て、どうしても元に戻せなくなってしまった。


多分、この単眼鏡は中華製。
中華製の様々な品を扱う通販サイトを探せば同様な単眼鏡が手に入るだろう。

IMG_1281.jpgそしてこれは、接眼レンズに被せるキャップとブラケット。IMG_1285.jpg見ての通りでバランスが悪そうだわ、ブラケットが貧弱だわと、嫌な予感しかしなくなった。


IMG_1291.jpgんでもって、これが三脚・・・。見ての通りの貧弱さ・・・。


IMG_1364.jpg組んでみた。嫌になった。これにスマホを挟み、カメラのレンズとぴったり合わせる事で本領を発揮すると思うのに、これじゃバランスはとても取れたものではない。


この三脚はお役御免。ずっと私が持っている三脚を持ち出して「完成形」を組んでみた。見ての通りで、非常にバランスが悪い。しかも私の AQUOS R3 には、側面に電源スイッチとボリューム調整のボタンの他に、割り当ては持ち主の考え一つで使えるファンクション的なボタンもある。スマホを挟み込むブラケットと単眼鏡の接眼レンズ、スマホのレンズを合わせようとすると、ギリギリでそのファンクションスイッチを挟み込む事はなかった。しかし、これだとセッティングするのにどれ位の時間を要するのか。嗚呼、考えたくない。


IMG_1370.jpg位置が合わないとご覧の通り、接眼レンズブラケットとスマホのレンズの間に隙間が空いてしまう。とりあえず、スマホを垂直にしてみたらこんな感じ。
 

まぁ、そこそこの存在感にはなったようにも感じるが、全ての位置がきっちり決まらないと写真にはならない。IMG_1378.jpg IMG_1383.jpg


しばらく格闘の後、スマホで比較的鮮明に写せた写真がこれ。DSC_0026.jpg
えーと・・・、スマホの画面一杯の写真にはならなかった。「トンネル効果」と言い張ろうにも、黒いボール紙に丸く穴を開けてカメラのレンズの口径を極端にせばめた感じにしかならないな、これ。


これが一眼レフカメラで、レンズキャップの真ん中に針の穴を開けたようなピンホールのレンズと遅いシャッタースピード、高感度のフィルムを使わないとこういう写真にはなるまいて。そして見ての通り、両端の垂直が歪んでいる。これはこれで味がある、と言い張っても、さて、納得してくれる人がどれ位いるんだろう。


私には絵の才能はない。だから、光景を引き算で考える写真の方向で何らかを表現したいと思った。


また、かつての日本が作っていたフルオートコンパクトカメラ、いわゆるバカチョンカメラを参考にして旧ソ連、現ロシアの光学機器メーカーが作ったのが、一昔前(!?)に流行った LOMO や中華製のスメ8等の、独特の写真を生み出すカメラだったのだが、これはどうなのよ・・・。


いや。本当にセッティングはメンドくさい。
これだったら100均等で手に入る、洗濯ばさみのようなクリップで挟むだけのお気軽レンズの方がよりいい写真が撮れると思う。


多分これ、しばらく時間が経った後に、アジトの片隅に追いやられて埃を被った状態で発見され、メルカリやヤフオクで「ジャンク」として送料別の100円からの出品になると思う。それで買い手がつけばラッキー、以外の何物でもない。


いや、参ったね、これ・・・。

とりあえず写真、カメラネタになったので、カメラバッグの中に保管してある「OLYMPUS OM-40 PROGRAM」と「謎の台湾製一眼レフもどきカメラ」の状態を見るきっかけにはなった。オリンパスの方は、外装のゴムが白くなってきているけど、中身は大丈夫そう。謎の台湾カメラは、フィルムを巻き上げる、シャッターを切る・・・、えーと、フィルムを巻き上げる前は、シャッター幕が開いていてはいけないんだよな。フィルムが感光してしまう。なので、爪楊枝の先に少し油分を付けて、シャッター幕の端に ちょいちょい と差してシャッターの空打ちをしたら、とりあえずは正常に・・・。


でもなぁ、このカメラを手に入れたのはいつだったかは既に忘却の彼方。フリーマーケットで投げ売りされていたのを買ったような気がする。しかしまだ、この台湾カメラにフィルムを通したことはないんだな。機械的には「写ルンです」と大差はないだろう。

