そっか
2022(令和4)年4月15日で私がお世話になっているプロバイダーの @nifty は35周年なのだそうだ。
記録、というか、おぼろげな記憶を辿ると、H師匠から DELL の OptiPlex なるタワー PC と 三菱のディスプレイを10万円で譲ってもらったのが、たしか1996年の夏だった。まだクレジットカードを持っていなかったので、パソコンにインストールしてくれていたナムコのゲームと、Win 95 内のゲームで遊び、雑誌、というか、CD-ROM 付きの本で遊ぶのが関の山だったな。
とりあえず、その時に一番速かった 28800bps のモデムを手に入れてから、試しに、NTT のダイヤルQ2を使って少しインターネットの世界を覗く位だった。冬にクレジットカードを作ってから、モデムの箱に入っていたパソコン通信会社のスタートキットを使って、それで「NIFTY-Serve」のアカウントを作り、初歩からのパソコン雑誌に書かれていた「Nifty Manager」を40分程の時間をかけてダウンロードし、それでやっと電脳の海に漕ぎ出す事ができた。
ちなみに、その時にハマっていた明和電機の電子会議室で勧められた自動巡回ソフト NifTerm により、明和電機の他、他のミュージシャン、アーティスト、クルマ(軽いネタからシリアスな話題まで)、文学等の電子会議室に入り浸っては、自らも書き込み、書き込まれたことに対するメッセージにも反応し、週末の夜になると、遅いスピードで読みかけできるチャットにも参加したりして、そのおかげで色々な知見を得た。
とりあえずはモデムの高速性に対応するアクセスポイント(電話番号)に接続して大量の読み書きを拾ったり投下したりしても、NifTerm のおかげで電話料金や NIFTY-Serve の接続時間も短時間で済み、確か23時から翌朝まではテレホーダイで、どれだけ電話回線を使っても、基本料金以外は掛からないサービスもあった。
今考えると、報道等で見聞きする「SNS」的な要素は「NIFTY-Serve」が先取りしていたようにも感じる。現在のように携帯電話もさほど普及していなかった時代で、電子メールはパソコンで送るもの。送りたい相手のメールアドレスの前にちょっとした文字列を書き加える事で、インターネットを介して他のパソコン通信に存在する人や、パソコン通信ではない、インターネットだけに存在する人に対してもメールを送る事ができた。
それがもう楽しくて楽しくて、パソコン通信にハマったおかげでタッチタイプが身に付いたと言っても過言ではないと思っている。また、ネット上での立ち振る舞いもパソコン通信での経験があったからこそ、だとも考えている。
1987年4月15日に NIFTY-Serve が立ち上がって35年。私がパソコン通信の世界に飛び込んだのは1996年の年末か、その年が明けてから、か。という事は、PC 持ちになって四半世紀になるんだな。歳も取る訳だ。その頃考えていた自分の25年後は、思いもよらない爆弾が爆発し、それ以来、社会生活不適合者となってしまった。全く想像できなかった。
人並みに結婚し、それなりにシゴト場での役職や地位も築いていた筈がこのザマか。その代わり、資産運用の勉強をしながら、少しずつお金を貯めている昨今ではある。
それにしても・・・、幸い、文字入力に関してはストレスもないのだが、もうちょっと精力的にブログを更新していた時のように、HTML に関しては知識を掘り起こすのに時間が掛かり、知恵熱も感じている始末。良いのか、こんなポンコツが存在していて・・・。
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