外装をプラスチックに替えただけのベネ、というカメラも持っていたけど、その当時の彼女にあげちゃった。

カメラかぁ。街ブラ写真で表に出るには寒い季節なんだよな。運動不足解消のためには積極的に外出した方がいいとは思っているんだけど、なんだかんだと自分を偽っては動かない。困ったもんだね。ホントに。


Img_1347Img_1347

2020.12.01

こんなん出ました

Img087 これは1990年12月24日 24時35分 ~ 26時に放送された、坂本龍一の NY での TV セッションの模様をテレビで放送する日の朝刊のラテ欄にあった番組紹介記事を切り取って、VHS に貼り付けた物だ。

流石に30年という時間は、セロテープを乾いてひび割れさせ、激しい褪色もさせる。いや、セロテープを貼った部分の褪色が一番激しい。スキャンして褪色復元を試みてこの結果だ。ちなみに、VHS の背中にも「坂本龍一」のラベルが貼ってあったが、これはおそらく FM 情報誌からの物だろう。

ちなみに当時は「アート・リンゼイ? 誰それ?」状態だった。そして翌日に見返したら、やっぱり難解だった。音楽を頭で理解する、という考えは馬鹿げていて、本来、音に体を預け、音に合わせていればいいだけの話なんだけど、そこはそれ、妙に頭でっかちだったのかもしれない。教授のピアノに絡みつく Arto Lindsay(アート・リンゼイ) のノイジーなギターは、今だと非常に心地良いものだった。今だから分かる、というか、30年の間にアンテナの指向性が強まったのかもしれない。あるいは逆で、そういう方向にアンテナが向き過ぎて、今の流行りには鈍感になってしまっただけなのかもしれない。

 

新しい音楽を素直に受け入れる事ができなくなりつつあり、今の流行りは全く分からないし、分かろうともしない、とも言えるだろうか。

しかし、この30年の間に様々な音楽と出会い、その中で取捨選択して今がある。

その中には、大友良英さんの、ギターとターンテーブルによるインプロビゼーションを体験した事も挙げられるだろうか? それで耐性が付いたのかもしれないな。最近録画で見た「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」で爆音ギターをかき鳴らすヤツも出てきたが、その音も気持ち良かったもんなぁ。

こういう事があるから、過去の VHS 遺産を発掘するのが楽しいのだ。もっとも、昔から整理下手で、エアチェックしたカセットテープも再生するまで内容は分からず、VHS に至ってもそれは同じ。楽しいんだけど、整理下手が足を引っ張る。まず、そのデータを調べる必要があるから。

「電子の海」にボートを漕ぎだし網を投げても、何も収穫がない事「も」多い。「も」じゃないな。「が」だな。そういうポンコツだけど、今は楽。ブルーレイレコーダーでテレビ番組を録画したら、ちゃんと日付と番組名が記録される。

そのデータを元にしてディスクのケースに収まる範囲で日時、放送局、番組名を記録して保管に至る。過去の私から比べれば、随分と整理できるようになったものだ。が、今度は保管されたディスクを探すのに骨が折れる。やっぱり整理下手なのかなぁ?

それにしても、何故にこんなオチになってしまうのか。

こうしてそうしてこうなった、とオチを考える前に書くから支離滅裂にもなるのかなぁ。小学校から国語を習うかぁ? いや、コロナ禍の中で変なおっさんが小学生に混じって国語を勉強する・・・。これでその教室でコロナウィルスに感染した児童がいたら、そのクラスターは私になるじゃないか。

ホントにこのコロナ禍は想定外だったもんな。そして、新型コロナウィルスの火の手が上がって炎上し始めたのが今年の冬だよ。そしてもうすぐ1年だ。楽観的に考えていたよ。大体数カ月で収束し終息に至る、と。ところがどっこい。夏場でもマスクをする姿がすっかり定着してしまった。アメリカやロシアではワクチンができて、その効果は9割以上という。早くワクチンが大量に生産され、地球に住む人類にとって「過去の病気」となってほしいものだ。しかし、新しいのがまた、何処かで発症して、段々感染範囲が広がって地球規模の「大惨事世界大戦」の再来・・・・・・、第三次と大惨事が同じ読み方だからこういう言葉遊びもできたのだ。次はどうするよ。

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